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l.リー/少し不思議な話
「そういう事で、リー、しばらくは森の拠点を担当してくれ。終わったら多少早くてもすぐに帰っていいから、よろしく頼むな」
本来担当の手紙の配達屋が怪我をしてしばらく配達できなくなったそうで、普段とは違う配達エリアをしばらく持つことになった俺は、地図を頭に叩き込むと、いつもどおり黒い鳥に変身して、いつもと違う空に舞い上がった。
いつも担当しているのは街の中心方面だが、代役として訪れたエリアは街外れから連なる広大な森の奥に向かう辺鄙なエリアだ。ここは配達先が少ない分楽だけど、とにかく範囲が広い。そしてその広い中でも一番遠いところに非常に重要な拠点があり、毎日その場所への電報を届けるために、結構な距離を必ず飛ばなければならないとあって、ちょうど増員がかけられた街エリアから、ベテランでもなく初心者過ぎもしない、中堅の俺に声がかけられた。
いつもとは違う手紙配達の途中で見下ろす景色は、まばらな人家をすぎると、どこまでも続く森、森、森。普段の人がひしめく街の上を他の手紙屋と忙しなく飛び交うのと随分違う景色に、最初は物珍しさが勝っていたものの、そんな目新しい気持ちは数日で消え失せ、ただひたすらに暗い緑が眼下に続くだけの長い距離を、何通かの手紙を運ぶためだけに飛ぶ事に早くも飽き始めていた俺は、少しでもなにかの変化がないかと、眼下の森に目を凝らしつつ、拠点への配達を急いだ。
そんな日が続いたある日、いつもは一方的に届けるだけの拠点への手紙に、珍しく急ぎで返事をしなければならないらしく、追加料金での待機をお願いされた俺は、結局その日の夜遅くに手紙を受け取って拠点を飛び立ち、初めて日が沈みきって真っ暗な帰路を羽ばたいていた。遠くに街明かりが見えるから方向を見失う事はないが、夜の闇に包まれながら真っ暗な森の上を飛び続けるというのはなかなかゾッとする光景だ。遠くに、近くに、夜行獣の遠吠えが聞こえる。仮に何かの事故にあって墜落したら奴らの餌食になって終わりだろう。疲労した脳では、そんな妄想もたくましくなってしまう。早く戻って返事の手紙を担当者に渡し、家に帰りたい。そしてもう風呂に入って寝たい飯は明日の朝でいいや。そんなふうに願望を巡らせていると、ふと、まだ深い森のただ中に薄い明かりが見えた気がして、思わず飛ぶ速度を緩めた。確かに、家の灯りというほど明るくない程度の明かりが小さく灯っているのが見える。こんなところに人が?この獣だらけの夜の森に?まさか遭難者だろうか。仮に遭難者だったら街に救助を要請する必要があるだろう。先程までの早く帰りたい気持ちは一気に成りを潜め、俺は森の中の明かりの方へと進路を変更した。
光のある森の中に降り立つと、そこには火ともランプの明かりとも違う不思議な淡い光が溢れていた。否、そこには身体から淡い光を放つ小さな子供が、倒木の上に座っていた。近付く俺に気づかない様子で地面をぼうっと見つめている。光る人間なんて見たことも聞いたこともない。魔物の類だろうか。警戒しつつ、それでも小さな子供の姿で一人でいるその姿に心配の念と、多大な好奇心が湧いた俺は、最悪、魔物だったら鳥になって飛び立てばいいだけだと、ちょっとした度胸試しのつもりで声をかけた。
「なあ君」
声をかけると少年は初めてこちらに気づいたように顔を向けた。俺を目に入れた途端目を真ん丸にして硬直する姿は、とても魔物とは思えない。
「なんでこんなところに一人でいるんだ?」
子供は俺の問いかけに口を何回かパクパクすると、少し逡巡する様子を見せた後、困ったような顔をしつつ逆に俺に問いかけた。
「お兄さんはなんでここにいるの?」
言葉が返ってきた事で意思疎通が可能である事を確認した俺は、できるだけ落ち着いて答えた。
「配達のために飛んでいたら光が見えて、遭難者かと思って確認にきた。そしたら君がいた。君は何者だ?なんで君は……君は光っている?」
子供はやはり困ったような顔のまま、再び何事かを逡巡する様子を見せたあと答えた。
「おばさんと一緒に近くに住んでるの。なんで光るのかは、知らない。生まれたときからずっとこうで、おばさんは神様の…ええと、ごかごだよって言ってた」
「神様のご加護?その、おばさん…は、どこにいるんだ?一緒じゃないのか?」
「ええと、わからないの。待っててって言って、どこか行っちゃった。あと知らない人と話しちゃダメって……」
泣きそうな顔をしながら言う子供に、まさかその「おばさん」に捨てられたんじゃないかと思ったものの、迷子の可能性も否定はできないだろうと、とりあえず、一度家に返すことにした俺は、子供が光っている事は一旦横に置いて、できるだけ安心させるように笑顔を浮かべて子供に近づくと、膝をついて目線を合わせた。
「俺の名前はリー、手紙の配達をしているんだ、怪しいものじゃないよ。君の名前は?」
「ぼくはルカ」
「こんな夜にこんなところにいたら危ない、家か、街まで送るよ。家はわかる?」
ルカと名乗った子供は、不安そうに俺を見ると、また少し逡巡したあとに小さくうなずいた。
「じゃあ一緒に行こうか」
