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第五話 情状立証
一
『道路交通法違反』、『公務執行妨害』ならびに『麻薬取締法違反』の罪に問われたとうさんの初公判は、帝紀二六七六年十二月十四日の午後三時から、帝都地方裁判所第五四一号法廷にて開催された。
法廷の重いドアを体全体で押すようにして開けたギンは、五十席ほどある傍聴席の間を足早に移動するや、最前列右端に用意されていた関係者席に菫色のランドセルをギュッと抱きしめながら座った。
「遅なってしもたァ。かんにん」
開廷後一時間を経て突如現れた小学生の女の子に複数の好奇の視線が向けられたようであったが、ギンは意に介さず、隣席の長身の叔父に囁くようにそう告げた。
「いや、グッドタイミングや。見てみィ」
龍おじさんが顎で指し示す法廷のクリーム色の壁には、七十インチはありそうな液晶ディスプレイが傍聴席から見て左右に一台ずつ設えられていた。
その壁のディスプレイには、検察側が提出した証拠の一つであろう『赤い六芒星』の画像が映し出されている。
ギンが、六月三日の朝にとうさんのスーツから見つけた物と色と形は云うに及ばず、透明フィルムを使ったパッケージの仕方まで同じであった。
事前に、弁護士先生から『第一回公判期日』の流れを教えて貰っていたギンは、
・人定質問 : 裁判官による被告人の特定
・起訴状朗読: 検察官による罪状の明確化
・冒頭陳述 : 検察官による事件の概説
――を経て、「検察側の証拠調べ」が始まっていることを、その映像から知った。
「いま提示した『セラフィム』は、あなたが所持していた物で間違いないですか?」
四十歳ほどに見える銀縁の眼鏡をかけた男性検事さんが、炭灰色のスーツに身を包んだとうさんに向けて既定の事実を確認するような物云いで問いを発した。
「はい」
まるで高校球児のように髪を短く刈り上げたとうさんは、口を真一文字に結び、その後に続く検察官の言葉を神妙な面持ちで聞き入っていた。
ギンが、とうさんの姿をこうして見るのは、拘置所を訪ねたあの日以来二カ月振りのことである。
検事さんは続いて、
・現行犯人逮捕手続書
・実況見分調書
・薬物鑑定書
・供述調書
等々と云った『書証』を提示し、口早に書類の要旨を『告知』していった。
(逃げたらあかん、あかん……ねン)
とうさんが、事態を「ジタバタ騒いで、トコトン悪化させる」経緯が、次々と動かぬ証拠によって明らかにされる様に――そう、偶然にも――遭遇する事となったギンは、菫色のランドセルをギュッと抱きしめながら、検事さんの硬質の声音に聞き入った。
程なく検察側の証拠調べが終わり、いよいよ弁護側の証拠調べ――『情状立証』――が、始まった。
二
「弁護人は、『証拠説明』を始めて下さい」
裁判長の厳粛な声音が、『第五四一号法廷』に響き渡る。
濃紺のパンツスーツに身を包んだ弁護士先生は、やおら立ち上がると、とうさんが書いた反省文を『弁第一号証』として提示、その要約を『陳述』した後、損壊した車輌の所有者である帝都中央運輸サービス社と示談が成立したこと、改悛の心情を表すために贖罪寄付を行ったこと、馬券を買う為に利用していたネット・サービスを退会したこと、『ギャンブル障害』と診断され、その治療を始めたこと、勤め先から解雇され、既に『社会的制裁』を受けていること、等々の事実を、
・弁第二号証 示談書
・弁第三号証 贖罪寄付証明書
・弁第四号証 退会処理通知メール
・弁第五号証 診断書
・弁第六号証 懲戒解雇通知書
と云った関係書類を『弁号証』として提示しながら、次々と明らかにしていった。
事故車両の『修繕費』、帝都中央運輸サービス社への『慰謝料』、帝国弁護士会贖罪基金への『寄付金』、『医療費』および生活の糧を失ったとうさんの当面の『生活費』には、例の二億円――
「元義兄さんに、そないな大金ポンっと渡したらァあかんて! 先生、頼ンます、管理しはってください」
との龍おじさんの嘆願が尊重され、資金の存在は曖昧にされたまま、財布の紐は弁護士先生が固く、固く、握っている
