5人が本棚に入れています
本棚に追加
第四話 天の神様
一
「とうさんって、『父親』に向いてへン云うか……」
元妻Aの十歳七カ月の長女は、元養父に対する五年にわたる精察の結果を、そんな辛辣とも取れる云い回しで披瀝した。
午前九時四一分――。
弁護士Kは、長女の薄紅色の唇から紡ぎ出される、次の言葉を待つ。
――『お父さん』に真実を話してもらう為には、あなたの協力が、必要なんです
先ほど、彼女は、目の前に座る華奢な女の子を一個の完成された人格として遇し、全霊を込めて自らが信じる道筋を提案し、協力を要請した。
その言葉に嘘偽りはない。
だが、何故、小学生の子供にここまで期待し、協力を渇望しているのだろうかと、疑問に思う『覚めた己』が居る。
まるで何かに突き動かされでもしたかのように語りかけたことに、『驚く自分』が居る。
この感覚に、女弁護士は、覚えがある。
そう、今朝のことだ――。
十年も前の記憶が、雲が湧き立つように、突如、想起されたときに味わったあの不思議な感覚ととても似ている――。
弁護士Kは、そう内観する。
一方、自らが発した言葉に、少女もまた自身の思いを全て曝し、応えてくれようとしている――。
そんな予感が、弁護士Kにはあった。
「馬券買う為に、会社のお金ェ、『横領』しはったりィ……負けが込んでバレそになったら、私の貯金に手ェつけてェ、穴埋めしようしはったりィ……」
その言に、長女の長身の叔父が、目を見開く。
「……それでも足らへンかったらしうてェ……副業でモデル事務所したはる得意先の人ォ――それってさっき会おたバーコード・オジサンやねンけどォ――に、『銀カノン』チラつかせはってェ、お金ェ、無心しはったりィ……」
有能なる新人秘書が、ピクリと肩を揺らす。
「もう、ほんまァ、往生際が悪い云うかァ、ジタバタ騒いで、トコトン、テッテーテキに、チカライッパイ、事態を悪化させる云うかァ……」
非道い話なのだが、長女の声は銀鈴の音ように軽やかで、ひとつの罪を隠そうと新たな罪を次々と重ねる男の愚昧さ、その愚かな男に振り回され、ついに婚姻関係の破綻と養子縁組の解消に至った『元家族』の哀切は、微塵も感じられない。
寧ろこの発言に動揺し、衝撃を受けたのは三人の大人達であった。
少女の隣に座る元義弟は、「うっ」と短く、くぐもった声音を上げるや天を仰ぎ、ノートパソコンに向かう秘書Mは、ブラインド・タッチの手を止め、朝一番の予定外の訪問者と被告人Xとの特殊な関係を知った弁護士Kは、理知的な瞳で少女をまじまじと見つめた。
「総務部長さんは、会社資産を損壊されるという被害にあったにも関わらず、『被告人』の身柄の拘束を解く為に必要な『身元引受人』に名乗り出てくれた方です。今朝もその件でお見えになったのですが……その総務部長さんと『被告人』との間に、そんなことが?」
驚嘆する女弁護士に、元妻Aの長女は、五月の連休前にあったと云う父子の会話について話をした。
「……その後、とうさんが黙って外へ出て行かはったンは、バーコード……総務部長さんに会う為やったと思います。その一カ月後にあたる六月二日に、先ほどお話しした通り、得意先の接待とか云うてェ、遅ォに帰って来やはりました。それまで接待なんてェ、いっぺんだってしたことなかったのに……。思うんですけどォ、その相手って、総務部長さんだったンと違うやろかァ? スーツに染み付いた匂い、同しなんです。今朝出くわした、煙草のヤニで真っ黄色な歯ァしたはる総務部長さんと……」
そう語る少女に、隣席の背の高い青年が、同意を示した。
「ああ、俺も感じた。なんやァ、お香みたいな……独特な臭いしよったなァ? あのオッサン」
「そうそう、お香。そんな感じ」
姪は、叔父の言葉に肯くと、再び視線を女弁護士へと向け、言葉を継いだ。
「そしてもし――事件のあった十月五日の夜に、『重要な打合せ』がある云うて、とうさんが会わはった人が、総務部長さんやったとしたら……」
少女の囁くような問いかけは、ある『仮説』を強く示唆していると弁護士Kは、思った。
