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「先生っ、原稿をいただきに参りました!」
「ご苦労様です。あと少しだけお待ちください」
「はいっ! 喜んで待たせていただきます」
センセイねぇ。
僕は苦笑しながら机に向き直る。
この人、かつては僕が出向いても、ろくに顔も見なかったと思うんだけど。
諦めずに続けてきて本当に良かった。
まさか怖がりの僕が、ホラ―で売れるなんて予想もしていなかったけれど。
「そろそろお引越をお考えになりませんか? これからアシスタントも必要になりますし、なんなら私どもでお探しさせていただいても」
「ありがとうございます。でも、僕はまだこのスタート地点に住んでいたいので」
「いや相変わらず奥ゆかしい! けれど、もし思い立たれましたらいつでもご連絡ください」
原稿を受け取り、担当者は帰って行った。
「まだまだよろしくね」
僕は振り返り、トイレのドアに向かって静かに手を合わせる。
ホラーを描き続ける限り、僕がここを離れることはない。
我が家のトイレには、時々不思議なことが起こるのだ。
僕以外誰も居ないのに、急に扉が開いたり、
逆にピタリといきなり開かなくなったり。
真っ暗な扉に本が挟まっていた時は、さすがに腰を抜かしかけたけど。
僕のアイデアは、全てこのドアの向こうに居る幽霊のおかげで湧いてくるのだから。
一度、生理的欲求が臨界点に達し、ファ○リーズを片手に必死でドアを叩いたことがある。
そうしたらなんと、ペーパーホルダーの「返事」があって。
それが始まりだったと思う。
「抗議」なのか「共鳴」なのかわからなかったけれど、この部屋のもう一人の住人が、なんだか愛おしくなってしまった。
なんて言うか、上京してずっと一人ぼっちだった僕に友達ができたみたいな。
毎日が楽しくなった。
そうだ! これを漫画にしてみよう。
小学生並みの(ごめんね)思いつきだったと思う。
ダメもとで、いっそ僕が絶対に手を出せなかったすごく怖い物語ってどうかな。
根っこにリアルな体験があるせいか、ネームがとても捗った。
世の中何が幸いするのか本当にわからないものだと思う。
携帯が鳴った。
さっきの担当からだった。
『先生。例の対談、決まりましたよ』
「ほんどうですか!? うれしいなぁ」
『よかったですね。彼らも先生の大ファンなんだそうです。面白いことをおっしゃっていましてね。なんだか他人の気がしないとかなんとか」
「そうですか。感激だなぁ。どうぞよろしくお願いします」
ああ、天にも昇る心地って、こういう事を言うのかな。
対談の相手は「Nature calls me 」。
今や、若者なら知らない人はいない超有名バンドだ。
中でもドラマーのkijiyamaは、僕の魂を鷲づかみにするような音を放つ。
ありがとう。トイレの幽霊君。
あなたが今、どこにいるのかはわからないけれど、心からお礼を言うよ。
そうだ! 今度は君が存在する「並行世界」の話でも考えてみようか。
本当にありがとう。
僕は改めて、トイレの前で手を合わせた。
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