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繊細な装飾のカップ。その中には、新鮮なコーヒーブラウン。夕方の色味と相まって、目の前のコーヒーには人々を釘づけにするかのような魅力があった。
「うーん……。わたし、頼んでないけど……」
どうしようかと悩んだあやめだが、せっかく運ばれてきたのだからと思い、一口飲んでみることにした。熱い内に飲まないと、美味しさが半減してしまう。別に注文はしていないが、あの女性が淹れたコーヒーなら、きっと美味しいに違いない。長々と理由をつけた彼女は、長い黒髪をすっと耳に掛け、カップに柔らかく口をつけた。
「……美味しい」
思わず、声が漏れる。鼻から抜ける豆の香りと、口に当たる複雑な味。上手く口にすることができないが、これは彼女の大好きなコーヒーだった。母のマグカップを勝手に奪って、「苦ーい!」と顔をしかめた、あの懐かしい記憶と重なる。そんな不思議な味わいだ。
「喜んでいただけて、嬉しいです」
はっと顔を上げると、右には白いプレートを持った彼女がいた。さっきの言葉、聞かれていたのか。あやめは何となく恥ずかしくなって、「あ、はい……」と言いながらもじもじしてしまう。
「本日のケーキです。どうぞ」
コトンと置かれた、白いプレート。その上には、焼き色が美しいベイクドチーズケーキが、口どけの良さそうなクリームと一緒に並んでいた。
「当店自慢の、チーズケーキです」
……彼女の声を聞きながら、あやめは先ほど以上に驚いていた。チーズケーキは、あやめの大好物なのだ。先ほどのコーヒーと言い、目の前のチーズケーキと言い、何だか心の中を読まれているような気分だ。
フォークを通すと、丁度良い固さを感じる。ゆっくりと口の中に入れると、素朴でありながら深みのある美味しさ。その優しい味わいが、あやめの心を満たし、彼女を笑顔にした。
「すっごく美味しい……!」
「ふふふ」
彼女のリアクションが面白かったのか、ワンピースの女性はクスクスと笑って、近くの椅子に腰かけた。あやめの方を見て、穏やかな口調で話し掛けてくる。
「しかし、驚きました。ちゃんと、帰ってきてくださって」
――刹那、あやめの表情が陰る。フォークを手にしたまま、彼女は下を向いてしまった。
「一ヶ月前にあなたの願いを叶えたとき、私『ちゃんと帰ってきてくださいね』と言いそびれてしまいまして。あなた、自分のことを『おっちょこちょいだ』っておっしゃっていましたよね? もしかしたら、この店への行き方も忘れて、もう二度と来てくださらないかと思いましたよ」
「言いそびれた」と口にしながらも、その言葉はすっと流れていく。まるで、あやめがここに来ることは分かり切っていたかのような口ぶりだ。
「お姉様になってみて、この一ヶ月、いかがでしたか? 『まお』様」
……その名前で呼ばれた瞬間、彼女は少し肩を震わせた。
「……楽しかったです。その……、久しぶりだったから」
「そうですか、それは良かったです」
「……」
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