荒野の継承者

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 ガラナの町は、一大倉庫街である。運び屋達の陸送ギルドやブラックキャット運送を始めとした各業者はもちろん、専属ではない貸し倉庫業者も居を構えており、ここからまた各方面へと荷物が運ばれていくのだ。  その為、旅人達の姿はほとんど無く、タクミにとっては同業者達が数多集い、良くも悪くもガヤつきに溢れた馴染みやすい場所だった。  彼らの邪魔にならないよう、タクミは路地の端へと馬車を止める。  すくっとベスが立ち上がる。 「世話になったな」 「いえ、こちらこそお会い出来て光栄でした」 「お前は恩人だ。そんな堅苦しくなくていいと言っただろう」  クスリと微笑みながら、彼女はカバンを抱きしめて馬車から飛び降りる。  タクミは町の中央の方を指差して彼女に次げる。 「町の中央に保安官事務所があります。その斜向かいが巡回馬車の案内所です。こんな町ですから、あまり回数はないですけど、今日の便が出るなら、間に合うはずです」 「何から何まで助かる。ありがとう。それでは、息災でな」 「ベスさんも」  タクミの言葉に敬礼を返し、ベスは中央へ向けて歩き出す。  それを見送りながら馬に合図を送ろうとした矢先、ベスの声が届く。 「タクミ」 「あ、はい」 「次は中央で会おう。必ずだ」 「わかりました。楽しみにしています」 「ああ、私もだ。それではな」 「ええ、またいつか」  確かな約束を交わし、今度こそ二人はそれぞれの目的地へ向けて歩き出す。  名残惜しさに振り向くが、既にベスの姿は無かった。  早く果たせるように努めようとタクミは心に決めて、静かにギルドの支部へ馬車を進める。  陸送ギルド西方管区ガラナ支部は倉庫と一体となった建物が特徴である。  倉庫と隣接している所は数あれど、一体となると珍しい。  三年ぶりの建物は大して変わる事無く、ガラナの町の南西に鎮座していた。  ここでは保管と仕分けだけでなく、倉庫街と言う建物一つ一つが広く作れることを活かして馬車のメンテナンスも行われている。  タクミは門をくぐり、左胸につけた蹄と車輪を組み合わせたギルドの紋章のバッチを警備担当者に示し、裏に掘り込まれた登録番号を告げる。  確認を取った警備担当者は腕を振って倉の入り口を開けるよう指示を出す。  タクミは担当者に軽く頭を下げてから素早く馬車を滑り込ませた。  中に入ると、倉番達がせっせと仕分けをしている姿が飛び込んでくる。  次から次へと日中は定期的に荷物が入って来るため、倉番達は呼び止めない限り作業を止める事は無い。  タクミは適当に一人をとっつかまえると、リストを渡す。 「よろしく」 「はいよ――うん、こいつは違うのか?」  倉庫番は真っ先に馬車が引きずる動くズタ袋に目を留める。  タクミはああ、と手を横に振った。 「気にしないで。私物だから」 「そうか」  リストと積み荷のチェックが終わると、申し合わせたように倉庫番達が集まり、リストに沿って目的地や種類別に分別されて荷物が次々と下ろされていく。  あっと言う間に荷台は空となった。 「何かすぐ積んでくのか?」 「いや、定期便で来ただけだし。こっちもあるから」  タクミは相変わらずもぞもぞしているズタ袋を指して続ける。  すると、ついでとばかりに彼らは荷台へズタ袋を放り込む。  むごご、と言った音が漏れるが誰も気にした様子はない。 「後は見繕ってからだね。また用があれば顔を出すよ」 「あいよ」  用事がなくなるとわかるや、すぐに倉庫番達は元の作業へと戻って行く。  先に来ていた馬車にはあっと言う間に荷物が積み込まれていく。  