――の極々一部が、早速活用された。
その考え抜かれた使途は、
「情状心理形成の一助になる筈です。ギンちゃんの云う通り、お金が全てではありませんが、お金無くしてこれらの手は打てませでした。ギンちゃんのお陰ですね」
――と、語る弁護士先生の発案によるもので、思いがけず褒められたことも加わり、ギンは、おおいに満足していた。
『証拠書類』および『証拠物』の説明を淡々と続けていた弁護士先生は、
「裁判長。弁第七、八、九号証については被告人の『再犯防止と更生』に深く関わるものである事から、情状証人への主尋問の中で明らかにしたいと考えます」
と『証拠説明』をいったん切り上げる旨、提案をした。
「検察側のご意見は?」
裁判長が、透かさす銀縁眼鏡の検事さんの意向を尋ねる。
刻を置かず、「同意します」との返答が返って来ると、弁護士先生は、「予定通り」と云わんばかりに軽く肯くや、ギンに目配せをした。
「いよいよやわァ」とギンは、お腹に力を込める。
「では続いて、『証人尋問』に移ります。弁護側の証人は、証言台の前へ――」
正面の壇上に座を占める三名の裁判官のうち、真ん中に座る一番年かさで、一番厳めしい顔をした初老の男性――裁判長である――が、そう厳かに宣った。
ギンが証言台に立つことは事前に申請され、弁護側の唯一の『情状証人』として裁判所により『採用』されていた。
「ほな」
「おう、しまっていこう」
龍おじさんに送り出されたギンは、素早く立ち上がると菫色のランドセルを背負い、近づいて来た廷吏さんの案内に従い、傍聴席から中央の証言台の前へと移動した。
低い響めきが、背後から湧き起こる。
「静粛に――」
裁判長が発した注意を耳にしながら、背から降ろしたランドセルを証言台の椅子の上に置いたギンは、『証人出頭カード』と『宣誓書』に記入、押印すると、長い睫毛に縁取られた瞳で正面を見据えた。
職業欄に、一瞬の戸惑いの後に『小学五年生』と書いたギンは、帝国領内の全小学五年生の代表になったつもりで、背筋を伸ばし、裁判長に負けないくらい厳粛な声で宣誓した。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」
三
「証人と被告人との関係を教えて下さい」
「元長女です」
ギンは、右手に立つ弁護士先生の質問に、正面に顔を向けながら、努めて端的に応じた。
(顔は裁判官の方を向いて、聞かれたこと以外、余計なことは喋ったらあかん……)
証言台の椅子に座ったギンは、先生から教えられた、『証人尋問』における注意点を心の中で反芻する。
故に、離婚に伴い『養子縁組』が解消されている事には、言及しない。
「被告人が勾留されている間、面会には行きましたか?」
「一度だけ行きました」
目的は、弁護士先生と共にとうさんを『説得』する為に。だが、枝葉の事象は、聞かれるまで話さない。
「そのときの様子を、教えて下さい」
「私が訪ねて来るとは思ってなかったみたいで、とっても驚いたようでした。それから泣きながら、『迷惑をかけた、反省している』、と謝罪されました」
「これまで、被告人が泣いているのを見たことは?」
「ありません。だから私もびっくりして……もらい泣きしちゃいました」
大の男が小学生の娘の前で、恥じ、泣き、猛省した――。
そんな一連の事実を裁判官に伝え、改悛の心情を印象付けるべく、企図・準備された質疑である。
弁護士先生は、小さく肯く。
(さあ、これからが、本番やァ)
ギンは、次の作戦に移るのを前にして、小さく深呼吸した。
弁護士先生とギンは、これから『セラフィム』の入手経路について、これまで繰り返してきた
「競馬場で、見知らぬ人物から貰った」
とする供述を翻し、ついに真実を語り、捜査に協力しようと考えるに至ったとうさんの心情の変化を、この法廷で再現しようと考えていたのである。
「他にどんな話をしましたか?」
「総務部長さんが、急にお亡くなりになったことを伝えました」
「その方は、『帝都中央運輸サービス』の元取締役総務部長さんのことですか?」
「はい」
あの日――。
