5人が本棚に入れています
本棚に追加
第六話 再現実験
一
動画の再生ボタンをタップした弁護士Kは、スーパードライのロング缶へと手を伸ばすや、その軽さに「チッと」舌打ちした後、さて、三本目に手を出そうか否か、しばし酒の神と対話を試みる。
そして二秒後、彼女は、キッチンへと向かうため腰を上げる。
* * *
上手から、淡い桃色のアフロ・ヘアに同じ色の口髭、丸眼鏡に白衣といった装いの、四、五歳ほどの幼女が表れる。
同時に、下手からは、空色のアフロ・ヘアに蝶のような形をした同色の舞踏会マスク、こちらもやはり白衣をまとった、小学校中学年と思しき女児が登場する。
二人とも長い睫毛に縁取られた、二重の大きな瞳が印象的で、一見して姉妹と知れる。
「帝国臣民の諸君。ようこそ我が研究所へ。吾輩が、超能力研究の世界的権威、IQ九億八千万の天才、アイザック・ユキポン博士であーる」
妹が、重々しく宣う。
吾輩という一人称と、語尾に「あーる」を付けるのが、幼女が作り込んだキャラクターの特徴のようである。
「いつも『ユキポン超能力研究所』をご視聴いただき、ありがとう御座います。ボクが、助手兼太陽系最強のエスパー、天の神様の使用人ギンちゃんです」
姉が、カメラに向かって丁寧にお辞儀をする。こちらの一人称は、ボク。
「博士、今日は、とうさんの初公判でしたね?」
「うむ。ギンちゃん、ショーニンジンモンご苦労さまなのであーる。ただ、吾輩も行きたかったのであーる」
「始まったのは、午後三時でしたから……博士、おやつとお昼寝の時間でしょ?」
「うむ。おやつの後のお昼寝は、美容と健康に欠かせないのであーる」
画面下に、透かさずテロップが表示される。
** 博士の個人的な感想です **
「ところで、ギンちゃん。とうさんの罰は、決まったのであーるかな?」
「いいえ、博士。判決が云い渡されるのは、次回です。今日の初公判では、『論告求刑』と云って、検察官から、『とうさんの場合、これくらいの罰が相応しいですよ』と、裁判所に意見が伝えられました。求刑されたのは、懲役二年六カ月です」
論告求刑、懲役二年六カ月のテロップが、表示される。
「ちょーえき? ギンちゃん、それって、お尻ぺんぺんもするの?」
素に戻ったかのような口調で、超能力研究の大家はそう質す。
「うーん、どうでしょう? 多分、するんじゃないかなァ……?」
助手は、自信なさげに、そう応じる。
「二年六カ月も? ぺんぺん?」
IQ九億八千万の天才は、恐れおののき、助手を見上げる。
「うん。ぺんぺん」
博士と助手は、しばし見つめ合い、同時にカメラに視線を送る。
「悪いことをしちゃ、ダメなのであーる」
「ダメ、絶対!」
ここで、正八面体のサイコロが転がる映像が、アイ・キャッチとして挿入され、次のパートが始まる。
「ところで、ギンちゃん」
「はい。博士」
「今日の裁判の様子が、ネットで記事になっているのであーる。タイトルが、怪しいのであーる」
「ああ、『天の神様、法廷に降臨?』って、記事ですね。実はですね、証人尋問の最後に、裁判長から、天の神様の事とか、ロトくじの事とか、いっぱい質問されました」
「ふむ。ギンちゃんが、一等を当てたくじであーるな?」
「それです。その流れで……再現実験をすることに」
「再現実験? 裁判所で? サイコロ振ったの?」
「はい。どうやって六つの当たりの数字が判ったのか? と聞かれて……」
「振っちゃった?」
「はい、振ってきました」
「ギンちゃん、裁判所で振っていいのは、五年二組の田中とコアラのマーチだけなのであーるぞ?」
「いや、どっちもダメですから。博士、ちょっと、やってみましょうか? 同じこと」
「うむ、吾輩も見たいのであーる。今回のテーマは、これ! せーの」
「未来予知第二弾! ロト6を当てちゃったぞ!」
二人が唱和し、実演パートが始まる。
* * *
弁護士Kは、動画を一時停止させると、冷蔵庫から本日四本目――いや、日付が変わったので記念すべき一本目――のスーパードライを取り出した。毎度のことながら公判直後は、酒量が増える。
女弁護士は、麦のジュースを喉に流し込みながら、前代未聞の展開を見せた、『補充尋問』の記憶を想起した。
二
検察官による『反対尋問』が、「御座いません」のひと言で終了すると、
「では、裁判所から質問します」
との前置きの後、裁判長による『補充尋問』が始まった。
(ラスボス登場、云うことやろかァ?)
