手のひらに、少しの幸せを

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 逸子の葬式は質素に済ませた。その日の晩、逸子の位牌の前で英雄はちびちびと日本酒を飲んでいた。季節は秋。窓を開けると涼しい風と虫の音色が聴こえてくる。   さすがの英雄も早すぎる逸子の死を悼んだが、酒を一口飲むとそんな寂しさからも次第に解放されていった。気が付けば日本酒を飲みながら上機嫌に鼻歌まで歌っていた。  そんな英雄が紗季には能天気に映ったのだろう。自分の妻が病気で苦しんで亡くなったというのに、もう酒を飲んでいる。しかもほろ酔いで鼻歌まで歌いやがってという感情があったのだろう。紗季は座って酒を飲む英雄の前に無言で近寄ってきた。英雄が娘の紗季を見上げる形になる。葬式では涙一つ見せなかった紗季が、瞳に涙をいっぱい溜めていた。  口を真一文字に結び、英雄を見下ろしている。英雄は逸子にそっくりな紗季の顔をじっと見つめた。  そして紗季は言った。「父さんがいなければ」と。  英雄はくるりと回り紗季に背を向けた。その先は言われなくても分かってると言わんばかりに。英雄の行動を拒絶と捉えた紗季はそれ以上何も言わず自分の部屋に閉じこもった。頭に血が昇りやすい英雄もこの時だけは反論する気にもなれなかった。  前から紗季が英雄に嫌悪感を抱いているのは知っていたが、この出来事で親子の距離はますます離れることとなった。今でも英雄と紗季の間には見えない壁がある。壁というより、紗季が閉じこもった部屋の扉のように厚みがあり、中の様子を窺うこともできない。しかし英雄は「めんどくせぇ年頃だな」と頭を掻いて、再び酒と向き合った。その日の晩は逸子の遺影の前で布団も掛けずに寝たため、翌日は少し風邪を引いた。
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