相変わらずの目まぐるしさだな、と感嘆しながら、タクミは馬車を進め、隣区画の整備場へ入る。  技師達がせっせと車輪を始めとした馬車全体の整備を行っている。鉄を叩く音が心地よい。  整備場の端では、馬がブラッシングをされたり、健診を受けている姿が目に入った。  その中から目当ての人物を見つけたタクミは馬を進めて馬車から降りて一礼する。 「どうも、ご無沙汰しています」 「ん、ああ」  作業場の様子を見渡していた無精髭の男性は厳しい表情そのままに、鋭くタクミを横目で見据えて頷いて返す。 「暫く見なかった顔だ」 「そうですね。こっちに来る仕事が少なかったもので」 「まあ、お前さんの管轄は向こうだしな。んで、その珍しい用事ってのはそのトンだお荷物かい?」 「いえ、これはまた別ですね」  もぞもぞと蠢く荷台の袋を指す男性に、タクミは首を横に振り、事情を説明する。  定期便を引き受ける羽目になってからここまでの顛末を、ベスの件は除いて説明すると、男性は白髪頭を描きながら喉を鳴らして唇を釣り上げた。 「まったく、お前さんは人が良いというかついてないと言うべきか」 「ついてる事にしておきましょう。おかげでウォーレンさんの所へ顔を出せましたから」 「へっ、少しは言うようになったじゃねぇか」  ウォーレンは舐めた指で眉をなでつけて適当に受け流しながら、馬車へ目を向ける。  途端に、気だるげな様子はどこへやら。すっと細められた瞳はそれ自体が精密な機械のように馬車の状態を読み取っていく。 「右の車輪が歪んでるな。相棒の方は、ふむ。蹄鉄は交換したばかりか」 「さすがですね。馬車の方は少しガタつきが気になってたんですよ。気持ち左に寄るような感覚もあったんですが」  やはり顔を出しておいて正解だったと、タクミは馬車と馬をチェックするウォーレンの姿を見ながら舌を巻いた。  彼はこのガラナ支部の技師長であり、馬車整備と馬の管理一筋でやってきた、支部最長老なのだ。  いささかとっつきにくい所があり、若手が苦手意識を持ちやすいが、その知識と技術は本物であり、タクミは彼から多くの事を教わるために一時は足しげく定期便をこなしたものであった。 「わかってて放っとくんじゃねえ。ったく、手前で直せと言いたい所だが、見ちまったもんはしかたねえな」 「ありがとうございます。ウォーレンさんにお任せできれば安心です」 「調子のイイ野郎だぜ、まったく」  まんざらでもなさそうにウォーレンは油と技術が沁み込んだ皺深い手で顎をさすると、手早く馬から馬車を取り外す。  馬車はウォーレンに、馬は呼び止められた他の技師に預けられる。 「飯は食ったのか?」 「いえ、これからです」 「少しゆっくりして来い。その頃には終わってる」 「ええ、野暮用もありますから、そうします」  タクミは荷台からズタ袋を引きずり落とす。一際大きな音が袋からこぼれるが、気にも止めない。  ウォーレンも僅かに肩をすくめるが、何を言うわけでもなく、若手の技師の手を借りてさっさと作業に取り掛かるため、その場を離れた。  タクミは彼らを見送り、作業が始まったのを確認すると一礼し、ズタ袋を引きずりながら倉庫を一旦後にするのだった。  ガラナの倉庫街を、タクミは中央に向けて進んで行く。  煉瓦造り、木造、高床式などなど、それぞれの用途に合わせた倉庫が雑多に並ぶ街路は、縁の無い者からしてみれば迷路そのものだろう。  なるべくわかりやすい所で降りてもらったが、ベスは無事に案内所につけただろうか、と考えながら進むと、一際広い通りへと出る。町の中央へ到着したのだ。  行き来するのはほとんどが運び屋や業者の人間と言う事もあり、観光地や交通の要衝地よりも荒々しい熱気と吐息の渦が押し寄せた。  