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仕事から戻ると、姉は枕元でよく話をしてくれた。旅先で見聞した様々な事を。
いつもいつも、その話が楽しみでしょうがなかった。彼女が戻ってくる日は、お話を聞かなければ眠れなくなるくらいに。
段々と成長するに連れ、聞くだけでは物足りなくなっていた。
世界を見てみたい、そう思った。
だから約束した。もっと自分が大きくなったら一緒に旅をしようと。
姉は優しく笑って、昔から伝わるおまじないをしてくれた。反故にしたら針を飲むという、なかなか過激なおまじないを。
しかし、約束はついに果たされなかった。
最後の出発から、もう五年。
草木も眠りについた時刻。夜を住処とする者達が蠢く時間にノイズの如く、煌々と浮かび上がる炎を囲み、罵声と怒声、鉄の音が響き渡る。
「畜生、畜生ッ。撃て、ぶっ殺せ!」
ばたりと、三人目が大地に倒れ伏すのを横目に、集団の長であるジャック=スミスは取り巻き達にそう命じる事しか出来なかった。
炎すら照らせぬ闇の向こう。うっすらと浮かぶのは青白い輝き。
アレだ、アレが全ての元凶だ。
ジャックはそう毒づきながら自慢の早撃ちを叩き込む。
仲間達も続けて暗闇に浮かぶソレに向けて弾丸を発射するが、まるで手応えは無い。
むしろあざ笑うかのように軽やかにソレは揺らめく。
(なんだ、何なんだ。俺達は今、何を相手にしてるんだ!?)
回転式の弾倉に弾を込めなおしながら、ジャックはそう己に問い続けた。
荒野で銃を伴侶に好き勝手生きるようになってもう何年になるだろうか。その首にかかった賞金は二十万メリゴ。このオセアニ=メリゴ連邦の平均年収並、いっぱしの荒くれ者を名乗るには十分な額である。
体にいくつもの風穴を開けられながらも今日までこうして生き延びてきた彼は、自分をツイてる男だと確信していたし、牛泥棒を働いてカウボーイの放ったライフルで、商売女と手下以外相手にしてくれないほど派手に下あごをふっ飛ばされて尚、生きていた事実は紛れも無い強運だ。
そんな彼が今、得体の知れない恐怖に背筋を凍らせられていた。
この大地には化け物と呼ぶにふさわしいのはいくらでも居る。大サソリ、ツノウサギ、沼鯨。どいつもこいつもあまり関わり合いたくないが、それでも銃さえあればどうにかなると思える。
だが、目の前のこいつはどうだ。銃がまるで効いているようには思えない。
一瞬、雷が落ちたかのように夜が吹き飛び世界が白く包まれる。
闇が戻ると、ついに四人目が声をあげる間もなく倒れ伏した。
これだ、この光が放たれると手下が倒れる。いつもの彼であれば突撃してでも敵をぶっ殺す所だが、出来無い理由がそこにはあった。
「ひ、ひいいいいいっ!」
あまりの惨状に恐怖を抑えきれなくなったのか、みっともない声をあげて残った手下の片割れがライフル銃を放り出してソレから背を向けた。
「テメエ!」
ボスを置いて逃げる奴に容赦する理由はない。ジャックは素早く、腰に差していたもう一つの拳銃を引き抜き、制裁を加える。
十人以上の賞金稼ぎを返り討ちにしてきた早撃ちが火を噴く刹那、彼の狙いは大きく外れ、明後日の方へと銃弾が吸い込まれて行く。
「なっ、なんだこりゃ!?」
ジャックは己の眼前に広がる光景に目を見開く。
ソレが浮べるのと同じ輝きを持った光の蔓、否、光の帯が彼の拳銃に絡みつき、彼の狙いを逸らしたのだ。
帯が放つ輝きが一際強くなるや、強大な破裂音が周囲に響き渡る。
悲鳴が後に続いた。
「があああああっ!?」
ジャックは指先がなくなった左手を押さえてその場にうずくまる。
拳銃が暴発したと理解したのはそれからだった。
だが、と強烈な痛みと混乱の中でも彼は状況を理解しようと努めていた。
銃は彼にとって相棒であり、妻であり、半身だ。手入れを欠かしたことは一度も無く、信用の置けない商人から弾を買った事もない。
だと言うのに、何故、どうして暴発が起きたのか。
それを理解する間も無く、彼の頭上を「うわあああああっ!」と言う叫び声が駆け抜けた。
顔を上げると、先ほど逃げ出した手下が、光の帯に拘束されて宙を舞い、必死の銃撃を続けていた最後の手下の頭上に激突するという、クスリをやったときのような光景が繰り広げられていた。
(なんだ、なんなんだよこれはッ)
ジャックは持てる限りの悪態を心の中で吐き散らかして立ち上がり、少しでも闇に紛れようと砂を蹴り上げながら炎から離れる。