「あっ、そうか。先生――」
そのことに気付いたらしい秘書Mが、女弁護士に声をかける。
「もしそうなら、六月二日と十月五日――二度に渡るセラフィムの所持に、ある共通点が見いだせる、ということになりますね」
弁護士Kは、婉曲的に、総務部長氏がセラフィム所持に何らかの関与をしている可能性について、言及した。
例の『休眠倉庫の件』も含めて裏を取る必要があるな、と女弁護士は思った。
三人の大人達は、互いの顔を見つめ合った。
元妻Aの長女は、そんな反応を横目に、まるでサイコロを転がすかのように、話題をクルリと転じる。
「『反面教師』って言葉、最近、習ォたンです。『小公女』に登場するいけ好かないラビニア・ハーバートの話しで盛り上がってたら……担任の先生が、教えてくれはりました」
級友との会話を思い出したのか、長女は、ひとつクスっと笑った。
「せやけど、反面教師、云うたら、誰を差し置いても、とうさん。ラビニアも、ミンチン先生も、敵わへン。ホモ・サピエンス史上最強の反面教師――それが、とうさんなんです。『父親』には全然向いてへン人やけどォ、いろォんなこと、教えてくれはりました。その最たるものが、天網恢恢」
天網恢恢――。
弁護士Kは、十歳の少女が口にした古代の哲人の言葉と、今朝、彼女の記憶層から突如去来した、十年以上前に父親から聞いた言葉との関連を想起し、体が奥底から震え出すような衝撃を覚えた――。
いったい、何が起きているのだ、此れは偶然なのか、と。
「私、『天の神様』って信じてるンです。目ェには見えへン、耳には聞こえへン、せやけど、みんなの直ぐ側におってくれはって、偶然を引き寄せて、『天の意思』を示してくれはる神様」
天の神様――。
弁護士Kは、疑いを知らない純粋な子供だからこそ、『天網恢恢』と言う言葉からそのような超越的な存在を連想し、幼い、そして原初的な信仰心を抱いたのだな、と思い込むことにした。
偶然と云う言葉を自分が思い描いた途端、少女が偶然と云う言葉を口にしたのは、偶然に違いない、と必死に、無理矢理にでも、思い込むことにした。
「だから、こう思てました。事件の始まりとなった尾灯の整備不良。これって単なる偶然なんやろかァ――て」
少女は、ちいさな右掌を差し出すと数を「ひとつ」と数えるように、親指を折る。
「裸でお風呂に乱入した妹とじゃれて、珍しく長湯したはるかあさんに代わって電話とって、ああ、これは絶対出なあかんヤツやわァて思たのもォ――」
人差し指が、それに続く。
「今日の先生との面談が、龍おじさんの契約更改の日と重ならはったのもォ――もっと云うたら、球団本部の隣のビルに勤めてはる先生が、父の事件、担当されたはるのもォ――」
中指、薬指が一気にたたまれる。
「さっき、総務部長さんと出くわしはったンもォ、本当に、本当に、単なる偶然なんやろかァ……て。どれもこれも、『天の神様』が、偶然を引き寄せはったンと違うやろかァ……て」
長女は、右拳をギュッと握ると、足元に置いていた淡い菫色のランドセルを膝の上に抱き寄せるや、中からお手製と思しき、やはり淡い菫色の巾着袋を取り出した。
「そのこと、これから確かめてみよォ、思います。『天の神様』に、聞いてみます」
二
元妻Aの長女はそう云うと巾着袋を開き、中から色とりどりのサイコロを取り出した。
一辺の長さが五ミリ程のそれは、白、紅、碧、黄、翠、桃の六色に塗り分けられていた。
その形状は特異で、立方体ではなく、正八面体――ピラミッドを二つ、上下逆さまにして合わせたような形――をしていた。
「おい、ギン……ええのンか、それ使て?」
弁護士Kには、何が始まるのか全く理解出来なかったが、長女の隣に座る長身の叔父は、これから為されることを予見したかのように、姪を小声で制した。
「大丈夫、龍おじさん。これは、私利私欲やあらへんもン。とうさんの為やもン」
穏やかな口振りで応じる少女の言葉は、謎に包まれており、弁護士Kの理解を助けるどころか、困惑は一層増すばかりだった。
そもそも、「天の神様に聞いてみる」とは、どういうことか?