ロト6の当たりくじを三人の大人達に披露したギンは、十五分ほど経過してから、秘書さんの案内のもと、龍おじさんと共に別室へと移動した。
室内には、会議机の上に大きなディスプレイが用意されており、その画面には、新たな訪問客――『お詫びと訂正』の為に馳せ参じた総務部長さんことバーコード氏――と対峙する弁護士先生の姿が、複数のカメラによって映し出されていた……。
* * *
「いや、先ほどは、大変な失礼を……」
『被害届け』を取り下げさせようと必死のバーコード氏は、氏の個人史上ベスト・ワンであろう低姿勢でもって話を切り出した。
その出鼻――。
謝罪の言葉が口腔内で未だ形成されないうちに、弁護士先生は、絶対零度の刃でバーコード氏の舌根を斬り裂いた。
「被告人が、吐きました」
自白しました、でもなく、供述しました、でもない。「吐きました」という表現にギンは、驚いた。
「あなたとの関係を。全て――」
その効果は、絶大であった。
バーコード氏は、
「ふえ?」
と、ひとつ言語に成らぬ音声を発するや、口をあんぐりと開け、細い目の奥の眼球を左右に激しく動かした。
広い額には、たちまち玉のような汗がフツフツと湧き上がる。
「ま、まさか……」
動揺した口から飛び出したのは、まさかの「まさか」であった。
「まさか?」
「い、いや。な、なんのことでしょうねェ、わ、私にはサッパリ……」
しどろもどろでシラを切ろうとするバーコード氏を、弁護士先生の冷淡な声が制した。
「なんのこと? セラフィムを被告人に供与した件です」
弁護士先生は、問答無用といった勢いで、はったりをかませた。
「あなたが余りにも被告人の保釈に熱心なので、いくつか調べさせて頂きました。うちの秘書は優秀でして、あなたの会社の遊休資産――T区の休眠中の倉庫――に、数ヶ月前から外国籍とみられる複数の男達が、夜間に限り出入りしていると近隣住民の間で噂になっていることを突き止めました。偶然ですが、すぐ近くに住んでいるのです」
単なる偶然ではない。
『天の神様』が引き寄せたのだ、とギンは思った。
「入退室用のセキュリティ・カードを使用しているところをみると会社関係者のようだが、風体は、如何にもいかがわしい。夜間に限って車両の搬入出もある。この報告は以前から得ていたのですが――被告人の自白で合点しました。捜索を入れたら面白いものが出てくるんじゃあ、ありませんか? 『赤い六芒星』とか?」
バーコード氏は、分厚い唇をワナワナと振るわせた。
その表情の変化を観れば、誰もが図星と捉えるであろうと、ギンは、思った。
もっとも弁護士先生は、この『謝罪会見』に先立ち、休眠倉庫の使用目的について、『天の神様』にギンを通してお伺いを立てていた。
即ち、絶対的な確信をもって先生は、『罠』を仕掛けたのだ。
故に、続く言葉は、強気も強気であった。
「この情報は、捜査関係者に提供済みです。あなたがシラを切るのは勝手ですが、被告人が自白した以上、捜査の手は、直ぐにでも及びますよ? そして『証拠隠滅』を防ぐ為、あなたは、この場で別件逮捕される。二件の暴行の容疑で――」
弁護士先生は、たたみ掛けるように言葉を継ぐ。それは、最悪の未来予想図であった。
「被害者の一人は、あの銀カノンさんです。『帝都タイタンズ』の若月選手が、姪御さんを守らんとあなたと対峙する瞬間を――偶然にも――カメラが撮らえてもいる。マスコミが喰らいつき、『公開処刑』されるのは必至でしょうね……。もしあなたが罪を認め、自首をするのなら、二件の暴行罪については被害届は取り下げますし、捜査機関には、あなたの事情を斟酌するよう可能な限り働きかけます。さあ、三秒与えます。どっちが得か考えなさい」
弁護士先生が、そう冷然と突きつけた瞬間――まるで機を測ったかのように――秘書さんに案内されたスーツ姿の男性が二人、部屋に入ってきた。
私服警官だとバーコード氏は、察したのだろう。がっくりと項垂れると、声を絞り出すように、ポツリと云った。
「自首……します」
肥満した躰をぶるぶると震わせ始めたバーコード氏は、嗚咽と慟哭を交えながら供述を始めた。