その中を掻き分けるようにして、タクミは十字路の西角に居を構える保安官事務所のドアを叩いた。  返事は無いが、ハナからそんなモノは期待していない。銃弾が飛んで来る可能性を限りなく低くするための儀式のようなものだ。  ノブを握って押してみるが、立て付けがだいぶ悪くなっているようで、隙間が開いたと思ったらそのまま動かなくなってしまう。 「ふむ」  二、三回押しても手応えがないのでドアを蹴って開ける。  瞬間、コップが飛んで来た。 「失礼しまーす」  避けたコップがズタ袋の上に落ちた音がしたので、タクミは大きめに挨拶をする。 「失礼するなら帰りやがれ!」  保安官はタバコをふかしながら、テーブルに投げ出した足を震わせている。  煩雑に置かれた書類もグシャグシャである。 「じゃあ、用が済んだらさっさとお暇させていただきます」  随分とご機嫌斜めな様子に、タクミはそういってズタ袋を引きずり込みながらもついと尋ねる。 「何かあったんですか?」 「ああ? 何もねえよクソッ」  そう言う事か、とタクミは内心大きく頷く。とどのつまり、彼は不貞腐れているのである。  ガラナの町の保安官は、倉庫街と言う特性上、人の移動が多く、根っからのガラナ町民はほとんどいないため、最寄のマラカ市から派遣されてくる。  マラカ市は農業が盛んで、街道沿いほどではないにせよ人の交流も多い。それだけに、保安官の出番となる事も多いのだが、ここガラナではそうも行かない。  ガラナの町で起こる問題は酒場での喧嘩だけと言っても過言ではない。  ごくごく稀に倉庫へ盗みを働きに来る者もいるが、そうなればもはや保安官が出てくる幕ではない。  そもそもこの町の往来で出歩いているのは、無限にも思える荒野を己の腕一つで駆け抜けて物を預かり運ぶ事に誇りや自負を抱く運び屋達だ。  タクミ自身も含め、決してお行儀がいいとは言えない身の上だが、それだけに、預かった、預けられた荷物に現金以上の価値を抱いている。  そしてそれは、そんな運び屋達を支える倉庫街で働く全ての者に通じている。  この街で盗みを働くと言う事はすなわち、彼らの尊厳を踏みにじる事と同義。  発覚したら最期。どこの管轄の荷物だろうと関係ない。  例え地の果てだろうと追いかけて、彼らは荷物を取り返すのみならず、盗みを働く“ふてえ野郎”を二度とお天道様を拝めなくなるまでとっちめるのだ。  保安官がそもそも盗みがあった事を知るのは示しが付いた後と言うのがザラなのだから、基本的にガラナで保安官の仕事は三つしかない。町の往来を眺めて日がな過ごし、喧嘩があれば仲裁し、それでも言う事を聞かなければ留置部屋で酒が抜けるまで寝かしつける。それだけである。  正義感であれ名誉であれ、何やら、とかくある種の熱意を持って保安官になってみてガラナに配属されると、気持ちのやり場がないのだ。 「それは失礼。じゃあ、これ、お願いします」 「ああ? ここはゴミ捨て場じゃね――」  タクミが少々手こずりながらズタ袋をこじ開けていくと、保安官は大口を開けて駆け寄って来る。その瞳は先ほどまでとは一転、輝きに満ちていた。 「ふぐぐぐぅっ!」  ズタ袋から現われたのは、人間だった。両手は後ろで、両足ともども縛り上げられ、口にも布がかませてある。  体中擦り傷だらけで、その目は真っ赤になって涙も枯れ果てたようであった。 「こ、こいつは!?」 「昨夜、強盗されそうになったので」 「いやいやいや、経緯はどうでもいい。こいつまさか、早漏れジャックか!」  保安官は男の特徴的な下あごを確認してそう尋ねてくる。 「ふふぁあう!」  途端に哀れな虜囚は大きな声をあげるが、口に噛ませ物をさせられており、言葉にならない。  