k.ケント/楽園の守護者

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k.ケント/楽園の守護者

「順調かい?」  蔵書を整理していたケントは手を止めると、軋みながら開いた扉の方を見やった。 「はい、先生」  手を止めて向き直った先には、師でありこの部屋の持ち主である四本腕の獅子のような生き物が、見たことのない本を抱えて佇んでいた。朝一番で市場に行くと出ていったので、そこで調達してきた本だろう。分厚く重厚なそれらに、思わず胸が高鳴った。 「新しい本ですか?」 「古本の行商が来ていてね、西の果ての亡国の哲学書なんて珍しいものを扱ってるからついね」  気になるなら読んでもいいよ、そう言うと四本腕の獅子はテーブルに本をドサリと置いて、 「私はちょっと寝ているから、ほどほどで切り上げなよ」 と言いおいて、のそのそと寝床へと向かっていった。  ケントは蔵書の整理を切り上げるとそそくさと新しく増えた本の元へ向かった。哲学書と言っていたが異国の言葉で書かれているようで、ケントには読めないものばかりのようだ。このままでは分類もできないので師匠が起きたら聞こう。そう考えてメモを作ると本の上に置く。今は何時だろうか。おそらく丸一日をこの部屋の蔵書の整理に費やしてすっかり時間の感覚がなくなったケントは、今更空腹であることに気づき、慌てて台所に向かった。    この師匠の「家」は、住む場所であるという点でいうとたしかに家であるが、その実態は岩山にアリの巣のように掘られた広大な洞穴だ。師匠とケントはこの洞穴に二人で住み、洞穴中を埋め尽くすほどの蔵書を整理し、時に買い足しながら暮らしている。  ここは魔法塔に公認された広大な書庫の1つであり、師匠は4代目の書庫守り、現在見習い弟子であるケントはもしかしたら次の代の書庫守りだ。  書庫守りの仕事は主に本の収集、管理、貸与だ。  貸与と言っても町の図書館とは違って広く人々に貸し出すわけではない。国か魔法塔の許可証を持った人間を必要な本がある場所に案内し、写本や資料作成を許すに留まる。ここにはそれくらい貴重で、時には禁じられた本が広大かつ膨大に収められている。  書庫守りはその膨大な本の並びの全てを把握し、照会する能力が求められるため、その知識が途絶える事のないよう長命種の中から特に記憶力の優れた者、かつ書庫を守るための強い魔法が使える者が選ばれていた。  現在この書庫に在籍する書庫守りは師である獅子の獣人とその見習い弟子であるエルフのケントの二人だけだ。規模から考えるとまったくもって少ない人手ではあるが、試験をクリアし必要な資質を示せる人材がなかなか現れないのでしかたない。もうかれこれ50年ほど先生とケントのふたりだけでこの場所の本の管理をおこなっていた。  本の収集と目録の作成と貸与の際の案内は先生、目録を使用した本の整理と家事炊事雑用の類はケントだ。見習いであるケントは家事炊事の傍ら目録や語学を覚えることで少しずつ先生の仕事を引き継いでいく。このまま順当にいけば先生の後を継ぐのはケントだ。  物心ついた頃には本の虫だったケントは、この書庫に弟子入りが決まった時心の底から喜んだし、今もその気持ちは変わっていない。たくさんの貴重な本に囲まれて、先生も人格的にも勉学的にも申し分ない。  ここは楽園だ。  ケントはそう思いながら、先生と二人きりで岩山に籠もる日々を過ごしている。  食事を食べ終え、そろそろ起きるだろうとついでに師である四本腕の獅子…先生の分の食事も用意し終わったケントは、玄関の扉からそっと外を覗いた。外はもうすっかり日が暮れて、空には星と月が瞬いている。扉を閉めると、ちょうど先生が起きてきたところだった。 「おはよう、今日は一日留守にしてすまなかったね」 「いえ。先生、食事を作っておきましたので、どうぞ」 「すまないね」  先生は4本の手を器用にもみ合わせながらテーブルにつくと、ケントが用意した料理を見て目を輝かせた。パンとスープの簡素な食事だが、今日のスープには大きめの肉がゴロッと入っている。 「今日は肉だね」 「はい、この間頂いた干し肉がたくさんあるので、少し大きめのを入れました」  先生は嬉しそうに目を細めると、肉を隅に寄せて食事をはじめた。 「ところで今日持ってきた本は読めたかい?」 「残念ながら読めないものばかりでした…あっ、明日分類を教えて下さい、しまってくるので」 「そうか、まだケントには読めない言葉だったか」  あの国はもうとっくにないからね、と独りごちながらパンをちぎると、スープに浸して食べている。肉だけでなく、今日の料理を気に入ったらしい、先生は美味しいと食べるのが早くなる。ケントは先生の食事姿を見ながら内心ほくそ笑んだ。 「私はまだやる事があるから、君は寝なさい。片付けはやっておく」  今日も疲れただろう、隅に置いていた肉をつつきながら言う先生に頭を下げると、ケントは素直に自分に与えられた部屋へと向かった。    窓のない洞穴の部屋は、昼でも暗く、夜はなおさら灯りがないと何も見えない。  魔法で灯るカンテラを机の上に起き寝る準備を整えると、ケントはカンテラをベッドの上に吊るして本を読み始めた。いつもそうして、眠くなるまで本を読んで、落ちるように眠る。そして寝る直前まで読んでいた本の夢を見て、気付くと朝が来て、決まった時間に目が覚めるのだ。毎日その繰り返しだ。  明日も今日とさほど変わらない一日が待っている。  洞穴に籠もり、本を整理し、家事をしながら過ごす。他人から見たら退屈に見えるかもしれない繰り返しの日々。  でも、それでもいいのだ、ここは本があって先生がいる、ケントの楽園なのだから。  そうしていつか、ケントがこの楽園の守護者になる日もあるのだろう。  そんな事を頭の片隅で思いながら、ケントは今日の本のページをめくった。
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