「わ、私は、副業の……モデル事務所の、資金繰りに困り……ヤミ金融に手を出し……そして……セラフィムの製造に、うちの倉庫を……(ううう)……密売に……(はああ)……関与しました。思うに、連中は最初からそれが目的で、私に近づき、貸付を……(くうう)」
「ヤミ金の貸付行為は、民法九〇条『公序良俗違反』により無効です。また、ヤミ金からの貸付金は、民法七〇八条『不法原因給付』に該当し、あなたに返還の義務はありません。既に弁済した金があるのなら、それは民法七〇三、七〇四条『不当利得』と為るため、あなたには『返還請求権』があります。大丈夫、やり直せます。あなたが望むなら、刑事と民事双方から相談にのりますよ?」
弁護士先生は、穏やかな、諭すような声音でバーコード氏に語りかけた。
「え……?」
弁護士先生の言葉に目を見開くバーコード氏を、二人の刑事さんらは左右から挟むようにして帝都警察本部へと連行して行った。
秘書さんが、その後に続く。
一人残った弁護士先生は、やおら立ち上がると、隠しカメラの一つに向かって、小さくVサインをしてみせた。
そのおよそ一時間後――。
帝都拘置所に到着したタクシーからギンと龍おじさんが降り立ったその時、弁護士先生のケータイが、着信を知らせた。
トートバッグからケータイを取り出し、耳を当てる先生の表情が、みるみる青ざめて行く。
「総務部長さんが、たった今……お亡くなりになったそうです」
バーコード氏は、帝都警察本部へと移動する為に警察車輌へと乗り込んで間もなく、突然、意識不明、心肺停止状態となり、ただちに病院に搬送されたものの、救命措置のかい無く死亡が確認された、とのこだった。
死因は、脳出血――。
脳内に仕掛けられた動脈瘤と云う名の時限爆弾が、偶然、『爆発』したのだった。
四
「被告人は、総務部長さんの死を聞いて、どのような様子でしたか?」
「驚いた顔で、『殺されたのか?』と聞いてきました」
「殺された? 証人は、なんと答えました?」
「脳出血だよ。脳の血管が、破裂したんだよ。なんでそんな怖いこと聞くの? と答えました」
「被告人は、なんと?」
「声を低めて『あの人は、怖い人達と付き合っていて、その人達とトラブルがあって殺されたのかと思った……』って。そして、『そうか、死んじまったのかあ……』と、なんだかホッとしたように云いました」
「証人は、それを聞いてどう思いましたか?」
「セラフィムを『競馬場で貰った』なんてミエミエの嘘つくのは、これが理由なんだな、と思いました。セラフィムをとうさんにあげたのは、総務部長さんに違いない、と思いました」
ここでギンがそう考えた理由は、敢えて語らないし、弁護士先生も質問しない。
理由もなく、子供ながらそう直感した、との空気感を醸すだけで押し通す。
「それから?」
「あの赤い錠剤をとうさんにくれたのは、総務部長さんなんでしょ? とうさん正直に話して。天の神様が、見ているよ? と云いました」
ギンが、このとき指摘したのは、六月三日の朝にとうさんのスーツから見つけた大量のセラフィムのことであり、とうさんもそのつもりで応じている。
「すると……目を見開いて、震えながら、何度も、何度も肯きました」
この瞬間、ギンは、確信する――。
とうさんは、『天の神様』が、総務部長さんに死を賜ったと考えていることを。「次は、自分じゃないのか?」と怖れていることを。
「そして、『わかった、正直に話すよ。とうさんのお客さんは、年配で、お金持ちの方が多いから、そんな人達相手にサプリだと偽って無料で配れって云われたんだ。いったん受け取ったんだけど、とうさんやっぱり怖くて、出来なくて、例の百三十万と一緒にクスリを返したら、まあ、一つくらい持っていろっ、共犯者の証だ、このこと喋ったら会社に居られなくなるし、奥さんと娘さんも無事じゃないからな? と云われたんだ』と、囁くような小声で答えました」
とうさんが返した『百三十万円』の出所は、かあさんである。
理由を全く云わないとうさんに、かあさんは、祖母――ギンにとっては、曾祖母――の遺産である有価証券を売却して資金を調達すると、『離婚届け』と共に、とうさんに突きつけたのだ。
