1.デスベーグル

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1.デスベーグル

「あれ?洋介くん、こんな靴持ってたっけ?」 その言葉を聞いて胸が鳴った。 俗に言う「ドキリ」というやつだ。 「え、持ってたよ」 そう言う俺の声は震えていた。 「そうなんだ、それにしてもピカピカだね。 磨いてきたんじゃないかってくらい」 「ちょっと新谷さん、どこに食いついてるんですか。 可哀想じゃないですか倉松さんが。 もしかしたら今日の合コンのために、新しく買った靴を履いてきてくれてるのかもしれないんだからっ」 図星だ。 だがこの女性も新谷もやけににやけている。 不快だ。 「そんなわけないだろ〜。 いくら洋介くんがこういう会に来慣れてないからって、わざわざ新しい靴買うわけないじゃん。 だよね?洋介くん。 新しいの買ってないよね? 家にあった靴を磨いてきただけでしょ」 「ちょっと、それどっちにしてもヤバくない?」  「ヤバいっていうか……よね」 「ちょっとレイカ、キモいは駄目だよ。 キモいは…」 前の女子三人共、こっちを白い目で見ている。 まずい… 新しい靴を買ったと言っても恥。 家にあった靴を磨いてきたと言っても恥。 恥の王手飛車取りだ。 どっちを選んでも地獄。 そしてこのまま沈黙を続ければさらなる地獄。 「おい、洋介くん。 どうしちゃったんだよ?」 どうしたって、新谷。 お前が黙らせてるんだよ。 「まぁ買ったけど… たまたまだよ」 お前が言わせたんだからな。 「えー!洋介くん、わざわざ今日のために新しい靴買ったの!? めちゃめちゃ気合入ってるじゃん! その意気込みだったら、三人の中の誰かお持ち帰りできるんじゃない! よぉし、俺サポートするからね」 「ちょっとやだぁ、新谷くんなに言ってるのよ」 「てか最初は靴持ってたって言ってたじゃん、嘘つくとか……ない?」 「ちょっとレイカ、キモいは言っちゃ駄目だって」 「じゃあ、今日はなんとしても洋介くんにピッタリの相手を見つけてもらうから! まあ、とりあえず自己紹介始めようか。 洋介くんはもちろんラストにしたいから、俺からいきまーす」 そんな感じで、どうせ後で俺を高いビルから落とすための持ち上げ作業の一環だろうという自己紹介が始まった。 新谷は自分の自己紹介はあくまでフリだという素振りではいたものの、たぶん何回もやってるんだろうなという小ボケと自分が一流企業で働いているという小自慢を挟むのは忘れていなかった。 次に新谷の前に座っている、さっきからちょくちょく名前が聴こえていたレイカというツリ目の女が自己紹介を始めた。 趣味はベーグル作りらしい。 俺は口の中に溜まった濁った唾液をコークハイを飲んで打ち消した。 次は俺の右隣、男子側では真ん中に座っている野村。 ここまで影の薄かった男。 実は野村には五年くらい付き合っている彼女がいる。 新谷に「それは隠すし、積極的に喋らなくていいし、ご飯代は後でほぼ返すから、とりあえず来てくれ」と頼まれて人数合わせで渋々来ただけなのだ。 つまり二時間程度黙ってても飯代分は得する野村は、そんな喋るタイプでもないし、女子へのモチベーションもない。 おそらく戦線離脱状態の彼を除いた俺と新谷の一騎打ちになることは間違いないだろう。 一方俺は二十五年間彼女が出来たことのない男。 ちなみにそれを新谷にハッキリと言ったことはないので、そこはぼやけているが、この感じだともう童貞なのはバレてるかもしれない。 つまり生殺しの状態だ。 だがついに、この二時間で俺は炙られてしまうのだろうか。 そもそもなぜ俺はここに来てしまったのだろうか。 おそらく焦ってしまったのだろう。 二十五歳という年齢に。 だから新谷のこんな甘い誘いにのってしまった。 新谷の巣だったと気付いたときには遅かった。 ふと俺の斜め前を見ると、ミスズという女が、ベーグルの作り方を力説している。 今は自己紹介の時間ではなかったろうか。 あちらサイドはベーグル紹介を数珠つなぎでしている。 