だが、五歩と行かぬ所で彼は地面へ口付けをする羽目となった。
「ぐぶっ!?」
違和感を感じた足に目をやれば、伸びてきた光が彼の足を絡め取っていた。
「くそっ」
必死に重心を落とし、何とか匍匐で前に進もうとするが、抵抗むなしく、彼の体はずるずるとソレに向けて引きずられていく。
「ぐぐううう」
獣じみた唸り声をあげて食いしばるが、まるで自分の体重が消えてしまったかのようにずるずると彼の体は焚き火の側まで引き戻されていく。
最後の抵抗とばかりにソファ代わりにしていた倒木にしがみつく。
コレには効果があったのか、地面を踏む音が少しずつだが近づいてくる。
あの青白い光が夜の帳の中をゆっくりと進んでくるのが見て取れた。
ソレの正体を見極めるべくじっと凝らした目を、ジャックはまたも見開く。
突然、青白い光とは別の光が閃く。その正体を、ジャックはよく見知っていた。
「くそったれ」
こんな所で俺のツキは終わってしまうのか。ギリギリと歯軋りをするが、光の帯の引く力は変わらず、身動き一つろくに出来無い。
そしてそれは、放たれた。
せめてもの抵抗とばかりに睨みつけたジャックの鼻先を掠めて、放たれたものは彼がしがみつく木へと突き刺さる。
小ぶりのナイフ、その刀身がジャックの顔を映し出していた。
(外した――いやっ)
ナイフが突き刺さったのは木ではなかった。
その刃先では、人差し指ほどの大きさだが人間には即死の毒を持つムラサキサソリが末期のダンスを踊っていた。
「へ、へへ」
まだ十歩以上ある距離で寸分の狂いなくナイフを投げてソレは、こいつを仕留めた。
目の当たりにした事象に、ジャックの口からは乾いた笑いしか沸いてこない。
不意に、足首が熱を感じる。あの光の帯が徐々に輝きを増し、彼の足首に熱を与えている。
(たかが荷馬車強盗の予定が、なんてザマだ)
己が過ちを悟った時にはすでに遅し。直後に襲いかかってきた体中を駆け抜ける激痛に体を震わせ、彼は己のツキの終わりを感じながら意識を手放した。
今日も悪くない一日となるように、と誰にともなくお祈りをしてから合図をすると、ガラガラと音を立てて馬車は軽快に走り出した。
晴天の下、陸送ギルドの焼き印がされた馬車は順調に進む。街道と言うだけあって、轍が残っていて、迷う心配もない。
だが、それは同時に退屈な道程でもある。
ギルド支部間における定期連絡便は、拘束時間の割に合わない報酬も相まって、基本的に所属三年以内の新人の仕事だ。タクミは五年目で、ベテランとは言えないが、本来では任される仕事ではなかった。
たまたま次の仕事を見繕いにギルド支部へ顔を出したのが運のツキ。本来の担当者が大サソリに襲われて病院へ担ぎ込まれたと言う報告が入った所に居合わせてしまったら、引き受けないわけには行かなかったのだ。
タクミを主管する東部中央支部から西方管区ガラナ支部への道のりは約二年ぶりだが、記憶と変わった所は轍が深くなった事くらいだろうか。元々流通の街道で道は拓かれており、それが却って殺風景さを強めていた。
時折聞こえる鳥や動物達の声もなかなかに種類があって楽しませてくれるのだが、それでも退屈ある。定期連絡便と言う仕事の性質上、寄り道も出来無いとあっては、欠伸の一つや二つ出ると言う物だ。
空を仰ぐと、右手にはめた腕輪がキラリと太陽を反射した。
その時、馬のいななきが響き渡る。
「うん?」
共鳴しないように手綱を握り直して、後ろを覗き込むと、盛大な土煙を上げて馬が走ってくるのが見えた。
客馬車の速度ではない。無論、荷馬車であるわけもない。
「丁度いいや」
タクミは微笑む。
旅人のようだし、挨拶がてら、少し話相手になってもらおう。瞬きの度に大きくなる黒い立派な馬に向けて突き上げた手を振って声をかける。
「お~、い?」
それは一瞬だった。あっと言う間に、彼の馬車を黒馬は追い抜いて行く。
「随分お急ぎだ」
あまりの勢いに驚きながらも目で追いかける。
ローブを纏った操者が、がくんがくんと馬の背中で揺れながら遠ざかっていく。
暴走してる、と気付いた時には、操者が宙を舞っていた。
「おっとぉ!?」
綺麗な弧を描いて落馬した操者を前に、タクミは慌てて馬を止める。
大急ぎで馬車から飛び降り、どうどう、と自分の馬を宥めながら、倒れてピクリともしないその人物に歩み寄る。
「あの、大丈夫ですか」
「くっ、待てえ!」
「うわわっ」