かあさんは、このことをつい最近まで黙っていた。
「それから、どうしました?」
「謝りました。私が、総務部長さんのモデル事務所と契約していれば、お金の問題も解決して、セラフィムなんかに巻き込まれなくて済んだんでしょう? ごめんなさい、とうさん、ごめんなさい、て……」
ギンの悲痛ともいうべき声音が、法廷に響き渡る。
とうさんが今回しでかした違法薬物の所持は、「自らと家族の生命を守る為に、止むを得ずなされたもの」であることを、ギンは一連の会話を詳述することで裁判官に訴えかけたのである。
ギンは、検察側が提出した『供述調書』では、この「脅迫され、嫌々ながら」と言う背景が欠落していると弁護士先生から伝えられていた。
とうさんには、『罪に相応しい罰』をきっちり、徹底的に受けて欲しいと強く願うギンであったが、一方で、真実は包み隠さずに、公平に明らかにするべきだと考えてもいた。
故に、自ずと声にもお腹にも力が入り、熱も帯びる。
「とうさんは、『ギンちゃん違うよ! 違うんだ!』と、びっくりするくらい大きな声で、否定しました。そして、『とうさん、いまギンちゃんに話したこと、ちゃんと検事さんにも伝えるから。天の神様に睨まれたんなら、もう逃げれやしない。だから、そんなふうに自分を責めるのは、止めなさい。悪いのは、全部とうさんなんだからね?』って、なんだか学校の先生みたいな口調で云いました」
ホモ・サピエンス史上最強の『反面教師』やのにィ、との台詞を飲み込んだギンは、横目で左手を見た。
先ほどの『証拠調べ』で発言していた銀縁眼鏡の検事さんは、無表情である。
拘置所での会話は、通常、録音・録画されると云う。
即ち検察官は、父子の会話を知っていた可能性が高い。
それにも関わらず、真実を語るに至った背景を正確に記述しなかったのは、とうさんの情状に有利に働く材料であったからだろうと云うのが、ギンの理解である。
「この手の『作文』は、ままあることです」
とは、弁護士先生の言葉である。
その意図的に隠されていた事実が、いま裁判官の前で明らかにされた――。
ギンはひと仕事やり終えた気分であった。
「最後に、お金のことは心配しないでね、と云いながらロト6くじを見せました。当選発表は今晩だけど、天の神様に聞いたから、きっと一等だから。マンションの家賃とか、光熱費とかこれで払っとくから安心してね、何も心配ないからね? だから、本当の事、ちゃあんと話してね? と念押しして別れました」
とうさんが、検察官との面談を希望し、セラフィム入手経路の真相を供述したのは、その直後であったという。
「裁判長、ここで『弁第七号証』を示します」
弁護士先生は、裁判長に顔を向けると、先ほど休止した『証拠説明』を再開した。
秘書さんが、透かさずノートパソコンを操作し、ディスプレイに映像が映し出される。
「ただ今の証人の証言にあった、ロト6くじ引き換えカードです。証人が被告人との面会を終えたおよそ七時間後に当選発表が行われ、証人が予言した通り、一等に当選しました。この回の一等賞金総額は、六億円。当選本数三本とも証人が購入したものです。即ち、この引き換えカード一枚は、二億円で換金されます」
弁護士先生が、涼やかな声音で淡々と事実を述べると、傍聴席から再び、前回に勝る響めきが沸き起こった。
「静粛にっ――」
裁判長は、鋭い一声を発すると、女弁護士に視線を向けた。信じられない、と云いたげな表情を浮かべている。
「弁護人は、続けてください」
蛇足とも思える『弁号証の提示』は、弁護士先生の拘りの表れであった。
この潤沢な『資力』無くして、これまで陳述した情状心理形成の為の諸策や、これから言及する『とうさん更生・再生計画』は、到底実現し得なかったのだから。
「はい、続けます。証人は――」
先生は、視線をギンへと再び向けた。
いよいよ最終ステップであった。
ギンは、『主尋問』の論点を練る際に、弁護士先生が語ったある言葉を思い出していた。
* * *