俺は急いで正気に戻り「そうやって作るんだ〜」という顔をつくった。 順番的には次は俺の番だが、新谷が俺をトリにすると宣言していたので次は俺の前の女子だろう。 こう見るとこの娘が一番可愛い。 一番今まで口数が少ないからだろうか。 そもそも俺は昔から俺自身が口数が少ないのに関わらず、なぜ口数が少ない女子に惹かれるんだろうか。 レストランなどでも、食事をしていないときも何も喋らず食事中は皿にフォークやナイフが摩擦している音が聴こえるくらい沈黙のカップルを見ることがある。 こういう娘と付き合ってしまうと、自分たちもあのサイレント状態になってしまうのではないか。 そう思っていたが、喋り始めたそのユウミという娘は意外と流暢に自分語りをしていた。 ベーグルの話が出るな出るなと願っていたが、どこかでベーグルのべの字が出るのを待っているのを待っている自分もいた。 結果は、出なかった。 ユウミちゃんはなぜか、昨日免許証の更新に行ってきたということをメインに喋っていた。 ここを美容室か何かと勘違いしているのだろうか。 でも、なぜかちょっとその抜けたところが可愛いと思ってしまった。 ベーグル姉妹の二人のときには全く質問しなかった野村でさえ「何時間くらいかかったの?」と質問していたから、何か魅力がある娘なんだろう。 何故それが気になったのかはわからないが。 隣をうかがうと新谷が鷹のような顔をしていた。 クチバシのない鷹だ。 そう思っていると俺はユウミちゃんの話に全く絡めなかった。 「じゃあ最後〜! お待たせしました、本日の四番バッター。 キャプテン倉松こと洋介くんです! 張り切ってどうぞ!」 なんだよ、キャプテンて。 「えー、倉松洋介です」 どうしよう、何も考えてなかった。 何か言わないと、何か。 「えー、趣味はベーグル作りです」 なぜ俺はそんなことを言うのだろう。 そして何だこの雰囲気は。 見事にお滑りになられている。 いや、俺だ。 俺が今滑っているんだ。 魂が浮いて俺を俺が上空から見ている気がする。 このままグーグルアースのようにもっと離れていくのだろうか。 横の鷹を見ると、巻き添えを喰らいたくない顔をしている。 薄情者の鷹め。 そして前の三人。 ベーグル姉妹は眉をしかめている。 あ、自分たちが弄られていると思っているのか。 悪いがそこまで気が回っていない。 俺はただ純然に滑っただけなのだ。 君たちのことは眼中になかった。 そしてその横のユウミちゃん。 怖くて顔を見れない。 瞳が真っ白に見える気がするのは気のせいだろうか。 そもそも俺はなぜここまで色々考えているのだろう。 人間が死ぬときにはよくスローモーションになると聞いたことがあるが、恐ろしく滑ったときも同じようになるのだろうか。 周りが止まって見えるから、自分の思考だけが早く感じる。 いやしかし、流石に駄目だ。 二の句を続けないと。 「…えーと、いうのは冗談で、そうですね、映画鑑賞とかですかね、趣味は。 あと休みの日とかはよく寝ちゃいます。 普段より二時間くらい多く寝ちゃいますね…」 静まり返る店内。 個室の居酒屋だからなおさらだ。 「え? 洋平くん、終わり?」 俺はコクリと頷いた。 声は喉の奥に消えていった。 誰かが囁いた「逆にエモい」という声が微かにきこえた。 「はい、では自己紹介終了でーす!」 の新谷の声とともに、フリートークが開催されていく。 俺はしばらく言葉を発せなかった。 俺はこれからベーグルを見るたびに震えなければいけないのだろうか、という心配が頭をよぎったが、大丈夫、ベーグルを見ることは人生でそんなに多くないと冷静に考えて落ち着きを取り戻す。 そう、ベーグルはこちらから近付かなければ、あちらから近付いてくることはあまりない。 安心したのも束の間、 「席替えターイム!」 新谷のその掛け声で、その謎のタイムは始まった。 全員が手を叩いて喜んでいる。 とりあえず俺も笑顔をつくって手を叩く。 そして数字の書かれた箸をとった数秒後、俺はベーグル姉妹に挟まれて座っていた。 