占いでも始めようと云うのか――?
疑問に疑問を重ねる女弁護士の前で、長女は、小さな両掌でサイコロを包み込むと、ジャラジャラと揺すり出した。
「先生、一から八までで、好きな数字、一つ云うてみて下さい」
突然、長女にそう振られた女弁護士は、一瞬戸惑うも、請われるまま誕生月である『五』を告げた。
「ほな……『天の神様』、お願い致します。先ほど申し上げた私の考えが正しく、『神様が全部引き寄せはったこと』ならば、全ての目ェが『五』です。私が、間違っていたのなら、他の数字です」
少女は、掌を開き、サイコロを放った。六個の正八面体が、乾いた音と共に会議机の上で弾け、踊り、動きを止めた。
そして――。
弁護士Kは、我が目を疑った。
白五
紅五
碧五
黄五
翠五
桃五
全ての目が、『五』であったのだ。
「え?」
女弁護士は、思わず声を上げ、机上のプラスチック製の物体をしばし凝視していたが、胃の腑から消化液が逆流したかのようなムカつきを覚えると、この不快感を分かち合おうと、隣に座る七つ下の秘書を見やった。
然し、秘書Mは、呆けることも、胸焼けに苦しむこともなく、いつのまにか立ち上げた『表計算ソフト』に向かって、軽やかなタッチで数値を幾つか入力しているところだった。
「正八面体のサイコロを六つ同時に投げたときに出る目のパターンは、八の六乗……二十六万二千百四十四通りもあります。それなのに、一回投げただけで、宣言した通りの目を引き当てました……動画で見たときは、ひょっとしたら編集かな? とも思ったんですけど、うーん、こうして目の当たりにすると……もう驚きです」
秘書Mの発言から、いま目の当たりにしたのは、呆れるほど小さな確率で起きた事象であることを弁護士Kは、理解した。
その一方で、『動画』と云うのは、いったい何のことかと疑問を持つ。
例のミュージック・ビデオの中で、サイコロを振っているとでも云うのだろうか。
「また動画?」
「ギンちゃんと妹ちゃんがYouCube上で配信しているチャンネルがあるんですよ。例の美人元妻のFacehooKにリンクが貼ってあって、自分も最近、知りました。チャンネル名は、『ユキポン超能力研究所』――世界征服を企むアイザック・ユキポン博士とその助手ギンちゃんが、来るべき大戦に備え、主にサイコロを使って透視、未来予知、瞬間移動などの超能力を研究する……といった内容の動画です。最新の投稿では、魔法少女見習いユッキーナという新キャラが登場して……あっ、すいません、とにかくそんな動画です」
秘書Mは、脱線しかけた説明を早口で終えると、今起きた事象と宝くじの確率との比較を言及してみせた。
「ジャンボ宝くじの一等が当たる確率は、たしか二千万分の一ですから……それと比べたら、低いっちゃ、低いですけど……」
相変わらずの博識ぶりを披露する秘書Mの、独白めいた呟きを聞いた長女は、ニコリと笑うや、動画視聴の礼を述べると共にさらに二度サイコロを振ることを提案し、速やかに実行に移した。
二度目は、秘書Mが口にした『三』を神に伺い立て、三度目は、二人が指定した数の和である『八』を天に宣い、それぞれ第一投と同様の結果を得た。
即ち、二六万二千百四十四分の一の確率でしか発生しない事象が、三度連続で起きたのである。
「うーん、これって……およそ一京八千兆回に一度しか起きないことですよ……先生、もう、絶対あり得ないことです」
怯えるように振るえる肩を両掌で押さえながら、秘書Mは、そう計算結果を伝えた。
しかし、弁護士Kの理性は、その意味を理解することを拒絶する。
帝国の国家予算は、一般会計と特別会計を合計するとおよそ三百兆円である。一京八千兆とは、その六十倍に相当する途方もなく巨大な数値だ。