ギンは、長い旅路の果てに、終に地下迷宮を統べる魔王と邂逅した勇者よろしく、背筋を伸ばし、小さな拳をキュッと握りしめ、気を引き締める。
「――証言の中で、『天の神様』なる言葉が、何度か登場しますね? 天の神様が見ている、天の神様に睨まれたら逃げれやしない、天の神様に聞いてみた……などです。さて、そこで証人に質問します。天の神様とは、いかなる存在なのでしょう? 先ずは、その点を明らかにして下さい」
裁判長の問いかけに、ギンは、驚き、戸惑った。
天の神様というキーワードに裁判官が真っ正面から対峙し、並々ならぬ拘りでもってその存在に肉迫して来るとは、思ってもいなかったからだ。
弁護士先生との事前練習でも、「間違いなく無視されるでしょう」と判断され、想定質疑から除外されている。
「母方の曾祖母は、このように教えて下さいました……。目ェには見えへン、耳にも聞こえへン。せやけど、すぐ側におってくれはって、偶然を引き寄せることで、『天の意思』を示してくれはる存在――それが、天の神様やァ、と」
然しながら、ギンの返答は、淀みない。常々大切にしている言葉であり、思い出であったからだ。
「偶然を引き寄せ、天の意思を示す存在、ですか……。では、次の質問です。被告人は、この『天の神様』という言葉を聞いた途端、目を見開いて、震えながら、何度も肯き、証人に真実を語り始めた、と云うことでしたね? この様子を目の辺りにして、証人は、どう思いましたか?」
「きっと、『天の神様』を怖れているのだな、と思いました」
ギンは、あの時に感じた思いを正直に話した。
「怖れる理由は、何でしょう?」
「総務部長さんが、急にお亡くなりになったからです。『天の神様』が、偶然を引き寄せて、脳の血管を破裂させたと考えたのだと思います。『ああ、次は、俺の番かもしれない』と」
「即ち、死を怖れた……と。『供述調書』を精査しただけでは、得られない知見ですね。証人は、いかがです? 被告人と同じように考えたのですか?」
「はい。このままでは、とうさんも死んじゃう、と思いました……だから、本当のことを話してと、訴えました」
ギンは、そう応えたが、心の中の秘密の部屋に、別の解釈を隠し持っていた。
ギンは思うのだ――バーコード氏は、とうさんに真実を自白させる為のミセシメとして、天の神様によって殺されたのではないかと。
弁護士先生が言及した、目先の損得勘定でしか動かないとうさんの「天秤をこちら側に傾ける為の決め手」として――。
「被告人と証人が、何故そこまでして天の神様なる存在を信じて疑わないのか……理解に苦しむ、と云いたいところですが、一方で、偶然を引き寄せる力が発揮されたと推定するに足る事実が、『弁号証』として提出されてもいる」
裁判長は、弁護士先生へと視線を移してから、再び、ギンを見据えた。
「故に、この困惑の元凶であるロト6くじ一等当選の件でお聞きします。証人は、『天の神様に聞いた』と証言していますが、どのようにして六つの当たりの数字を知ったのですか? 目には見えないし、耳には聞こえないのでしょう?」
裁判長は、また別の視点から天の神様を炙り出す問いを発して来た。
ここに来て、ギンの世話好きな性格が、顔を覗かせる。
「サイコロが教えてくれます。あのォ、口で説明するよりも、宜しければ、ご覧に入れましょうか? 道具はありますし、準備を含めて三分もあれば、済みますが……」
この回答と提案に、初老の裁判長は、初めて戸惑いの表情を浮かべる。
「サイコロ……? この場で、同じことが実施可能なんですか?」
「はい」
ギンの迷いない発言に裁判長は、しばしの逡巡の後、左右の陪席判事と小声で会話を始めた。
そして、正面に向き直る。
「裁判所としては、刑法第六六条に規定する『酌量減軽』の是非を判断する為には、被告人に死を意識させ、改悛を促したとする『天の神様』なる存在をより深く理解する事が、大前提と考えます」
裁判長は、ギンと弁護士先生の双方に視線を送った。
「被告人の反省の度合い、今後の更生の可能性を見極め、『矯正施設』の必要性を判断する為にも、証人による再現実験を希望しますが――検察官のご意見は?」