いけすかないのは俺以上にいけすかない顔をこの姉妹がしているということだ。 俺の目の前では楽しそうに真ん中の席になった新谷が会話を回している。 野村も、そして何よりユウミちゃんも笑っている。 俺はだんだん虚ろになっていく気がして、目がビー玉のようになっているんじゃないだろうかと危ぶんでいると、一通り話し終わったのか新谷が目配せしてきた。 顔を振って「トイレに行くぞ」と行っている。 俺はベーグル姉妹に何の意味なのかわからないが「失礼します」と言って新谷がいるトイレに向かった。 「で、どの娘がいいの? 洋平くんは」 トイレで待ち受ける新谷がニヤニヤしながら聞いてきた。 俺はモジモジしてやり過ごしていると、 「ユウミちゃんでしょ?」 と言われ動揺してしまった。 俺は否定ならすぐできるが肯定は中々素直にできない。 なぜなのだろうか。 「やっぱりね。 洋平くん、分かりやすすぎ。 じゃ残り、頑張ってよ。 なるべくいいパス出すから」 パス? そんなこと頼んでいないのに、なぜこいつはそんな宣言をするのだろう。 パスをもらったとしても俺に出来るのはさっきのように時を止めることだけだ。 いや、本当に時を止めれたらこんなことにはなっていない。 そんな俺の気持ちも知らず、新谷は「俺に任せてろ」という顔をしてトイレから出ていった。 慌てて手を洗って俺もついていく。 「じゃ、また席替えタイムでーす!」 「え?もう?」 ベーグル姉妹の姉が言った。 「早くない?まぁいいけど」 ベーグル姉妹の妹も言う。 そして今度の席替えは割り箸を使わず、新谷がテキパキと場所を決めていった。 俺は最初の席に戻った。 一番端の席だ。 隣にはユウミちゃん、その奥には野村。 前を見るとベーグル姉妹に囲まれた新谷がウインクしている。 なるほど、露骨すぎる。 こんなこと望んでいないのに。 野村は女子に興味はないとばかりに、相変わらずご飯を食べることに集中している。 しかし、これ以上ない舞台が整っていることは事実だ。 一応、あちらから喋ってくれることはないかと一拍待ってみるがそう甘くはなかった。 「めちゃめちゃ食べますね」 とむしろ野村に話しかけている。 野村は適当な返事をしてるので、盛り上がりそうにはないが俺は焦った。 どうするか。 よし、いくしかない。 「ゆ、ユウミさんでしたっけ?」 声が踊った。 「え、あ、はい」 こちらを振り向くユウミちゃん。 近くで見ると目が大きくてやはり可愛い。 まずい、何も出てこない。 俺はなぜか目の前のポテトをつまんで口に入れた。 時間稼ぎと動揺を隠すための所作だった。 「や、休みの日とか何してるの?」 その挙げ句がこの弱い質問だ。 留学二日目のボブでももう少しまともな質問するぞ。 「え、私?」 あなた以外いないでしょう。 俺はまたコクリと頷く。 声が喉の奥に消えゆく。 「うーん。 でも私も映画好きだからよく観るよ」 映画? あ、さっき自己紹介で趣味は映画と言った俺に合わせてくれてるのか。 「洋平くんはどんな映画最近観たの?」 あ、俺のこと洋平くんって言った。 あ、嬉しい。嬉キュンだ。 いやそんなことより、質問してくれてる。 まずい。 最近どころか、俺ここ三年くらい映画観てないぞ。 三年前に観た映画もアニメの映画だし。 ジブリとかじゃないガッツリのアニメの映画だし。 「うーん。 た、タイタニックとかかな。 逆に。」 逆にって何だよ。 逆じゃないの言えよ。 「あー、タイタニック、確かに感動するよね。」 なんか凄い合わせてくれてる。 「最近、私独りでレディースディに観に行ったんだけどね」 独りで!? この人の方がよっぽど映画好きじゃねぇか。 ダセェ、俺。 「うんうん」 とりあえず頷こう。 頷くことで扉が開けるかもしれない。 「夕暮れのハンマープライス観たんだけど、洋平くん観た?」 うんう…ん? 何だよ、その映画。 「いやー、まだチェックしてないなぁ」 「え、結構映画ファンの間では話題になってるよ! 観たほうがいいよ。 