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「もしかして、トラックに乗りてぇのか……?」
数秒間を開けてから悟はゆっくりと頷いた。まさか悟がトラックに興味があるとは意外だった。大人しい性格だから口には出さずとも、トラックを汚いとか居心地が悪いとか思ってそうだと英雄は思っていたのだ。
「参ったな……トラックにガキなんか乗せたことねぇしな……会社もいいって言うかどうか……」
悟の意外な興味にさすがの英雄も困惑した。しかし内心では不思議と悪い気はしなかった。子供が自分の仕事に興味を持っている。
稚拙な言い方だが、英雄は自分の仕事がえらくカッコいいものだと思えてきた。一人の時間が長かったので、誰かから尊敬されるのに免疫がないのもある。「まぁ……別に社長に頼んでみてもいいけどよ……」そう言う英雄は既に携帯電話を手にしていた。
結果、配送先には入れさせないこと、宿泊に掛かる追加費用は英雄の自腹で出すことの二つを条件に、悟を連れて行くことを許可してくれた。エルはどうするか、さすがにペット可のホテルを今から探して予約するわけにもいかない。英雄が泊まるのは一泊三千円の安いビジネスホテルだ。悟には事情を話してエルは一晩車で留守番するよう言った。エサをちゃんと食べさせさえすれば一晩位大丈夫だろうと悟を説得させた。悟はエルをトラックに置いておくのは可哀そうだと抗議したい様子だったが、そこは気持ちを抑え込んで大人しく頷いた。
会社までは英雄が悟を迎えに来たのと同じ、汚い軽自動車で向かった。会社に停めてある中型トラックが英雄専用の車である。後は荷物を積み込むだけだったので、英雄は悟にも積込みを手伝わせた。小学五年生の労働力では力量も知れていたが、ただぼうっと突っ立っているだけよりはマシだろうと、英雄は気遣うことをしなかった。
今日の配送は食器用洗剤や洗濯用洗剤が詰まった段ボール箱もあれば、メラミンスポンジなどの軽めの段ボールもあった。
いつもは英雄一人で積込みをすると三十分程度で終わるが、悟がいて少し手間取ってしまい、四十分程掛かった。全部積み込むと早速車に乗り込む。
エルが入ったかごは助手席にいる悟の足元に。「にゃあ」と鳴いたのは「どこに行くの?」と聞いたのだろうか。英雄もひょいと手慣れた様子で運転席に乗り込む。エンジンを掛ける。それまで大人しく眠っていたトラックに命が宿る。今日は滋賀の物流センターを目指す。初めて乗るトラックに悟は興奮しているようだった。相変わらず言葉を発することはないが、表情で嬉しさを抑えきれないのが分かる。
最初はゆっくりとアクセルを踏んでいた英雄も、会社の駐車場を出て一般道に出ると、少し強めにアクセルを踏んだ。スピードが加速する。周りの景色がみるみる速く過ぎていく。
悟が足元に置いたかごを持ち上げて、エルに外の景色を見せる。英雄の位置からは分からないが、エルが「何だ?」といった様子で外に興味を示しているのだろう。
悟が瞳を細めて笑った。よっぽどエルという猫が大事なのだろう。結局エルが入ったかごは悟の膝の上に収まった。かろうじて外の景色が分かる位置にあるようだった。
今日は平日なので一般道路は出勤する車でやや混んでいたが、高速道路に入ると車は空いているようで、トラックはどんどん速度を上げていく。
さっきよりも景色が流れていくのが速い。トラックの時速は百キロ近くまで上がった。さすがの悟もまだ父直也が生きていた頃に家族旅行などで高速道路に乗ったことはあるだろう。
しかしトラックから見る外の景色は視界が高い。その分見える景色の範囲も広くなる。悟は遊園地のアトラクションに乗った幼い子供のように笑顔を見せた。この分ならすぐ言葉を話せるようになるのではないかと英雄は楽観的に捉えていた。やはり体調が悪かっただけだと改めて思った。
英雄の会社を出発したのは午前八時過ぎ。十時半頃に静岡に入り一旦休憩をした。しばらくトラックを走らせていると富士山が見えた。英雄にとっては運転で何度も見ているため、何とも思っていないのだが、悟にとってはやはり珍しいのだろう。窓に顔を近づけて富士山を上から下まで眺めていた。エルは外の景色を眺めることに飽きたのか寝てしまっていた。
そろそろ愛知に入ろうかという辺りで昼休憩をした。英雄はここで三十分の仮眠を取る。長距離ドライバーにとってこまめな休憩は大切だ。悟は早く行こうよと言いたげだったが、英雄がトラックのカーテンを閉めてアイマスクを装着すると、悟は不承不承といった感じで助手席のカーテンを閉めた。ちょうど三十分経ち、英雄の携帯電話のアラームが鳴る。出発前に英雄は缶コーヒーを買った。平日のサービスエリアは空いている。
昨日は午後から雨が降っていたが今日は朝から快晴である。訪れる客もまばらで、屋台には人の列も少ない。自販機には悟も付いてきていて、緑茶のペットボトルを指さした。
「買ってよ」ということなのだろう。英雄は「口で言え」とブツブツ文句を言いながらも、自販機に小銭を投入し、悟がねだってきた緑茶を買ってやった。エルには英雄が寝ている間に餌を上げていたらしい。悟がサービスエリアのごみ箱に猫の餌の空き缶を捨てていった。
「よし、じゃあ行くか」と英雄は独り言のように言い、トラックを発進させた。悟はどうやらトラックがどんどん加速していく様子が好きらしい。高速道路を一定の速さで走っている時よりも、興味深そうに窓の外を見ていた。普段はトラックを一人で運転する英雄だが、この日は隣に悟が乗っていて気分が穏やかになったのか、口を利けない悟に対して昔話を聞かせた。
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