裁判長に問われた検察官は、即答する。
戸惑いや、躊躇いなど一切感じさせない、潔さすら感じさせる口振りで。
「然るべく」
然るべく――これは、「裁判所が、然るべく判断して下さい。検察官は、反対致しませんので」といった程の意味の『公判用語』である。
「弁護側は、いかがですか?」
裁判長は、弁護士先生に水を向ける。
「同じく。証人のお手伝いを致します」
斯くして――帝都地方裁判所第五四一号法廷にて、ロト6くじ一等当選の『再現実験』が行われる運びとなったのである。
三
「証人が購入したロトくじの当たり数字は、次の六つです」
法廷の壁のディスプレイに、ギンが購入した引き換えカードが再び表示され、弁護士先生が六つの当たり数字を読み上げる。
〇一
一二
二五
二七
三九
四二
「ロト6は、一から四三までの数字から六つの数字を選択し、その数字が、この当たり数字と一致すると賞金を得られる『数字選択式くじ』のひとつです。因みに、六つ数字が全て一致する確率は、およそ六百万分の一です――」
続いて画像が切り替わり、秘書さんの手元にある、ギンが色画用紙でつくった『盤』が表示される。
「いま、八掛ける八のマス目に、一から四三の数字を書いたペットボトルのキャップが、ランダムに置かれています。盤の上辺に紅色で、および右辺に碧色で、一から八までの数字が書かれているのが、ご確認できるでしょうか? これは、各マス目の座標を表してます。例えば、右辺の一番下のマス目は、【紅一、碧八】、左辺の一番上のマス目は、【紅八、碧一】と表記できます」
画面が切り替わり、証言台に立つギンの手元の映像を映した。
「証人の手元に、紅と碧の二つのサイコロがあります。形状は、立方体ではなく、正八面体です。即ち、出目は、一から八です」
ここまでの説明で、裁判長は、これから行われる再現実験の中身を、おおよそ理解したようであった。
「つまり、二つのサイコロの出目が、盤上の座標と対応している、と云う訳ですね?」
「その通りです」
弁護士先生は、涼やかな声音で応じる。
「二つのサイコロを同時に投げ、出目に対応する座標のキャップを盤から取り出す。これを六回繰り返します。そのキャップに記載されている数字が、当たり数字と一致するか否か……ご注目下さい。では画面を、サイコロと盤が同時に映るよう、二分割します」
秘書さんが、スマホのカメラで盤を捉える。
弁護士先生は、ギンの側に立ち、サイコロが映るようタブレットを抱え持つ。
法廷に、常に無い、熱を帯びた空気が満ちみちる。
「よく判りました。では、証人は『再現実験』を始めてください」
裁判長が、厳かに宣う。
ギンは、心の中で、いつも通り、天の神様へお伺いを立てる。
(天の神様、偶然と確率を司どる神様、お願い致します。これは、私利私欲ではありません。とうさんを再生・更生させる為に必要なことなんです……あの日と、同じ数字が出ます)
ギンは、紅と碧の正八面体を投じた。
そして――十秒も経たぬうちに結果が、出揃った。
第一投 【紅三、碧七】 〇一 結果:一致
第二投 【紅五、碧六】 一二 結果:一致
第三投 【紅六、碧一】 二五 結果:一致
第四投 【紅三、碧四】 二七 結果:一致
第五投 【紅八、碧五】 三九 結果:一致
第六投 【紅一、碧二】 四二 結果:一致
一等当選の数値が、再現されたのである。
第五四一号法廷は三度、最も長い響めきに包まれた。
「静粛にっ――」
裁判長は、傍聴席をひと睨みすると、証人台のギンへと視線を向けた。
「証人に、最後の質問をします。いま、あなたの側に、『天の神様』は、いらっしゃるのですか?」
穏やかで、品格が香る、声音であった。
「はい。居てはります」
ギンは、応える。
我れ知らず、帝国標準語ではなく、かあさんの国の言葉――柔らかい響きの月御門の言葉――が、口から漏れる。
「私の側に、とうさんの側に、裁判長さんの側に、第五四一号法廷に。神は、サイコロを振る、です」
ギンは、そう結ぶと小さく微笑んだ。
最初のコメントを投稿しよう!