私も最初は話の展開が遅いし、主演の演技が棒読みだとか思ってたんだけど、実は序盤は伏線が色々張ってて、中盤から急激に展開が動き始めて目が離せなくなっちゃって終盤の終盤、予想のもう斜め上をいく展開の連続で、一番ヤバかったところで私映画館で声出すくらい驚いちゃってね」 ユウミちゃん、めちゃめちゃ語るじゃん。 その訳のわからない題名の映画。 しかもネタバレ躊躇する気全然ないし。 「あっごめん、洋平くん。 ネタバレとか気にした方がいいよね? 映画ファンだったら観に行くだろうし」 「えっ、あ、全然大丈夫。 俺、ネタバレ見たあとでも楽しめるタイプだから」 強がってみた。 「あっ、そう。 それでね、主人公の枕元にあったブロッコリーが途中でカリフラワーになってたんだけど、それに実は意味があって」 ジャンルなんなんだろ、その映画。 「あれ? もしかして夕暮れのハンマープライスの話してる?」 「あ、そうなんですよ! 新谷さんも観たんですか?」 「観た観た、あれ超面白いよね。 ブロッコリーの伏線!」 「そうなんですよ!!」 なんだよそれ。 そもそも映画にブロッコリー出てくることあるのかよ。 しかし、えらく二人でえらく盛り上がってるな。 なにが「洋平くんにパスだすよ」だ。 話、横取りしてるじゃねぇか。 映画泥棒だよ、お前が。 一通り二人は盛り上がった後、そういえば私は最初この地蔵と喋ってたんだと思い出したようにユウミちゃんは俺に振り向いた。 同情はやめてくれ。 「だから絶対観た方がいいですよ、洋平さん」 まぁ、観ないと人生の半分損してますとか言わないだけマシか。 「うん、今度観てみる」 「いやー、でも洋平くん、仕事忙しいから」 取ってつけたように新谷が俺に話を振ってきた。 「たまに土曜も働いてるんだよ、洋平くん。」 「え、そうなんですか! 何の仕事してるんですか?」 そんな興味津々な目で俺を見ないでくれ、ユウミちゃん。 「ゆ、郵便局で働いてる」 「あっ、そうなんですか。 じゃあ配達とかしてるんですか?」 まぁ、それくらいしか聞くことないよな。 「うん、してる」 俺は配達地蔵。 声が出にくい。 「雨の日も風の日も、あっ風ってダブルミーニングね。 土曜日も、人々に荷物を運ぶため日々バイクを走らせてるんだよ、洋平くんは」 なんだろう、新谷へのこの微妙な苛立ちは。 「ところで、新谷さんはお仕事何してるんですかー?」 ベーグル姉妹の姉が興味津々といった感じで聞いた。 「あ、俺? 今せっかく洋平くんのターンなのに。 ま、いいか。 俺はねぇ、SEやってるの」 「SE?すごーい! 頭いいんですね!」 ベーグル姉妹の妹が目を輝かせている。 いや、よく見たら姉の目も輝いている。 「いやいや、大したことないよ。 週五勤務のうち、一日は自宅でリモートワーなんだけどさ。 午前中で自分の業務さっさと終わらしちゃうから、午後からはもうほぼサボってるわけ。 だから心では週三休みなのよ。 週によっては六日も働いてる洋平くん見習わないといけないよ」 え? 俺持ち上げられてる? いやいや、持ち下げられてるよね? 「でもそれって、新谷さんが効率的に仕事できてるからじゃないんですかー?」 「うーん。 どうだろ? 後輩とかには新谷さんのやり方教えて下さいとか、どうやったらそんなに仕事がサクサク終わるんですか?とか聞かれるけど、そんな大したことしてないんだけどねー。 なんか新しいこととかトライするの好きだからさ、仕事中もどうやったら効率的かとか色々考えちゃうわけ。 だからかなー、まぁ仕事中にこっそりゲームとかもしちゃうんだけどね」 こいつは一体自分を上げたいのか、下げたいのかどっちなんだ。 いや、愚問か。 「でもそういう、遊び心って大事ですよね」 そんな、ユウミちゃんまで呼応するように。 「そうかなー? でも真面目に原チャリで荷物届けてる洋平くんの方が立派だと思うけどなー。 俺、原チャリは逆に今乗れないんじゃないかなー」 あ、やばい。 くるぞ。 「え?逆にってことは他に何か乗ってるんですか?」 「え、俺? 俺、バイクはもっぱら大型しか乗れないのよ。 