「裁判官、そして検察官が、一番知りたいと思っていることはね、ギンちゃん? 被告人の『再犯防止と更生』に向けて、今後、離婚後五カ月を経た元家族が、どのように関わって行くのか、と云うことなんです。果たして被告人を監督する意思はあるのか? あるとしたら、その具体的な計画――再び同居して生活を監視するとか、それは無理でも、週に何度か様子を見に行くとか、毎日電話を掛けるとかね――そんな具体的な計画を有しているのかを知りたいと思っている筈なんです。そんな『担保』があってこその、『情状酌量』なんです」
* * *
弁護士先生は、最後の仕上げとばかり、その点を質問してきた。
「……証人は、この賞金六億円の一部を、これまで被告人の保釈金、慰謝料、修繕費、贖罪寄付金、医療費および保釈後の生活費などに充ててきましたね?」
「はい」
小学生の子供でありながら経済的支援を充分過ぎるほど行っていることを、弁護士先生は、敢えて強調する。
「では、今後はどうでしょう?」
先生は、ここで一拍置く。
「証人は、離婚したお母さんと暮らしていますね? そのような状況にあって、証人もしくはお母さんが、『元ご家族』として『再犯防止と更生』に向けて、被告人を『監督』することは可能ですか?」
ギンは答えた。そして力強く、斬り捨てた。
「無理です。かあさんは、とうさんに、すっかり、ほとほと、徹底的に、愛想を尽かしています」
五
「私自身は、とうさんが、やり直せるなら、お手伝いしたい……と云う気持ちはあります。ですが、今は離れて暮らしていますし、私は、まだ子供です。四六時中、生活態度を監督する、と云う訳には行きません。月に何度か、週末に様子を見に行く……ぐらいのことは出来るかも知れませんが、お酒とお金にだらしない人ですから、それだけでは不十分かも知れません。職場の方のサポートがあれば良いのですが、生憎、今は解雇され、無職です」
法廷内の誰もが「真っ当な意見だ」と感じたことだろうと弁護士Kは、思った。
そして検察官が、「やられたッ」と腹の中で舌打ちしているであろう、とも。
たった今、少女が自問自答してみせた事柄は、すっかりそのまま、検察側が『反対尋問』で指摘して来るであろう攻撃ポイントであったのだ。
少女は、『敵の攻め』を闘いが始まる前に封じ込めたのである。
(それにしても、たいした子だ……)
事前の打ち合わせ通りとは云え、弁護士Kは、今更ながら舌を巻く。
帝都地裁第五四一号法廷は、今や間違いなくこの小さな主演女優の一人芝居の舞台と化し、全聴衆が、その一挙一動に引き込まれている。
「だから……会社を起業しました。『ミッドナイト・リバース』社と云います。リバースとは、厚生、再生あるいは逆転と云う意味です。とうさんには、そこに住み込みで働いてもらい、職場の方のサポートも得ながら、『再犯防止と更生』に向けて監督を行います」
「会社を起業? 住み込みで働く? いったいどのような?」
女弁護士は、裁判官そして検察官の心情を代弁するかのように、困惑を装いつつそう質す。
「私が住む賃貸マンションの一階に、大家さんが経営するコンビニ『セブン・アイランズ』が――偶然ですが――入居しています。母も、翻訳業の仕事をしつつ週に二日、夜勤のパートで働いてます。実は、大家さんは健康上の理由から、フランチャイズ契約の更新期限である来年三月でもって店を閉め、田舎で療養される意向です。その店舗を継続させる為に『新会社』を設立し、マンションの建物と土地を買い取りました。社長は私、副社長は、母と……叔父です」
元妻Aの長女は、「叔父」と云う前に、一瞬であったが言葉を詰まらせた。
「店舗継承の話をセブン・アイランズ本部にしたところ、たいへん乗り気で、契約も締結済みです。従業員の皆さんには、とうさんの事を話し、理解と賛同を得ておりますし、事情を知るご近所の方々も、お店が継続すると知り、安堵されてます。三方一両損ならぬ三方一両得の大岡裁きです」
長女は、打合せにない洒落を口にすると、薄紅色の唇に微笑を浮かべた。
「裁判長、ここで『弁第八号証』および『弁第九号証』を示します。証人が設立した新会社の『定款』及びセブン・アイランズ本部と交わした『フランチャイズ契約書』です」