そんな数を分母とする確率は、限りなく零に近い。
だが、いま目の前にその殆ど零と思われた事象が、現出した。
女弁護士は、先ほど感じた衝撃に再び襲われた。
いったい、何が起きているのだ、と。
弁護士Kは、正八面体のサイコロを手に取ると、何度か転がしてみた後、何の変哲もない遊具であると結論付けた。
たったいま遭遇した、一京八千兆分の一とか云う馬鹿馬鹿しいほど零に近い確率で起きた事象について、合理的な解釈をつけることを放棄した女弁護士は、お手上げの状態で、少女を質した。
「あなたが云うところの『天の神様』が、物事が生起する確率を操作して、偶然のように思える事象を引き寄せた、と云うことですか? ギンちゃん?」
長女は、その問いかけにゆっくりと肯いた。
長い睫毛で縁取られた怜悧な瞳に、蛍火を思わせる淡い菫色の冷光が一瞬燦めいたかのように、弁護士Kには思えた。
「その通りです、先生。これではっきりしました。天網恢恢奇奇怪怪――とうさんは、天の神様が広げはった網に、ついに捕らわれてしもたンです。きっと神様が、『オッサン、ええ加減にしなはれ!』って怒らはったンやと思います。そして、いろォんなこと、引き寄せはったンです。真実を明らかにして諫める為に……」
弁護士Kは、喉が干上がるような乾きに襲われた。
「このサイコロの目のように……? 尾灯の故障も? 私の電話が繋がるタイミングも? 全て引き寄せられた?」
弁護士Kの自問自答するかのような言葉に、「あっ」と小さく叫ぶ秘書Mの声が重なった。
「先生、『月刊リーガル・ジャーナル』様の担当者さん……あの突然の発熱も……あれもですよ!」
弁護士Kは、有能なる秘書の指摘に一つ身震いすると、襲い来る怖気を断ち切るかのように、少女の隣に座る被告人Xの元義弟へと視線を向けた。
「あなたのご意見もお聞かせ願えませんか?」
一連の出来事を見守り続けるかのように沈黙を守っていた青年は、女弁護士に促されると、発言を始めた。
「先生が、今しがた云わはった通りです。『天の神様』とこの子が呼ぶ何かが、確率を操作し、偶然を引き寄せることで『ある意思』を示しはったンですわァ」
そう応えると、青年は、傍らの少女に目線を送った。
「この子と俺の実家、『若月』は、代々、母方の血筋で家を継いで来た旧家らしねンですけどォ……不思議な力を持った女が、よう産まれて来はるそうなンです。三年前に亡ォなりましたけどォ、この子の曾祖母もその一人で、おんなしように、『天の神様』と通じる力を持ったはりましたァ……。お二人は、気色悪ゥ思わはったかも知らへンですけどォ、ばあちゃんは、その力を『銀の力』云うてはりました。天に輝く銀色のお月さん。そこに住んだはる神さん……月夜見さまとお繋がりするのンが、銀の力やァって」
元義弟は、過ぎし日の光陰に想いをはせるように、宙を見つめた。
「ばあちゃんが、使てはったんは、サイコロやなしに『鹿の骨』でした。それを火ィに炙らはって出来るヒビで、天候とかァ、米の作付けとかァ、無くし物の所在とかァ、浮気の相手とかァ、赤ん坊の名前とかァ……郷の者に請われる度に、いろおんなこと、『占って』はりましたわァ……」
それだけ語ると、もう云うべき事は無いとばかりに、青年は再び口を閉ざした。
弁護士Kは、この場に集う三人の顔をゆっくりと見渡した後、息を吐き出すようにして呟いた。
「天之道、繟然として善く謀る……ということね……何が起きているのか、未熟な人間には計り知れない……か」
自らに云い聞かせるようにそんな言葉で結んだ女弁護士は、ついに一つの結論に達した。
