手のひらに、少しの幸せを

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 少しの幸せがあればよかったんだ。  そう、手のひらに収まるくらいの。  だけど、あの時の俺は精神的に幼くて、弱くて。  だから、何もかも失ってしまった。  なぁ、逸子。  こんなどうしようもない俺を、お前はどこかで見てるんだろうか。  工藤英雄は欠伸を噛み殺しながら、今夜はどこの飲み屋に繰り出そうか考えていた。六十四歳の英雄は長距離のトラックドライバーである。朝は会社に出勤して、指定の荷物を積み込み、東京と大阪間を往復する。東京で積みこんだ荷物を大阪に降ろす頃には夕方を回ってしまうので、当日は大阪に宿泊し、翌日の午前中に大阪から東京に戻ってくる。簡単な報告をしたら帰社し、翌日は休日というのが普段のスケジュールである。日用品を扱っているから目立った繁忙期はなく、また洗剤や紙類などの生活必需品であることから景気に左右される心配もない。  英雄は契約社員だが、仕事量は安定しておりリストラの不安に怯えることもない。今日は休みだが明日はまた仕事である。飲みにいっても早めに切り上げなければならない。出勤後には健康チェックがあり、飲酒濃度を測るため深酒は厳禁だ。最近明美さんのラウンジに行っていないなと考えていると「英雄さん」と呼ばれる声で我に返った。 「は?」と顔を上げる。英雄を呼んでいたのは音羽芳江、英雄より二つ下の六十二歳の女性である。パープルのニットセーターにベージュのチノパンという若々しい服装だが、チノパンには腹の肉が見事に浮き輪のように乗っかっている。年相応、いや、もう七十近いようにも見える。 「醜い」と思ったがもちろん口には出さない。口に出せるような間柄ではないし、今この場でそれを口にしようものならば親族中から総スカンを食らうのは必至だ。今英雄は、孫の音羽悟を誰が一時的に面倒を見るかを決める親族会議に出席している。会議といっても大層な会議室にいるのではなく、音羽家の実家の一室で大人たちが車座になっている。  悟の母、つまり英雄から見たら娘にあたる音羽紗季が過労で倒れ、病院に運ばれたからである。検査入院を含め、十日前後の入院が必要となった。本来いるはずの悟の父、英雄から見たら婿にあたる音羽直也は昨年、会社のパワハラが原因で自殺してしまった。悟に兄弟はいない。今はまだ小学校五年生なので誰か大人が付いていた方が良いということになり、誰が悟を一時的に保護するかの相談をしている。英雄の娘・紗季が倒れたといっても、今紗季は音羽家に嫁いだ人間なので、音羽家側で見るべきではという方向に話は進んでいた。  今英雄の名を呼んだ芳江は直也から見たら母にあたる人物で、悟から見たら父方の祖母ということになる。親族会議をしている音羽家の実家には、五年前に夫に先立たれた芳江が一人で住んでいる。話の流れでいえば芳江が面倒を見るべきなのだが、ここから悟が学校に通うには場所が遠すぎる。あくまでも悟の一時的保護なので悟の学校を転校させるわけにはいかない。かといって、芳江が悟の家に泊まり込むことも不可能である。芳江には年の離れた姉がいて二日に一回持病の様子を見に行かなければならない。つまり芳江が面倒を見るという選択肢は既に消されている。直也には兄がおり、悟から見たら伯父にあたるのだが、現在は妻側の母を自宅で介護していることもあり、これもまた難しいという決断に至った。  他にも思春期の娘がいるから男の子を預かるのは無理だという意見、自身の持病を理由に無理だという意見も飛び交っていた。一時的とはいえ、誰も悟を引き取る意思はないようだ。無理だという理由を無理に見つけ出して、お互いが悟を押し付けあっているように感じられた。英雄は改めて芳江の顔を見た。芳江が何を言わんとするのか予想が付く。 「英雄さん、だからね、悟の学区内にあるあなたの所で預かってもらうのが一番良いと思うの」 「え……」本日の行き先の目星にしていた明美の顔が頭の中で小さくしぼんでいった。 「いや……でも自分はトラック運転手で泊りもあるし、毎日飯の面倒を見るのは無理っすよ」  正直孫とはいえ、子供の面倒を見るのは御免だ。英雄は無類の酒と女好きだが、子供と動物は嫌いである。娘の紗季とも相性が悪く、たまに会っても会話はほとんどない。英雄の方から距離を置いているくらいである。 「でもね、英雄さんは独り身だし、悟が気を使うこともないでしょう?」独り身、そのフレーズを出されると何も言い返せない。万が一英雄が候補に上がっても誰かが「でも英雄さんは長距離運転手だから難しいんじゃない?」と庇ってくれるのを期待していたのだが、誰からもその声が上がることはない。むしろ「そうね」「それがいい」「そうしてくれる?」そんな眼差しで英雄を皆見ていた。  周囲に聞こえない程度の軽い舌打ちが出てしまう。英雄は昔から怒りの沸点が低い。都合が悪くなると怒鳴り散らす。手や足が出ることもある。  英雄の妻、逸子が亡くなったのはもう二十年前のことである。娘の紗季は高校生になった年だった。病気が原因だったが、英雄の性格によって悪化したといっても過言ではない。  英雄がもう少しマメに逸子を労わってさえいれば、いずれ病気で果てる命でも長生きできたかもしれない。それは紗季にも言われたことがある。 「父さんがいなければ」と、逸子にそっくりの端正で聡明な顔で。さすがの英雄も反論できなかった。それを言われたのはいつだったか。そうだ、葬式の晩だった。
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