それで慣れちゃってるから原チャリとかは逆に小さすぎるから乗れないよ、たぶん」 「え、大型バイク乗ってるんですか!? すごーい。 どんなのですか?」 「え、見る?」 「見せてください!見せてください!」 三人とも前のめりで、新谷が得意げに見せているスマホの画面を見ている。 またこの時間が始まってしまった。 ハーレー新谷ダビットソンタイムが。 この時間、俺はトイレに行ったら感じが悪いので、仕事の連絡をする顔をしてスマホをいじっている。 実際はネットニュースを見てるだけだ。 「いやー、趣味でちょろっといじってるだけなんだけどね。」 得意げな新谷の顔。 「どこか行ったりするんですか?」 行くに決まってるだろ。 「山とか攻めるの好きなんだよ」 なんだよ、「攻める」って。 弾道ミサイルでも積んでるのか。 「あ、弾道ミサイル積んでるわけじゃないよ」 「ちょっと、やめてください新谷さん。 わかってますよ〜」 最悪だ。 弾道ミサイル、先に言えばよかった。 いや、俺が言ったらまた皆沈黙か。 「ほら、これが頂上からの景色。 綺麗でしょ。」 「わー、すごーい。」  「あと頂上の自販機の飲み物が高くてさー。 でもうまいんだよね、頂上で景色を見ながら飲む水は」 知ってるよ、そんなの。 実際に飲んだことないけど、色々な媒体で何回も聞いてるから知ってるよ。 「へー、そうなんだー行ってみたーい」 行ってこいよ。 あぁ急に名前思い出したわ。 ベーグル姉妹の姉ことレイカちゃんよ。 下山は別にしないでいいからね。 「じゃあ連絡先交換しとこうよ、レイカちゃん」 「ハイハイ、いいですよー」 なんだなんだ、連絡先ってこんな途中で交換するものなのか。 「え、私も交換してくださーい」 ベーグル妹のミレイちゃんも新谷に向かって身体をスリスリしている。 なんだ、この不埒な女達は。 「いいよいいよ、ミレイちゃんね。 てことは、次はユウミちゃんだから、覚悟しておいてね」 新谷め、ついでにユウミちゃんの連絡先を聞こうとするとは良い度胸してるじゃねぇか。 だが、ちらりとユウミちゃんを見ると「またまた〜」と言いながら笑顔でスマホを操作して連絡先を教える画面で待ち構えている。 これが現実だ。 幻滅だよ、ユウミちゃん。 便乗して、俺も聞くか? いや駄目だ、男らしくなさすぎる。 その後も新谷のワンマンショーは止まらなかったが、飲食に飽き暮れていた野村も流石に胃がいっぱいになったのか、話にちょこちょこ参加している。 俺の隣のユウミちゃんも、いつしかそちらの会話に加わり一緒のテーブルなのに俺だけ離れ小島に取り残されたようだった。 僅かな頷きをしながらポテトをネズミのように小刻みにかじる。 情けないチュウ。 ビールをおちょぼ口で飲む。 実際酒も強くないが。 眼前では俺の知らない国の旅行の話。ブランドの話。お洒落なご飯屋の話。家具の話。ドラマの話。 一周回った感じでコンビニお菓子の話。 いったい俺は何の話だったら入れるのだろう。 席の真ん中に鎮座する新谷は、テレビ番組の司会よろしく俺が入れそうな話だったら時々話を振ってくれるが、「洋平くんは何色が好き?」という雑な話の振られ方したときには俺も拗ねて無視してしまった。 「どうした?洋平くん。 酔ったのか?」 バカにしやがって。 「えーでもこの子、全然飲んでないよ」 そんなところばっかりチェックしやがって。 「どうしたの新谷くん? 大丈夫?」 やめてくれ、ユウミちゃん。 そんな瞳で俺を見ないでくれ。 くっそ、どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって。 ガタッ。 俺は突如席を立った。 本能が理性を上回ってしまったのだ。 「おいどうしたんだよ、トイレか?」 俺は会費より少し多めの五千円札を机に置き、その上に残ったビールのグラスを置いて店を出ていった。 「え?洋平くん、何か怒ってる?」 店を出るとき、その声が後ろから聴こえてきた。 最後まで不快な気分だ。 店を出ると、知らない世界に来てしまったような感覚だった。 さっき通ってきた道なのに。 