この出会いは、偶然ではなかったのだ――と。
『月刊リーガル・ジャーナル』の編集女史が高熱を発したことも、通話拒否の嵐をかい潜り長女と電話で会話したことも、もっと遡れば、『帝国司法支援センター』から二カ月ぶりに『国選』の事案を打診され、受諾したことも、全て偶然ではなかったのだ、と。
少女と、その長身の叔父と、総務部長氏と自分は、今日、出会うべくして出会ったのだ――古代の哲人が『天之道』と呼び、父が、森羅万象を律する霊妙なる『理』と呼び、少女が、『天の神様』と呼ぶ何かに引き寄せられて。
被告人Xが、ひた隠している『真実』を白日の下にさらす為に……。
弁護士Kは、遂にそう悟った。
元妻Aの長女は、散らばったサイコロをかき集めながら、言葉を紡ぎ始める。
「先生……私は、とうさんの裁判でできる限りの寛大な判決を『勝ち取る』ことなんかに、興味はありませんし、協力する気ィもあらしません。これっぽっちも、ミジンコの毛ほども、ないないナッシングです」
武利天語を用いて、己が想いを大地に叩きつけるように吐き出した長女は、ここでいったん小さく息を継いだ。
「私は……とうさんには、もうジタバタしんと、洗いざらい、ほんまのこと白状して、『罪に相応しい罰』を、キッチリ、キッパリ受けてもらいたいと思てます。それで、一からやり直して欲しいんです……そしてもし、赤い六芒星なんかに手ェだした理由が、私……銀カノンにあるンやったら……とうさんに謝りたいとも思てます。警察でも、裁判所でも、どこへでも行って! それで良かったなら、それでもええなら、うち……先生に、協力させて貰います!」
少女は、そう力強く断言すると、弁護士Kの顔を真っ直ぐ見つめ直した。
その凛とした佇まいは、まるで小さなサムライだな、との印象を弁護士Kは強く抱いた。
「お前やっぱり……オトコマエやわァ、ギン」
傍らに座る長身の叔父は、そんな言葉で姪を評した。
三
「せやけど、元義兄さんに、『見え見えの嘘ほざいてンと、ええ加減ほんまのこと吐いたらどないやねン!』と直球で攻めたところで、簡単に口割るとは思えへンなァ……なァ、ギン?」
午前九時五七分――。
龍おじさんは、のんびりとした口調で問題の本質を突いた。
その語り口は、ギンに語りかける形を装ってはいたが、その実、弁護士先生に突きつけたサイドスピンが効いた質問状だ、とギンは見抜いていた。
「目先の損得勘定でしか、あの御仁は動かへン。捜査に協力して、ややこしィ話に巻き込まれる事と、刑が多少でも軽ゥなる事、このふたァつ、天秤にかけよるやろなァ……裏にヤバイ連中、いてはるかも知らへンのやろォ?」
即ち、ゆっくりした球速ながら、右打者の内角を鋭く抉る――。
「……刑務所の外に出た後のことまで考えたら、『ギンには嘘つかれへン、天の神様が全てお見通し』と判っていても……こらァ、難しィなァ? なァ、ギン?」
そう結んだ龍おじさんは、五分ほど席を外し、何処かに電話をしていたらしい弁護士先生にチラリと視線を向ける。
「ご察しの通りです。『セラフィム』売買の背後に、反社会的勢力が存在することは、確実です。報復を恐れ、『入手ルート』を供述しないのは、むしろ普通の反応と云えます」
弁護士先生は、あっさりと龍おじさんの指摘を認めた。そのあまりにも潔いよい物云いに、タイタンズのエースは驚いたように、ギンには見えた。
「では、ちょっと視点を変えて、別の攻略法を探ってみましょうか――本件で際だって特異なのは、総務部長さんの存在です。社用車を損壊されたにも関わらず、『被告人』の『身元引受人』に名乗りを上げられ、今日も難航している保釈手続きを早急に進めるよう、檄を飛ばしにお見えになりました。普通では考えられない行動、熱の入れようです。ここまで『保釈に拘る理由』が何なのか? 私としては、そこに非常に興味があります」
