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g.グレン/煙
「人間の体は半分透明でたくさんの煙が詰まってるんだ。それでそれが少しずつ抜けて行って、全部無くなると死んじゃう。俺の身体からも毎日煙が出ていってて、咳き込んだり血を吐いたりするともっとたくさん出て、人よりたくさん出てるからあと半分も残ってなくて……だからねえ先生、俺もう少しで死ぬんだろ?」
そう言うと先生は「そんなことないよ」と心底困ったように笑った。
――嘘なんてつかなくていいのに――
周りの大人に対していつも、最近は特に思う。特に主治医の先生。
困らせてるのはわかっているけど、俺は自分がそう長く生きられないってもう知ってるからそんな嘘つかれても意味がない。
八歳のときに初めて血を吐いた日から、俺には人が半透明に見えて、頭の天辺から煙が出ているのが見えるようになった。
最初にそれが見えたとき、父さんや母さんにそれを言ったら、そんなわけないでしょうと笑われた。
姉さんにも言った、バカじゃないのと怪訝な顔をされた。
でも俺には本当に見えていたので、誰かわかる人がいないかと思っていろんな人に言いまわった。あまりにいろんなところで言いまわるものだから、どこかおかしくなったのかと慌てた両親に隣町の大きい教会に連れて行かれて以来、人前で言う事は少なくなった。
大きい教会の神父様にこの話をした時、神父様は「俺に見えるのは他の人に見えない特別なものだから、あまり人に話してはいけないよ」と言った。そして神父様にも小さい頃から同じものが見えているのだと、こっそり教えてくれた。もしかしたら小さい子供の話に合わせてくれただけかもしれないけど、あの時の神父様の目があまりにも深く悲しそうだったから、あの人は本当の事を言っていたと俺は思っている。
「人の寿命が見えるのは特別な事で、もしそれを告げられたらその人の人生は狂ってしまうから、決して告げてはいけないよ」
神父様とそう約束をして、俺は人前で煙の話をしなくなった。
その時は神父様の言っていた、人の寿命というのがわからなかったけど、煙をよく観察しているうちに徐々にそれがどういう事かわかるようになっていった。
煙がいっぱいある若い人は全体的に白っぽいけど、煙が少ない人は透明により近い。お年寄りや病気の人なんかがそうだ。煙の量もお年寄りはたくさん出る、病気の人も。
そして煙が全て出てしまった時にその人は亡くなるのだ。
すっかり透明になっていた近所のおばあちゃんが亡くなった時と、親戚のおじちゃんが棺の中で透明になっているのを見た時に確信した。
そして気付いた、自分から出ている煙の量が人より多い事、同じ年の子たちよりずっと自分が透明な事に。
別に驚きはしなかった。
初めて血を吐いてから調子を崩しやすくなっていたし、父さん母さんが俺を見て、何もないのに悲しそうな顔をするようになっていたから。
夜、トイレに行こうと思って廊下を歩いていたら、たまたま少しだけ開いていた両親の部屋の扉の隙間から二人のすすり泣きが聞こえた事もある。
なんでだろうと漠然と思っていたそれらが綺麗に繋がって、ストンと腑に落ちた。
俺は人よりずっと早く死ぬんだなって。
不思議な事に悲しみも恐怖も無かった。
ただ、空に昇っていくこの煙がどこに辿り着くのかが気になるようになった。
それから時々、もちろん人を選んでだけど、煙の話をするようになった。
俺が選ぶ人はたいてい俺が長く生きられない事を知っていて、煙の話を聞くと、ひどく困ったような表情をした。
かつてはバカにした姉さんですらだ。姉さんは笑うのに失敗したような表情をしたあと、無言で俺を抱きしめた。たぶん、泣いてたんだと思う。
その時初めて、先に死んでしまう事を申し訳ないなと思った。
煙は相変わらず人より多く出ていたが、それでもそれから何年かは生きた。
何年かの間に、姉さんには彼氏ができて、俺はその彼氏とたまたま二人きりになった時にも煙の話をした。
姉さんの彼氏は話のわかるやつで、泣きも笑いもしないで俺の話を最後までちゃんと聞いたあと、静かに
「どうしてほしい?」
と俺に聞いた。
「姉さんをよろしくお願いします」
と答えると、
「それは当たり前のことだよ」
と照れたように笑った。
その後に、こんな事を言ったら怒られるかもしれないけど、と前置きして、
「君は神様に選ばれたのかもしれないね、天使か何かになるために」
と生真面目な顔で言うものだから、
「何かってなんだよ」
って俺のほうが笑ってしまった。
煙の話をして、他の些細な話もたくさんして、姉さんの彼氏は本当にいいやつだなって思って、この人を兄さんて呼びたかったなって思ったら、自分がもうすぐ死ぬ事に初めて涙が出てきた。
彼氏が突然泣き出した俺の頭を撫でていたら、ちょうど姉さんが戻ってきて、泣いてる俺の事を見て姉さんもわんわん泣き出した。
わんわん泣いてる姉さんを見てわんわん泣き出した俺と、先にわんわん泣き出した姉さんの両方を抱きしめた彼氏も一緒に泣いていたのがちょっと面白かった。
それからしばらくしたある夜、激しく咳き込んだ時に俺の中の煙が全部出ていって、俺はすっかり空っぽの透明になった。
空っぽになって初めて、煙の方が俺だったんだなって事を知った。細く長く、どこまでも空を昇っていく。
高いところから見る景色は新鮮で、広がる大地は雄大で、街明かりは遠目に見ても温かくて、ずっと遠くに初めて海を目にして、この景色が永遠に続けばいいのにと思いながらどこまでもどこまでも昇っていって。
分厚い雲を通り抜けた先で、俺は天使に生まれ変わった。
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