ルカに手を差し出すと、素直に手を握り返された。しっかりと手を繋いで森を歩いていく。以外にもしっかりした足取りでおそらく家への道を歩くルカと、少しでも不安を紛らわすためにと歩きながら色々な事を話した。
おばさんと二人でずっと暮らしている事、おばさんは優しい事、他の家族はいない事、生まれたときから光る事、人に姿を見られてはいけないと言われてずっと隠れて暮らしている事、街に行ってはいけないと言われている事、朝おばさんに待つように言われてからずっとあの場所で待っていた事……。
話しているうちに、まるで木々の間に隠されるように立っている小屋へと辿り着いた。頭上は大きな樹に覆われている上に、どうやら屋根にも枝葉が敷き詰められているようで、どうりでこれなら上からでも見えないはずだ。更には窓もない徹底ぶりで、これなら夜も明かりが漏れることは無かっただろう。それでも煮炊きの煙で見つかりそうなものだが、どういうわけか本来の担当者はそういう報告を上げていないし、地図にも記載されていない。どうやってか本当に隠れて暮らしていた事が伺える佇まいに思わずため息をついた。
家の扉を3回ノックする。もう3回。もう3回叩いたところで、居留守だろうかと扉を押すと、あっさりと扉が開いた。中は暗く、しんと静まり返っている。扉が開くのと同時にそろりと家に入ったルカが、大きな声で「おばさん」と呼んだが、光を放つルカにぼんやりと照らされた室内には人影はなく、ただルカの声だけが闇に吸い込まれて消えていった。
「おばさん……」
小さく呟くルカの声に涙声が混じる。
「誰もいないな……」
入り口に見つけた壁掛けのランプに火を付けると、魔法の仕掛けか、他のランプにも火がついたようで、一気に家の中が明るくなった。見回した室内は必要最低限のものだけが置かれてはいるものの、棚に置かれた食器などに、そこはかとない生活感が漂っている。部屋の隅に魔法製の暖炉を見つけ、煮炊きの煙が出ない理由をなんとなく察した。暖炉のそばには隣の部屋へ続く入り口があり、奥の小部屋には2台のベッドが並んでいる。一通り見て回ったあと、ルカの元に戻ると、とりあえず朝以降何も食べていないであろうルカに声をかける。
「ルカ、お腹が空いただろう。ここには何か食べるものはあるかい?」
首をふるルカに、鞄の中の携帯非常食とお茶の入った水筒を持たせると、おずおずといった様子で食べ始めた。それを見守りながらいよいよ捨てられた可能性が高くなってきたルカを保護する算段を立てる。これは一旦街に戻って知らせる必要があるだろう。
「ルカ、俺は一回街に戻ってまた明日人を連れて戻ってくるから、それまで待っていられるかい?」
携帯食を齧りながら小さく頷いたルカに、必ず戻ってくるから、と声をかけて小屋を出ると、鳥に変身して空に羽ばたく。そして、帰るときよりもっと速いスピードで街明かりの方へと羽ばたき始めた。
随分時間が経っていたらしく、街に戻る頃にはもう明け方になっていた。
そこからの展開は超特急だった。配達拠点に戻ると担当者に手紙を渡し、ルカの事を伝えるとそこから街の警備場へ、警備場で同じ話をするとあっという間に保護のための小隊が組まれて、俺は案内役として同行する事になった。
その日の昼、昨晩見つけた小屋に辿り着きノックをすると、おずおずとした様子でルカが出てきた。昼間でも木陰を照らすルカの発する光に、本当に光る子供だと騒然とした保護隊の大人たちは、それでもルカを守るべき子供として預かると、俺含めた一部の隊員だけルカと共に来た道を戻っていった。残りの隊員は「おばさん」の捜索のため森に残った。ルカと一緒に戻った俺は、ルカが大人たちから色々な事を聞かれている間、ルカとずっと手を繋いでいた。夕方になって、ルカを最初に見つけたほど近くで、獣に襲われたのであろう、女性の遺体の一部が発見されたと知らせがあった。そして、おそらくそれはルカの「おばさん」だろうという話だった。
ルカの事は街でもちょっとしたニュースになった。なにせ光る子供だ、研究者はこぞってルカを調べたがり、大人はこぞってルカを引き取りたがった。もちろん、気味悪がって遠巻きにする人間も少なからずいた。最終的にはどういうわけか俺にすこぶる懐いたルカの、俺と一緒にいたいというギャン泣きの要望が聞き入れられ、ルカは俺の弟になって、俺と母さんの家で一緒に暮らす事になった。母さんは、「今更子供が一人増えたって変わりゃしないよ」と言ってルカを快く受け入れた。
それから数年、ルカは街の今寄宿学校に行っていて家にはおらず、週に一回週末に帰ってくる生活を送っている。今も定期的に研究者が来てルカを調べていくが、結局ルカがなぜ光るのかはわからずじまい。生物的にも魔術的にもあり得ないけどなんか光っている状態らしい。最初は不気味がっていた一部の人々も、今じゃすっかり慣れたようで特に何も言わなくなった。何より、ルカ自身が全く気にしていないからまあそれでいいんだと思う。
あの時、あの夜にルカの光が見えなかったらルカは獣に食い殺されていたかもしれない。そう考えるとルカが光っていることにも意味はあるんだろう。
不思議な事が起きて、何も解決しないまま時だけは進んでいく、そういう事もあるさ。そう考えて、それでもちょっとおかしくなって、誰に聞かせるでもなく笑い声を漏らした。
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