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f.フレッド/拝啓、お祖父様
つい先日家の前で雷に打たれて亡くなった祖父の、ガラクタだらけだという小さい家の片付けを父親に申し付けられた。
ちょっと色のついた小遣いと、欲しいものは貰っていいしなんなら自分の部屋にしていいという言葉に乗せられて、何度か訪れた事があるもののどうしてか中に入った記憶がない、小さな庭付きのこじんまりとした家までやってきたフレッドは、扉を開けた瞬間に安請け合いした事を死ぬほど後悔した。
床に壁に天井に塗りたくられた様々な色の塗料、描かれた謎の記号、そこら中に貼られている全部種類の違う謎の護符、同じくそこら中に括りつけられた色とりどりの石、骨、乾いた草、張り巡らされた色とりどりの紐、床を埋めるたくさんの魔法陣、謎の像、大量の蝋燭、大量の札の貼られた小箱、液体が揮発した形跡のある器、その他怪しげな小物の数々、そのあらゆるものにかかった蜘蛛の巣、いつから掃除をしていないのか、所々にうず高く積もった埃……
怪奇小説の舞台もかくやという、怪しさだけで構成された空間がそこには広がっていた。
おそるおそる中に踏み入ると、虫だろうか、ネズミだろうか。小さな生き物が駆け回る気配がある。
祖父の事をよく知らない人間が見たら、扉を開けた時点で悲鳴を上げて逃げ出しているかもしれないが、フレッドは祖父の事をよく知っていたし、それはそれは懐いてもいた。
まああの祖父の私宅ならばこういう事もきっとあるのだろう。
そう自分を納得させると、とりあえずまずは全体の物量を把握しようとあたりを見回した。
キッチンらしきものは見当たらないが、食事はどうしていたんだろうか。実は地下への扉がその辺に埋まっているとか?
見れば見るほど生活感のない怪しげなガラクタばかりの部屋の奥に一つだけ扉を見つけたので、できるだけ周りのものに触らないようにそろりそろりと向かう。
うっすら動線のようなものができているので、祖父は生前あの部屋から出入り口までを行き来していたのだろう。
扉が開けられるようにものが避けられたであろうそこに辿り着きおそるおそるドアノブに手をかけると、ギィと嫌な音を立てて扉が開いた。まったくどこまでも怪奇小説を地で行く家である。
扉の奥には部屋の壁の四方を埋めるように建て付けられた天井に届く本棚本棚と、本棚に入り切らずに溢れて山を作っている本と紙切れの山、それらに半分埋まったベッドと、床に投げ捨てられた何枚かの毛布があった。
祖父はここで半分本の上に寝転ぶようにして寝ていたのだろう、容易に想像がつく。
脳裏に描いた姿のあまりのらしさにフレッドの胸に一瞬込み上げるものがあったが、それを見なかった事にして誤魔化すように落ちていた毛布に手を伸ばした。
古びた毛布を持ち上げると、毛布に巻き込まれるように置いて(落ちて?)あったのだろうボロボロの本が、ゴトリと音を立てて地面に落ちた。
こんなところにあるという事は、おそらく祖父は亡くなる直前まで、この本に執心していたのだろう。
虫食いの様な凹凸と、ところどころ焼けた様な痕跡がついた、きっとかつては美しい緋色であったであろう表紙の本を手にとって見ると、本来題が刻まれているであろう部分はナイフか何かでズタズタに傷付けられていた。
開いてみようとすれば、束になった頁には褐色のシミが全体につき、剥がれなくなっている。
フレッドの顔は盛大に引き釣った。これはどう見ても立派な“いわくつき”だ。
生前の祖父の眩い笑顔と、彼が生前いわくつきから呼び起こした様々な怪現象や珍事件を一瞬で回想した後、フレッドは決めた、まずはこの本を焼こう、と。
外に出て、庭の片隅にある祖父がよく何かしらを焼いていた穴に本を投げ込み、そこに書籍と紙の山の中にあった中から吟味し焼いても問題なさそうだと判断した乾いた紙切れを一緒に投げ込む。
穴の周りに手持ちの聖水で二重の円を描き、その四方の地面に拾った枝で四柱の聖神のシンボルをそれぞれ刻み、シンボルに対応する宝石を配置する事で小型の結界が完成、準備完了だ。