弁護士Kは、すかさず『証拠物』を提示した。秘書Mも阿吽の呼吸で、画像を切り替える。
あの『銀カノン』が、オーナーを務める実店舗が、開店する――。
この『爆弾』がもたらす経済効果を皮算用したのであろう。
FC本部の担当者は、端から見ていても大乗り気で、話はトントン拍子で進んだのだった。
あたかも、目に見えない何かに突き動かされでもしたかのように――。
「証人のお母さんは、被告人に愛想を尽かしているとのことでしたが、被告人と同じマンションに住み、同じ店舗で働くことに抵抗はないのですか?」
「離婚してますから法的には他人です。なので家族としては『無理』だけど、副社長と平社員の関係なら『有り』だそうです」
その余韻を含んだ云い回しに、弁護士Kは、複雑な女心を垣間見た気がした。
「では、被告人の『再犯防止と更生』に向けた体制については、問題ありませんね?」
「はい。ありません」
元妻Aの長女は、今度こそ力強く断言する。
弁護士Kは、満足げに肯くと、裁判長に向かって言葉を発した。
「只今の証人の証言にもありました通り、被告人にセラフィムの『販路拡大』を教唆した帝都中央運輸サービス社の元役員は、既に死亡しております。また同社の休眠倉庫にてセラフィムの製造を行っていた一団は、過日、一斉検挙されました。被告人と違法薬物を繋ぐ接点は、既に断ち切られている事、『赤い六芒星』の製造元の解明は、被告人の真摯な協力なくして、為し得なかった事、この二点を敢えて申しあげ、弁護側の『主尋問』を終わりとします」
弁護士Kは、そう明言すると自席へと戻った。
「続いて、検察側の『反対尋問』を始めて下さい」
裁判長に促され、四十歳ほどに見える男性検察官が、やおら立ち上がる。
(さあ、どう出て来る?)
弁護士Kは、卓上の水を口に含みながら検察官へと鋭い視線を送る。
検察側による『反対尋問』の目的は、端的に云えば――
「情状証人が、被告人を監督することは出来ない」
――この一点を裁判官に訴求すること、それに尽きる。
今回、被告人Xの『元長女』は、わざわざ会社を設立し、被告人の『再犯防止と更生』に向け、従業員も交えて真っ正面から取り組むと云う前代未聞の『再生・更生計画』を提示した。
店内に設置された複数のカメラが、被告人Xを徹底的に監視しうる、『コンビニ』と云う業態を選んで――。
弁護士Kは、あの日の少女の提案を想起する。
* * *
「先生、コンビニって、ほら? お酒扱ォたはるしィ、競馬新聞かて何紙も置いたはるしィ……それに、レジ開けたら現金じゃぶじゃぶやしィ……。『業務上横領免許皆伝』、『夕方五時からハッピーアワー』のとうさんにしてみたら、もう誘惑だらけ。理想郷!」
そんな物騒な枕で語り出す少女の表情は、嬉々とさえしていた。
「せやけどォ、ミュージック・ビデオの撮影ンとき、教えて貰たンやけどォ、監視カメラでレジの手元、しっかり映したはンねやってェ。しかもなァ、日に五回、レジと金庫、点検する決まりがあるもンやからァ、悪いことしはっても、数時間後には、証拠映像付きで、しっかり、きっぱり、バレてまうンやってェ……」
店舗のいたる所に存在する監視カメラは、来店客の万引きのみでなく、従業員の不正防止にも活用されているのだった。
内部統制の仕組みとしては、全くもって正しいと弁護士Kは、思う。
「あんなァ、先生? これってとうさんの性根叩き直すのに、ピッタリの環境やと思わへン? 刑務所なんかに入るより、よっぽど?」
* * *
(さあ、どう切り崩す?)
弁護士Kが、固唾を飲んだ瞬間――。
男性検察官の口から発せられた言葉に、女弁護士は我を疑った。およそ、前例に無いことであったからである。
「御座いません」
証人に深々と一礼して着座する。
その時、目線が交わり、検察官は、弁護士Kに向かって小さく肯いた。
それは、果敢にも証言台に立った十歳の少女への敬意の表れのように、彼女には、思えた。
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