弁護士先生の、余韻を含んだ物云いに、ギンは、先ほど口にしたある可能性について再び考え、確信に近いものを感じた。
やはりバーコード氏は、セラフィム所持に関わっている。天の神様に聞いてみなァ、あかん、と。
「保釈が進まないのは、『弁解の虚偽性』を裁判所も問題視しており、『証拠隠滅』の可能性を考慮されている為なのですが……その旨、総務部長さんにご説明申しあげたところ――」
「非道いこと、云われへンかったァ? 先生?」
(お父さんの担当弁護士は、若いオンナでね、まあ、ミテクレはいいかも知れないが、私に云わせれば、それだけしか価値が無い、中身の伴わない低能だ。全く、オンナって言う生き物は、須く仕事が遅くていけない)
ギンは、バーコード氏が撒き散らした、あの忌々しい、穢れた台詞の数々を思い出し、女弁護士を気遣った。
オンナの端くれとして、バーコード氏は、絶対に許せない、と思った。
「それをなんとかするのが、私の仕事だろうと、たちまち激昂されました――まるで、痛いところを突かれたと云わんばかりに……『証拠隠滅』という言葉に反応して」
女弁護士は、ニッコリと微笑むと、その後の顛末を明かした。
「その後は、声を荒げ、恫喝し、机を叩き、そうそう灰皿を投げつけて――当たりはしませんでしたけど――まあ、絵に描いたようなワンサイド・ゲーム。弁護士相手に大胆な方です。因みに、いま申しあげた行為は全て、刑法二〇八条・『暴行罪』に抵触します」
「えっ! 先生、そんな事があったんですか?」
秘書さんが、雅な顔を歪ませて、叫んだ。
「うん。秘書課の朝礼中にね。ちょっとだけ、聞いてみる?」
先生は、そう云うと手元のケータイを、細い指で数度タップした。
たちまち、聞くに耐えないだみ声が、執務室に響き渡る。
「未成年の方も居ますのでこのへんで。警告し、お帰り頂きましたけど……なんと総務部長さん、今度は、白昼堂々、小学生の女の子の腕を掴み、突き飛ばすという狼藉を働きます。その映像は、うちの優秀な秘書が、撮影をしております。私が駆けつけたときには、カメラを担いだ報道関係者を含む群衆に囲まれ、写真を何枚か撮られていたようでしたが?」
女弁護士は、龍おじさんに視線を向け、確認するように云った。
「ええ、馴染みの記者も何人か居てはりましたわァ。先生、なんなら画像、手ェに入れましょかァ?」
龍おじさんが、凄みのある笑みを浮かべながら応じた。
「ありがとう御座います。ですが、現段階では、必要ありません。社会的地位のある総務部長さんのことですから、きっと今頃、猛省されていることでしょう。こんな詰まらないことで逮捕され、隠し通していることが露見でもしたら堪らない、と思っているのかも知れません。さて、そろそろかな?」
弁護士先生が、そう語り終えた途端、執務室に電話の着信音が鳴り響いた。
秘書さんが執務机へと素早く移動し、応対する。
短いやり取りの後、送話器を手にした秘書さんが、女弁護士を呼ばわる。
その表情は、驚きに満ちていた。
「先生……バーコード禿・オジサンからです」
「総務部長さん、ね。使う言葉は正確に――それで?」
「はい。今朝の無礼極まる行動および発言について、是非ともお会いして、『お詫びと訂正』をしたいとのことです。『なんであんなマネをしたのか、自分でも信じられない。無我夢中で、訳もわからず……』と」
「そう。じゃ、直ぐに会いましょう」
弁護士先生は、そう指示を出すと、目を丸くして事態を見守るギンと龍おじさんに、悪戯好きな少女のような笑みを投げかけた。
