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その様子に、つい悪態が吐きでた。
「逆になにが好きなわけ」
食べ物から始まり、夏も冬も朝も晴れも雨も運動も乗り物も、鈴鹿という名前も嫌いだという。
なによりも人間ギライ。
『人間やめてえ』
二日に一回ぼやくありさま。そんなイヤイヤ期真っ只中な男が好きなものなんて、皆目検討もつかないだろう。嫌味と疑問が半分ずつほどよく混ざった言葉だった。
だけど、この男はなんてことないとばかりに言う。
「俺の“すき”って感情を具現化したらたぶんお前になるよ」
「……どこで習ったのそれ。新しい教材?」
眉を顰めて問えば、「ご名答」軽やかな返答が投げられた。
「どう? ときめいたかよ?」
おちゃらけた声である。三津はそろりと顔を上げた。かち合った猫目は、うっそり笑っている。悪戯が成功した悪ガキの顔だった。
「びっくりしたという意味で心臓が跳ねたのも含まれるなら、まあときめいたよ」
発した声は自分が想像していたよりもずっといつもどおりだった。思わず笑ってしまいそうになって、三津は水を飲むついでに隠す。
びっくりした。それは嘘じゃない。
だけど、それ以上にどきりとした。
恐らくそれはトキメキなどではなく、焦燥に似たなにかだった。
スズが、自分の知らぬうちに愛を習得してしまったのかと。自分を置いて、ひとりだけそれを知ってしまったのかと。
そう思って、心臓が一度止まったのち心拍数が一気に跳ねた。
それだけだった。それだけだから、舌のうえで転がしただけにした。声にするとオフホワイトに咎められる気がした。
「なあ三津」
「なに」
「あいしてる」
生ぬるい熱が寄越される。
紛いものに輪郭なんてものはない。ぼやけたまま押し付けられるそれは、この部屋のようだった。真っ白で構築された空間にましろい愛が浮遊していく。
やわらかさを装った瞳がこっちに向けられている。「僕も」だから、三津もなんとなく同じものを浮かんでみせた。
「あいしてるよ」
たぶんね。
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