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3
休職して二ヵ月が過ぎた。少ない介護休業の給付金では、毎日のやりくりが簡単ではない。
介護休業の限度は三ヶ月だ。せめて親父が少しでも落ち着けばと思い、再び医師に相談したが、やはり魔法のような解決策はなかった。それどころか、親父は食事を食べる事を嫌がるようになった。
認知症の症状の一つ、拒食だ。
空腹の筈なのに、用意した食事に手を付けようとしない。「さっき食べた」と平然と嘘をつく。
水分もまともに摂らなくなった。俺は、お茶や珈琲を頻繁に勧めた。昔、おふくろとよく飲んでいた甘酒も用意した。だが、親父はいずれも一口飲む程度だった。
たとえ食べる事を嫌がろうと、毎日食卓の上に料理を並べる。手作りの野菜炒め、味噌汁。親父は席につくものの、その皿には見向きもしない。恐らく、今日も欲しくないと言うのだろう。
俺は、随分前に買っていたビールを開けた。久し振りのアルコールだ。日々の介護に疲弊している心身に、じわりと染みる。
「親父、夕飯出来たぞ」
声を掛けると、すぐさま「要らん」と返ってくる。
「どうして」
「もう食べた」
「まだ食べてない。昼飯もまともに食べてないくせに。何度言わせるんだ」
「食べたと言っただろうが」
言い合いを繰り返している内に、互いのトーンが上がっていく。
「親父。いい加減にしないと、栄養失調で死ぬぞ」
「うるさい!」
親父が席から立ち上がった。かなり興奮している。
「しつこいんだ、お前は」
親父は強く机を叩いた。その勢いで、テーブル上の湯のみが倒れた。
零れたお茶が、親父の服を濡らす。
親父は叫んだ。
「何するんだ! このバカ息子」
「何するって、親父が机を叩くからだろ」
「お前のせいだ」
親父が料理を一掴みし、投げつけてきた。炒められたキャベツが頬を打つ。
かっと頭に血が上る感覚があった。
「いい加減にしろ!」
俺は親父に向かって言った。咄嗟の事に、つい大声になった。
その剣幕に驚いたのか、親父がぐらりと傾いた。危ない、と思った瞬間には、すでに床に倒れていた。
すぐに傍に寄る。親父は、俺の顔を見て「親を殺す気か」と怒鳴った。
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