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『いまどこにいるの?』
『うちの最寄り駅で電車に飛び込もうとしてるよ』
『たまたまそっちのほうで予定があるから、一緒にカラオケにでも行かない?』
画面を移動していた柚希のアイコンがぴたりと停止する。『うん、行く』、すぐにやってきた彼女からの返事を見て、静かな電車のなかにいたにもかかわらず、大きく安堵の息を吐きだしてしまった。
人間はみんな、任意の「いま」から寿命を迎えるまでの人生をよりよくしようと躍起になっている。死ぬまでにどう生きるか、人生を彩ることに労力を費やし、さいごは大きな死体になるために日々努力をしている。時期が早いというだけで、それは柚希も例外ではなかった。
「私が自殺しようとしてるとき、高確率で君から連絡が来る」
自殺。彼女の口からこぼれ落ちた言葉がマイクによって拡張され、部屋全体に充満する。不機嫌そうに頬を膨らませる彼女の向こう側で、最近流行りのアーティストが新曲を発表し始めた。
「それは奇遇だ」
僕がとぼけてそう言ってやると、彼女は特に意味のある回答を求めていなかったのか、「そういえばね」、きょうは何をしたかということを嬉々として語り始めた。彼女には自殺するまでにこなしたいことがたくさんあるらしい。以前は「全部終わるまでは死にたくない」なんて口にしていたのに、最近は例外として苦しさに耐えきれなくなったときは自分に自殺の許可を出してやるみたいだった。
そうやって自殺を試みるとき、柚希には必ず寄る場所がある。それが僕との思い出の自然公園だったと気づいたとき、やりきれない気持ちになった。
僕だっていつも位置情報アプリを眺めているわけにはいかない。今回、柚希がその公園にいたことに気づかなかったらこうして言葉を交すことすら叶わなかった。彼女が突発的に自殺しようとしたとき、それを止めるのが僕の役目だった。でもそれは柚希を殴る両親の元へ送り返し、さらに彼女を苦しめる行為に他ならなかった。生きていればいいことがある。誰かが唱えた無責任な言葉に縋り、きょうも僕は彼女に苦しい思いをさせている。
「きょうだけで四つの項目を終わらせたんだよ」
スピーカーから若干割れた音がして、胃の辺りが膨張したような気分になる。カラオケに来たんだから歌おうよ。その言葉を差しこむタイミングがわからなかった。
「で、付き合ってくれる気になった?」
電子目次録をぼうっと眺めていると、聞き慣れた言葉が今度はマイクを経由せずに伝わってきた。「きょうは暑いからなあ」、ひとりで呟くみたいに言うと、「その理由は前に使ってたよ」、じっとりとした視線が返ってくる。
「あのさ。僕の何が好きなの」
「前も言ったでしょ。好きに理由はないけど、強いて言うなら私の自殺を止めようとしないって」
呪いみたいだと思う。彼女が僕に「自殺を止めない人」という価値を見いだしているから、僕は面と向かって自殺を止めることができなくなっている。柚希に嫌われてまで自殺を止めようなんて思えるほど僕は強くなかった。
きょうの自殺で十回目か。そんなことを考えながら、僕は初めて柚希の自殺を止めたときのことを思いだした。
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