151人が本棚に入れています
本棚に追加
「お〜、遅かったな」
「なにそれ文句?」
ジトリと睨んでみせても、当の本人は文句などない顔を晒して頬杖をつく。
おまけに、待ちくたびれたと呟く始末。
空気みたいな男だ。
何を言っても響かないことには見切りをつけるしかない。三津はため息を呑み込むと、コンロに鍋をセットして火をつけた。
男は着火した音に目を輝かせると箸を手にする。まだ触るなと目で咎めて、三津はそのまま真向かいに腰を下ろした。
向けられるのはぶすくれた視線。
それは鍋の上を通り抜けて、額に突き刺さった。
「三津はマジメだな」
いつからか刺さったそれは、今のところ抜けそうにない。揺らいでいる眼は、いつの間にかすっかり入り込んでしまっている。
皮膚も細胞も、なんの障壁にもなってくれなかった。抜く気もないのでそのままにしていたら、現在に至っている。
曖昧さを重ねただけの日々でも、こうして難なく時間は進んでいて。
「スズが不真面目なだけだろ」
「もう食べていい?」
「……本当に、人の話聞かないよね」
いつのまにか火は通っているから、このままでもいいかとも思ってしまっている。
重症だろう。手遅れ具合は計り知れない。
返事の代わりに三津は蓋を開けてやる。すると、キラキラした顔で具材をすくいとりにかかる。
はしゃぐ様子をぼんやりと眺めた。
ダメと言ってもどうせ聞かないくせに許可をとりにくる。
矛盾なのに。
でも、この男にはそれが似合いだなとも思う。
皿に具材を寝ころばせて、その上にふりかけられるものに三津の顔が歪んだ。
「ウワ」と出すつもりのなかった独り言がこぼれて、暖房の効いた部屋にふわりと流れた。
「……もはやただの砂糖」
「だって辛いじゃん」
「それがキムチだからね」
「辛いの嫌いなんだよ」
ためらいなく述べられた返答。三津の顔がひくりと痙攣する。
キムチ鍋がいいって言ったのは誰だったか。
赤に彩られた野菜と肉の表面にまとわりつく白。あっという間に砂糖は熱にほどかれて、しなった野菜にたやすく溶けていった。
もはや、野菜の味は死んでしまったナニカを幸せそうに男は頬張る。
最初のコメントを投稿しよう!