学校を早退するときもこんな気分だったけか。 いや、違う。 あのときは皆が勉強してるときに家に帰れるという謎のワクワク感があった。 今はそれもない。 どうせ、ベッドの上でふて寝するだけなのだ。 家に帰っても。 特にやることもないが、この駅にいるのも嫌なので、俺はすぐに家方面行きの電車に乗った。 スマホを開くと、新谷からのメッセージが着ている。 〘どーしちまったんだよ。 なんか俺気に障ることしちゃった? だったらごめん。 早く帰ってこいよ、皆待ってるからさ。 もしかしてあれか? 俺がユウミちゃんの連絡先聞いちゃったから怒ってる? その点だったら大丈夫、後で洋平くんにも回すから。 今本人に聞いたら全然教えていいですよ〜って言ってたし。 とにかく早く帰ってきてくれ。 野村も退屈そうにしてるわ〙 なんなんだ、こいつは。 怒りからなのか、情けなさからなのか、だんだん身体が震えてきた。 最寄り駅に着くと、コンビニで缶チューハイを買って初めて家で一人で酒を飲んだ。 美味しくなかった。 テレビをつける。 普段は笑えるバラエティ番組がやっていたが、全く面白くなかった。 意識がぼんやりしてくる。 そうだ、こんな夜は早く寝るに限る。 と思っているとスマホが震えていることに気付く。 またどうせ新谷だろうと思いながらも、一応画面を見ると意外な名前からのメッセージがあった。 野村だった。 〘お疲れ。 今飲み会終わって、俺一人なんだけど ちょっと電話出来ない? 出来るんだったら教えて。 俺から電話するから〙 何の用事だろうか? 野村がわざわざ俺にということが気になり、本当はさっさと寝たい気分だったが、飲みかけの缶チューハイを冷蔵庫に入れて、俺から野村に電話した。 すぐに野村は出た。 「もしもし。 あぁ、わざわざかけてくれたんだな。 ごめんごめん」 「いやいや、どうしたんだ?」 「いやー、特にコレっていうことはないんだけどさ、まずはゴメンな。 特に俺最初食ってばっかでろくに会話に参加せずに」 「何言ってるんだよ、最初から野村は今日はフードファイトに生きるって宣言してたじゃないか」 「そうだったな、ハハ。 で、本題はその今日の飲み会のことなんだけどさ…」 頑なに「合コン」と言わずに「飲み会」と言うので、よもや近くに彼女がいるのかと思ったが街の喧騒の声が電話越しに聞こえるので、どうやら帰る途中なんだろう。 「どうしたんだよ。 俺が帰ったあと、何か変わったことでもあったのか?」 「それがまだ続いてるんだよ、飲み会。 今二次会行ったみたいだけど、さすがに俺も帰って来ちゃったわ」 「二次会!? え、野村も帰ったってことは、まさか新谷と女子三人で行ったってことか?」 「あぁ。 ちなみに三人で行ったんだけど、もう一軒目の店出てからは新谷のボディタッチが凄くてな。 特に一番可愛かった子の名前何だったけ?えーと」 「ユウミちゃんか?」 考えるまでもなかった。 「あぁ、そうそう。 目が大きい子。 あの子の身体中ベトベト触ってさ、俺見てられなかったんだよな。 だから二軒目一緒に行かなかったわけ」 あの野郎… 結局、俺にパス出すとか言っておきながら、俺がいなくなったら自分でゴールを決めるつもりか。 いやそもそも始めからそのつもりだったか。 もしくはゴールを決めるというよりは、遊びで付き合おうとしてる可能性もあるな。 「で、あとこれはチクリみたいで気が引けるんだけど、あんまりだと思ったんで言っちゃうわ。 新谷のやつ、洋平がいなくなってからめちゃめちゃ悪口言ってたぜ。 あいつは童貞だの、社交性がないだの、友達が少ないだの、女慣れしてないだの。 流石に最低だと思ったから言っておくわ。 なんか、それで女子もケタケタ笑ってたから女子たちもどうかと思うけどな」 それを聞いて、俺は人生で初めて自分の怒りの限界点を突破したように感じた。 このままじゃ自分が自分ではなくなると思い、野村に礼を言って電話を切った。
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