ガバッと置きあがったその人は、走り去っていく黒馬に憤慨の声を上げた。
あまりの声の大きさに彼はたじろいだ。
女性だった。フードを下ろした操者は紛れも無く、美しいブロンドを結った女性である。
「何て事だ。おい、君」
「あ、はい」
宝石のような碧い瞳できっとにらみつけられ、彼は腰を引いたまま返事をする。
「追ってくれ!」
「はい?」
「私の馬を追ってくれ!」
ぐんぐん遠ざかる黒馬を指しながら、女性はタクミに告げる。
彼は思わず目を見開いて、首を大きく横に振った。
「無理です、無理無理」
「その馬車はお飾りか!?」
「いや、馬車ですから」
全力疾走するあんな立派な馬を馬車で追いかけても追いつける可能性はない。まして、こちらは商品を積んでいる。そんな速度で走ったらとんでもない事になる。
だが、女性は納得しないらしく、もはや点ほどにも見えない馬を指してがなり立てた。
「頼むから追ってくれ。礼ならいくらでもするから、あの馬がいないと困るんだ!」
「お金の問題じゃなくて」
「カバンを取るだけでも構わん!」
どうやらよほど大切なものを積んでいたようだ。なかなか切羽詰った様子にタクミはたじたじになるが、はたと彼はある事に気付いて馬が走り去った方を指す。
「カバンって、あれですか」
「え?」
指の向いた先を見て、彼女は固まる。そこには革製のカバンが土塗れになって落ちていた。
「あ、ああああっ!」
驚きの声を上げ、女性は駆け寄っていってカバンを開ける。
中身は無事だったらしく、胸を撫で下ろしたのが背中からでもわかった。
馬車を引いて歩み寄ると、埃を払いながら女性は立ち上がり、タクミに頭を下げた。
「すまなかった。取り乱したとは言え、失礼な事を言ってしまった」
「いいえ。荷物が無事だったなら何よりです」
「それで、だな。その」
タクミが笑い返すと、彼女は肩をすぼめてぐるぐると髪の毛をいじくる。
急にしおらしくなった彼女の態度に、ユウキは馬車の席をポンと叩いた。
「どうぞ。次の町まででよければ」
「いいのか?」
「まさか置いていけませんしね。旅は道連れですよ」
女性は口をすぼめて顔を赤らめつつ、申し訳無さそうにそっと彼の隣に腰を下ろすのだった。
エリザベス=ヴィクスン。降って湧いた同乗者は、日の光を浴びて金色に輝く髪をたなびかせてそう名乗った。
タクミは、ヴィクスンと言う姓に聞き覚えがあり、はたと、彼女の頭から小さく覗く一対の三角形を見とめて、その理由を思い出す。
「ひょっとして、エリザベスさんって、あのヴィクスン家の方なですか?」
「ん、ああ。だが、気にするな。私はむしろ面倒をかけている身。気兼ねなく、ベスと呼んでくれ」
「では遠慮なくそうします」
面白い事になったな、とワクワクする気持ちが膨れ上がる。
ヴィクスン家と言えば、中央政府の元老も務めるこのオセアニ=メリゴ連邦では並ぶものがないとされる名家。
大崩壊以前から連なると言われるアニマノイドヒューマンの血筋で、新暦の始まりを支え、人とAH族の橋渡しを担ったまさに名門。
中央に行った事のないタクミでもその名前を知っていた。
「でも、そうなると、ベスさんって軍人ですか?」
「いかにも」
誇らしげに、ベスは頷く。
ヴィクスン家は代々、軍人の家系である。大崩壊による文明衰退から、新暦発布までの間、AHならではの身体能力を活かし、混乱を鎮静、中央を始めとする街の施工管理等を行った始祖達に習い、嫡子は軍役に就く慣わしがあると聞いていたが、事実のようだ。
なるほど、と返しつつも、ついついタクミの首は傾むいていく。
「どうかしたか?」
「えっと」
口ごもる彼に、ベスはむっと唇を尖らせた。
「一体なんだ。聞きたい事があるならはっきり言えばいい。濁すくらいなら顔に出すんじゃない」
ここまで言わせてしまうとは、と己の失態にそっと目を逸らし、頬をかきながらおずおずとタクミは告げる。
「馬の扱い方がですね」
「うっ」
今度はベスが声を詰まらせる番だった。彼女は僅かに頬を染めつつ、くるくると髪をいじくりながら「苦手なんだ」と消え入りそうに呟いた。
「の、乗る訓練はしたし、乗るだけなら問題ない。ただ、普段は、その、乗らないからな」
「馬は使ってないんですか?」
「ああ。私が所属している部隊は遺跡管理が主だからな。哨戒は足が基本さ。区画内の移動にはバイクを使う事もある」
「バイクですか。羨ましい話です。一度見てみたいです」