その表情に唖然としながらも、ギンは、秘書さんが口にした『無我夢中で、訳もわからず』と云う表現に、引っ掛かりを覚えた。
お巡りさんを殴ったとうさんも、同じような供述をしていた事を思い出したのだ。
(天の神様が……二人に、そないな行動しよるよう、仕向けはったンや……私が、先生の電話、絶対でなアカンやつやわァって、理由も無く、突き動かされるように、強く思ったみたいに……)
『天の神様』は、ヒトの行動を操作する。
そう確信するギンに弁護士先生は、突然もたらされた電話のタネを明かした。
「帝都警察本部の『管理官』に知り合いが居りまして……。その知人に先程連絡して、動いてもらったんです……」
弁護士先生の『知り合い』は、バーコード氏におよそ次のような内容の電話を入れた筈だと云う。
・貴殿を加害者とする被害届けが二件出された
・いずれも『暴行罪』だ
・一件については、証拠の音声があり
・一件については、目撃情報が寄せられている
・物証がある以上、有罪確定は間違いない
・二年以下の懲役刑が、待っている
・明日朝九時に帝都警察本部刑事部の何某まで出頭したまえ
知らぬうちに被害届を出したことになっていたギンは、苦笑いを浮かべた。
全く、「仕事が遅い」とは、誰に対しての弁か? 光の速さで袈裟斬りにされているではないか? バーコード氏は。
「総務部長さんは、先ずはミテクレだけの、低能で、仕事が遅い女弁護士に形だけでも謝罪して、被害届を取り下げさせようと考えているのでしょう。さて、これから現れる総務部長さんに、『罠』をしかけます」
女弁護士は、澄ました顔でそう短く断言した。
四
「へ? 罠?」
ギンは、頓狂な声音を上げた。
「六月二日に為されたであろうセラフィムの供与について、総務部長さんを問い質します。但し、ギンちゃんから聞いたことは伏せ、『被告人』が、『自白』したことにして」
弁護士先生は、穏やかに微笑む。
「シラを切るようなら、先の映像をネタに『マスコミが騒ぎ、公開処刑が下される』と、煽りに煽ります。それでも否定するようなら、『暴行罪』で本当に突き出すまでですし、セラフィムへの関与を正直に認めるようなら、話を聞いた上で、捜査関係者に身柄を渡します」
「ひでェ……どう転んでも警察沙汰やないかァ……」
龍おじさんは、バーコード氏の近未来を想像したらしく、絶句した。先生は、その言葉をうっとりするような微笑でもって包み込む。
ひょっとしたら、今のは最高の褒め言葉だったのかもしれないな、とギンは思った。
「では、『謝罪会見』の前に仕込みをもう一つ。ギンちゃん、お願いがあります。『天の神様』に、お伺いを立てて頂けませんか?」
先生は、そんな前置きの後に、バーコード氏が役員を努める会社の『休眠倉庫』の使用目的について、先生が『想像』するものかどうか、ギンに確認を依頼して来た。
ギンは、肯くと、天の神様に宣うや速やかにサイコロを振り、ある『結果』を得る。
先生は、満足したように力強く肯いた。
「なる程、やはりそう云う事でしたか。よし……と。細工は流流、仕上げを御覧じろ……ですね。こうした上で、先ずは総務部長さんと面談し、その後に『被告人』と接見したいと考えております。ギンちゃんと総務部長さんから得られた情報でもって説得を試みますが……おっしゃる通り、反社会的勢力からの報復を心配されているとしたら、天秤をこちら側に傾ける為の『決め手』に欠けるかもしれません。ここが勝負どころだと心得てはおりますが……ギンちゃん、いかがですか?」
弁護士先生は、そう結ぶと、目の前に座るギンに視線を据え、意見を求めてきた。