保安官は大きく首をかしげた。 「違うと言ってますね。僕も早撃ちジャックだったと思いますけど」 「ん~、いや、しかしだな」  保安官は自分のデスクにとって返すと引き出しを引っ掻き回し、棚を漁って目当てのものを見つけたのか、もってくる。  それは似顔絵の描かれた賞金首の手配書であった。似顔絵の上に書かれた賞金首の名前を見て、彼は大きく頷き、タクミにつきつける。 「ほらみろ」 「あ、本当だ。早漏ジャックですね」 「ぬごおふぉぉ!」  よほど意にそぐわなかったのか、手配書の賞金首ジャック=スミスは体を大きくよじって抗議をするが、タクミと保安官は手配書を前に額を寄せて気にも留めない。 「おい、早漏れだろ?」 「いえ、綴りが違います。ほら、この後ろの部分」 「あれ、そうだっけ?」 「そうですよ。まあ、意味は一緒ですけどね」 「ならいいか。お手柄だぜ、お前」 「それはどうも」  わしゃわしゃと髪を撫でられるが、タクミはいささか迷惑だったが、長くつづくものでもないので、甘んじて受け入れる。  保安官は鼻高々といった様子で倒れたジャックの姿を見聞し、最後に口に噛ませた布をゆるめる。 「この下あごのケガ、まちがいねえな。本当に、よく捕まえたもんだぜ」 「運が良かっただけですよ」 「うんふぁ、ふじゃふぇぶふっ!?」  まくしたてようとしたジャックの顎先をタクミは素早く蹴り上げる。  正確に顎先を打ち抜いた彼の足業に、保安官は一瞬目を見開いた。 「お、おいおい。あんまり乱暴はするなよ」 「噛みつかれそうだったのでつい」 「まあ、気持ちはわかるがな」  そういうと、彼は完全に伸びきったジャックを、面倒くさそうに足を抱えて、鉄格子がはめられた留置室へ引きずって行く。  ベッドに乗せるのは諦めたのか、そのまま地面へ寝かせ、せめてもの情けとばかりに足の紐を解いてから出てきて、入り口に鍵をかけた。 「へへ、ったく。ここが酔い覚まし以外に使われるのは俺が来てからは、初めてだぜ」  生きた賞金首を見るのもな、と付け加えた保安官は鼻の下をしきりにこする。  興奮冷めやらぬ様子の彼に対し、タクミは少々申し訳ないながらも本題に映る事にする。 「申し訳ないんですけどね、保安官。」 「ん、ああ。そうだったな」  言われた保安官もすぐにその意味を悟って再び引き出しと言う引き出しを引っ掻き回す。  目当てのものは携帯用金庫に入っていたのだが、結局それを見つけるために保安官事務所の棚と言う棚がひっくり返された。 「おお、危ねぇ。失くしたとなったらクビじゃすまないぜまったく」  そういう保安官が手の中で遊ばせていたのは、金庫から取り出した小切手だった。  賞金首の賞金は全て政府によって管理されている。賞金をかける申請を政府が受け、内容を審査し承認。政府が立て替えると言うのが一般的な方法なのだ。 「え~っと」 「基本賞金が十五万。生け捕りでさらに五万だったと思いますけど」  手配書とにらめっこで書き起こすべき金額を計算し始めた保安官にタクミは先日掲示板で見かけた賞金額を告げるが、彼は首を横に振った。 「いやいや、そりゃ先月くらいまでだな。変更があったんだよ。え~っと、基本賞金が二十万で、生け捕りで十万か。まったく、これで暫くは遊んで暮らせるじゃねえか」 「そう考えているうちはあっと言う間にスりますね」  言いながらも、タクミは思わず保安官のデスクまで歩み寄り、手配書の内容を確認する。  確かにたった今聞かされた通りの内容になっている。三十万メリゴは高額だ。もともとの十五万ですら立派な額だったのである。 「それにしても、随分上がってますね」 「ああ。二ヶ月くらい前にゴンアンの方で駅馬車強盗があっただろ」 「聞いた覚えがあります。