再びタクミの目が輝く。ベスの話は何から何まで、次から次ぎへと気になる言葉が飛び出し、聞き飽きる事がない。
崩壊前の古代文明が残した遺産の一つ。それがバイクだ。ランプや暖房用のものとは全く違う燃料によって動く、機械仕掛けの二輪の車。馬の何倍もの速度が出るとされている。
「風を切るなんて言われてますけど、実際どうなんですか?」
「そうだな。それはさすがに誇張があるが、風になったようには感じられる」
その感覚を思い出したのか、ベスは顎を僅かに上げて目を閉じる。
その微笑みがあまりにも心地よさげだったので、タクミもそれに倣った。
荷物があるので目を閉じれはしなかったが、頬に沿って流れていく空気をはっきりと感じる。
バイクであればこれがもっとずっと速く、強く感じられるのだろう。
なるほど、確かにそれは爽快かもしれない。
「いつか乗ってみたいですね」
「難しいだろうな」
「ですよね」
バイクはその性能から、中央政府が運用について厳しく制限している。燃料や機械の仕掛けについて詳細は秘匿されている。
考古学者の間では、バイクに使われている技術や燃料自体が、大崩壊に繋がる原因だったのではとされているほどで、大崩壊自体の原因や旧時代の歴史が判明するまで、タクミのような小市民がバイクに触れる機会はないと考えるのが妥当だった。
「そもそも、私とて、所属上たまたまだ。研究を兼ねて運用させてもらっているに過ぎない。だが、中央に来る機会があれば声をかけてくれ。実物を見るくらいは調整できるだろう」
肩を落とすタクミに、ベスが提案する。
タクミは喜びを乗せて期待させてもらいます、と返事をするが、直後にある事に気付き笑顔を引きつらせて頬をかく。
「どうした?」
「いや~、ははは。僕もまだまだ駆け出しなので、中央に行くのなんていつになる事やらと、気付いてしまいました」
中央への配送はそれこそ、政府だけではなく元老など、名だたる家々が絡む事が多い。取り扱う荷物も、当然重要性が高いものが増え、普段以上にささやかなミスも許されない。
それだけに、ギルドでも十年程度を目安としたベテランにしか請負の許可を出さないのだ。
再びうな垂れるタクミの肩を、ベスは力強く叩く。
「そんな事は気にするな。このエリザベス=ヴィクスン。恩人を忘れるような事はない。お前が中央に来たならば、声をかけろ。必ず笑顔で迎えてやる」
淀みなく堂々と胸を張って言い切る彼女の姿は、降り注ぐ日光とあいまって、とてもまばゆく見えた。
「うん、どうした?」
「あ、いえなんでも」
気付けば大口を開けて彼女を見つめていたタクミは慌てて正面に向き直る。
初めてのタイプだった。今まで出会って来た誰とも違う。いい人はたくさん見て来たが、清々しさを覚えたのは今回だけだ。
何か高鳴るものを感じながらも、それを押し留めるように馬車の操縦に意識を向ける。
手から手綱へ、そして馬へと彼の呼吸が届いてしまう。下手に高ぶった意識が行くと馬もそれに応えて、積荷に良くない影響を与えかねない。
どうにかこうにか心を落ち着かせる。馬のペースは特に変わる事なく、のんびりと道を進んで行く。
今回はさほど顔に出さずに済んだのか、それとも何か違う解釈をされたのかはわからないが、ベスはそれ以上追及してこない。
ただ、何やら思案顔でタクミをじっと見つめてくる。誤魔化せた、と言うわけではないようだ。
こういう時は話題の転換に限る。そう思った矢先、ベスの方が、話は変わるがな、と切り出した。
「実はずっと気になっていたんだ」
「何ですか?」
彼女はおもむろに背後を指差す。
「うむ。答えたくなければ別にそう言ってくれて構わんのだが、アレはなんだ?」
タクミは彼女が向けた指先を追う。そこは荷台の最後尾よりもさらに後ろ。引きずられるズタ袋だった。
時折ふがふがと言う声や袋そのものが生きているかのようにぶよぶよと馬車とは無関係に蠢いている。
タクミはああ、と軽く頷き、そっと耳打ちする。
「野獣です」
「捕まえたのか」
「ええ。運がよければ多少は稼ぎに加えられるかと思いまして」
「やれやれ、なんとも。私の想定以上にお前はたくましいようだ」
ベスは驚くやら呆れるやら。大きく頭を振るが、どこかその声は楽しげだった。
タクミもつられて笑い返す。
そのままどこか心地よさすらある静寂を重ねて、ガラナの町へと無事に二人は到着したのであった。
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