「うん、とうさん、不安で、不安でたまらへンと思う。せやから、これ役たつやろ思て、持ってきてン」
ギンは、菫色のランドセルを再び開けると、掌に収まるほどの大きさの三枚の紙片を取り出し、そのうちの二枚を
「これ、とうさんと、先生に」
と云いながら女弁護士先生に、残りの一枚を
「これは、龍おじさんに。学校へ電話してくれはったお礼」
と説明しながら崇敬する叔父に差し出した。
「なんですか?」
ヌーディ・ピンクに彩られた指先で、先生は、紙片を摘み上げた。
隣の秘書さんが、身を乗り出すようにしてそれを覗き込む。
「礼やなんて、みずくさいこと……うん?」
「これって、ロト6の……引き換えカード?」
龍おじさんと秘書さんが、ほぼ同時に声を上げた。
「うん。当選発表は、今日の午後六時四五分。せやから換金は、明日以降で。あっ、高額当選やからァ、宝くじ売り場やなしにィ、銀行の窓口行かなァ対応してくれへンねンてェ。そうそう、そんときになァ、印鑑と身分証明書、必要になるみたいやねン。せやから、それも忘れへンように……。それと、『有効期限』云うもんが……」
世話好きな性格が顔を覗かせたらしく、微に入り細を穿った説明を始めるギンを、女弁護士が、慌てて制した。
「ちょ、ちょっと待って下さい、ギンちゃん。これって、宝くじなんですか?」
「はい。ロト6」
ロト6とは、一から四三までの数字の中から、数字を六つ選び、その数字の当たった数に応じて賞金が配当される、いわゆる数値選択式宝くじの一つである。
「当選発表は、今夜ですよね?……なのに、まるで当たりくじのような口振りでしたけど?」
弁護士先生は、何事かを予見したらしく、おそるおそるといった口調で、そう質した。
「だって一等やから、それ」
ギンは、そんな女弁護士に、何を判りきったことを聞くのだ、と云わんばかりに、あっさりと断言する。
「いまキャリーオーバー中ですから……一等の配当は、六億円。当たりが三本だと仮定すると……これ一枚で、二億ですよ!」
ノートパソコンで検索したらしく、配当予想を秘書さんは読み上げた。
その声は、二億のところで裏返る。
「おい、ギン、まさか力、使たンか? あかん違うのンか? それ?」
何が為されたのかを察した龍おじさんが、こちらも慌てたように口を挟む。
「大丈夫。私利私欲やあらへンもん。とうさんの為やもン。銀の力はなァ、本来、誰かを支えて、再生させる為の力やのン。それが、月の満ち欠け……死と再生を象徴しはる『天の神様』――月夜見さまが、望んだはることやのン。せやから、問題なんて、ないないナッシング」
ギンは、武利天語を交えながら澄まし貌で応えつつ、言葉を続けた。
「小心者のとうさんの事やからァ、いま色ォんな事、心配したはると思う。お仕事の事とかァ、マンションの毎月の家賃の事とかァ、さっき云うたはった暴力団の人の事とかァ……。自業自得かも知らへンけど、そんなことで、いっぱいいっぱいやと思う。難しい事、いっさい、なあんにも、考えられへンくらいに――」
ギンは、ふっと冷めきった笑みを浮かべる。
「せやから、これプレゼントしよ思て……お金あったら、なんとかなるやろ? セーラ・クルウかて、資産家の共同経営者さんと出会ォたからこそ、あの『ミンチン学院』の屋根裏部屋から、外の世界へ旅立つこと出来はったンやしィ……。お金が『全て』やあらへン、そら勿論やけど、お金は『大事』。せやからこれ、とうさんへのプレゼント。かあさんとの豪華温泉旅行は、どこぞのアホなオッサンのお陰で流れてしもたからァ、その代わりに……五年間育ててくれはったお礼を込めて……私の『反面教師』へ、プレゼント」
最初のコメントを投稿しよう!