確か噂じゃ判事の娘さんが居合わせたとか」 「おう、それよ。巡回判事の娘が同乗しててな。んで、一味に食ってかかってぶん殴られたらしい。前歯と鼻がまあ綺麗に折れちまったようでなぁ」  そこから先は簡単に思い描く事が出来た。  事件に激怒した判事が、私財を投げて褒賞金を釣り上げたのだ。 「絶対に吊るしてやるから、死んでも生け捕りにしろ!」とまで言ったとも囁かれるほどであるから、その怒りは計り知れない。 「ひょっとして、さっきの早漏になってたのも」 「かも知れんな。それで臍を曲げて出てきてくれればもうけもんだろうしよ。ホラ、受け取れ」  差し出された小切手をタクミは丁寧に受け取ると懐へしまう。  礼を言ってお暇しようとした矢先、保安官が思い出したように尋ねてくる。 「そういや、こいつの他に仲間はいなかったか?」 「何人かいましたけど、賞金がかかってたわけでもないので、縛っておいてきましたよ」  連れて来ても良かったのだが、馬車と馬の負担になるので、強盗・野盗は身一つで荒野へ放逐の慣わしに従ったのだ。  もっとも、見える範囲には武器を置いてきたので、運がよければ助かっている事だろう。 「は~、若いのに見事なもんだ。俺もあやかりたいもんだね」 「保安官としてその発言はどうなんですか?」 「そりゃそうだがよ。張り合いってもんがな。欲しくなる時もあるんだよ」  保安官はそう言って溜め息をつきながら椅子に大きく腰掛け、デスクに両足を乗せる。 「ま、そいつもお前のおかげで次の巡回までは幾分ましだがな」  親指を突き立てて鉄格子を差し保安官は口を尖らせる。  長年貯まった鬱憤はそうそう晴らしきれないようだ。  タクミは苦笑いを返し、お暇しようと帽子を上げて会釈する。  途端に、彼を押しのけるようにして年配の女性が駆け込んできた。 「ほほほ、ほあ、保安官っ!」 「どわっ!?」  驚きあまって保安官は椅子ごと引っくり返る。 「どうかしたんですか?」  代わりにタクミが血相を変えた女性へ事情を尋ねる。  血の気の多い者達が集まるこの町で、こうもあたふたしている相手を見るのは実に珍しかった。 「それが、その、案内所でお客さんがっ」 「んだよ、客が倒れたなら医者でも呼べばいいだろう」  這い置きながら、保安官はそう一蹴するが、女性は首を大きく横に振る。 「いえ、その、もう私達ではちょっと手に余って――いいから来て下さいっ」  そんな女性の様子に、保安官の顔も少しずつ緩みだす。  どうやら、よほど厄介な手合いが彼女の職場に押しかけてきているらしい。 「面白そうじゃねえか。俺が必要だってんなら、喜んでいってやるぜ」  そこからの彼の行動は迅速だった。  トイレへ行ったと思えば先ほどまで崩れていた制服を調え、ロッカーからライフル銃を取り出し肩に担ぐ。  金庫、銃のロッカー、留置部屋と鍵を全てかかっているのを確認すると、帽子を目深に被ると、女性の方を力強く叩いた。 「さあ、行こうか」 「こ、こっちです!」  促され、保安官は事務所を出て行く。入り口の階段を下りた所で彼は突然タクミの方へ振り向いた。 「おい、お前っ」 「え、あ、はい」 「感謝するぜ。お前のおかげでツキが回ってきたぜ! また顔を出せ。コーヒーくらいはくれてやるぜ」 「期待しておきます」  軽く手を振って返すと、今度こそ保安官は馬車の案内所へ向けて走り出した。  タクミも事務所の中を今一度見返す。別段、義理があるわけではないが、気になるところがないかを確認する。  鍵はしまっているし、ジャックは両手を縛られたままなので心配はないだろう。  入り口は完全に解放されているが、この町で保安官事務所を襲う輩は早々出没する事も無い。  