念の為に持ち合わせの中で一番強い守護符を握りしめて、ランタンに火を灯すためのマッチを擦り、火のついたそれを穴に投げ込む直前に、この世のものとは思えない絶叫が響き渡った。
「あ゛ーーーーーーーーっまっ、待った!ちょっ!待っ!まっ!」
何も聞かなった事にしてマッチを投げ込む。火がつくと同時に再び絶叫が響き渡った。
「あ゛ぢっ、あづっ!あづい゛ーーっこの野蛮人!待てって言ってるでしょ待てって!!!!!」
炎が燃え盛る穴の上に、炎に包まれた人に近い何かが現れた。腕が四本、背中に翼……炎に巻かれてよく見えないが、間違いない、“いわくつき”の中身だろう。
――魔と会話を交してはいけない。ろくな事にならない。
フレッドは原則に忠実に、無言のまま穴の中に炎の神の加護が刻まれた小石を何個が放り込んだ。最初に穴の周りに刻んだ聖神のシンボルの一柱が 輝き聖水で描いた円も同様に光を放つと、赤い炎が青い火柱に変わった。
神の加護を得た浄化の炎は大抵のものなら消し炭にできる。厄介ごとの先駆者たる祖父直伝の対処方法の中でも最強の厄介ごと撃退方法だ。塵も残さず抹消して最初から無かったことにする。
これで全て終わるはず、と気を緩めたところで、再び炎に巻かれた何かが声を上げた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛もう!!!どういう教育してんだあのジジイ!人の!話を!!聞けって!!!」
何が起こったのかわからなかった。
突然噴き上がった大量の水が火柱を飲み込み、次いでフレッドが張った結界を、弾けるようにして内側から押し流した。
フレッドも大量の水を勢いよく浴びて、尻もちをつく。
思わず前にかざしていた手をずらして前を見ると、炎が消えた“いわくつき”がもうすぐ目の前でフレッドを見下ろしている。それを認識した瞬間に全身が凍りついたように動かなくなった。
顔の上部を覆う仮面のような兜、四本の腕、一対の翼、聖職者のようにも見えるローブのようなはためく白い衣、衣と同じくらい白い不自然に漂白された肌のところどころにある鱗……それなりに高等な神の加護を弾き飛ばした存在がフレッドに手を伸ばし――
頭をぐちゃぐちゃに撫で回した。
固まって動けないフレッドをよそに、ついには四本総出でで頭を撫で回しにかかる。
「あのね、キミおじいさんに突然他人に火をつけちゃいけませんとか習わなかった?待ってって言ってる他人を本気で焼きにくる普通?私じゃなきゃあちちですまなかったよ?聖遺物を焼いてはいけませんとか歴史の授業で習わない?」
「あ…?え?聖…遺、物?」
「そう聖遺物。あのくそ汚い本にできた血液のシミ。あれ私の血、私の媒介。あのシミがあるからかろうじてこの世に残存できている、名を失った古代の生き神それが私」
――神、神といっただろうかこの“いわくつき”は。
あまりの展開に頭が追いつかないフレッドに畳み掛けるように“いわくつき”は告げた。
「もう五十年くらいになるかな。キミのおじいさんとご縁があってね、私の名前をずっと一緒に探してくれていたんだ。立派な跡継ぎがいるって聞いてたんだけど、思うにキミだろ?次の誕生日に話すとか言ってたけど、誕生日いつ?まだ何も聞いてない?」
「た、誕生日は、今日、で……じいちゃんは、先週突然、亡くなっ……」
「あーそうかそうか、そろそろ生命の焔が尽きるとは思ってたんだ。このたびはご愁傷さま。今日が誕生日か、おめでとう。私の口から伝える事になったけどそういう事だから、そういう運命の巡りだと思ってこれから末永くよろしくね、ワタシの名前探しのお手伝い」
情報量が多くて、頭の中が真っ白になった。
今頭に入れた情報を拒絶するように意識が落ちる直前に、フレッドは亡き祖父に思った。
拝啓、お祖父様。
こんなもん何も言わずに遺して行くなよ!
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