もう立ち去っても大丈夫だと確信したところで、タクミは事務所を後にする。  腹に何か入れておこうかと思いつつ道路に出た所で足を止めた。  何かが引っかかる。 (案内所って言ってたな)  先ほどの女性が保安官に助けを求めに来た時の事を思い出し、彼は乾いた笑いをこぼす。  このガラナで案内所と言えば客馬車のものしかないのだ。  そして客馬車と言えば、彼には非常によく思い当たる節があった。 (杞憂であってくれればいいんだけど)  面倒そうな客の顔を拝むだけで済む事を祈りながら、タクミは保安官達の後を全速力で追いかけた。  保安官に数分遅れで客馬車の案内所前へとやって来たタクミは、中から漏れる覚えのある声に肩を落とす。  保安官まで駆けつけたとあって、野次馬が集まり始めていた。  タクミはその隙間を器用にすり抜け、難なく案内所の中へと入る。 「馬も馬車も予備があるのに、何故利用する事ができないのか、と言っているのだ」 「何度も申し上げています通り、タルタマに続く橋が修理中でして」 「ルミズイまで続く道は一本ではあるまい。道は必ず繋がっているものだ」  案内所の入り口側で、カウンターを挟んで見知った顔が押し問答の真っ最中であった。  案内所の所長だろう。大人しそうな性格の、腹が少々でかかった男性が、汗を拭きながら根気強くベスと論を交わしていた。 「ええ、ええ、それはまあ。ですから、ご説明したとおり、後三十分ほどお待ちいただいて、キルトスやスダインの川をお渡りいただく、南巡回の馬車にお乗りいただければルミズイまで別段、問題なくご案内できます」 「だが、その南回路では七、八日かかると言ったではないか。それでは話にならんのだ」 「東回路であれば確かに三、四日で着きますが、肝心の橋が壊れていると、先ほどから申し上げている次第です」 「その橋を渡らなければならんと言う事はないだろう? それとも普段使わない道以外は何もわからんと言うのではないだろうな?」  タクミは暫く黙って聞いていたが、聞けば聞くほど不毛だと感じてくる。  堂々巡りも良い所で、なるほど、これには案内所の人も参るわけだと納得する。  ベスは決して口調が荒いわけでもなければ、案内所の人に力尽くで無理を迫っているわけでもない。  単純に納得が行っていない、それだけだ。  双方が方向の違う道理を説いているのだからまとまるものもまとまらないのは当然である。  意気揚々と乗り込んできたはずの保安官もさすがにこれでは手の出しようもないのだろう。しかめっ面で肩をすくめ、文字通りお手上げだった。 (ルミズイ、か)  ベスの目的地を知り、タクミはふと頭をめぐらせ、うんと大きく頷くと、ベスに声をかける。 「ベスさん」 「うん、タクミじゃないか」 「なんだ、知り合いか?」  いぶかしむ様に二人を見据える保安官へ曖昧な笑みを返し、タクミは彼女の腕を取る。  ベスはすかさず眉根を寄せた。 「急になんだ?」 「ちょっと来て下さい」 「今は大切な話をしている所なんだ」 「それも含めてます。いいから」 「いや、何が、おいっ」  振り解こうとするベスの腕を掴む手に力を込める。  あまり好きなやり方ではなかったが、彼女は結構頑固な所があるのはわかっていたので、これしか思いつかなかったのだ。  彼女は驚き、なんとか踏みとどまろうとするが、タクミはそのまま強引に引きずって行く。 「ここは僕が預かるという事で」  保安官にそう告げると、彼は間の抜けた声で「あ~、まあ、いいか」と応える。  事務所の職員達もどこかほっとした面持ちで彼らを見送った。 「どうもすみません、お騒がせしました」
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