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次の日の早朝、玄関で革靴を履く蓮の背後ではミチルがぐずるマユを抱いてあやしていた。耳に響く甲高い泣き声は寝不足の身体も心も朝から疲れさせてゆく。
「もう....ミルクはさっき飲んだばかりなのに...何故?」
溜息がちの弱音を吐いた。
「なるほど、わかったよ」
革靴を履き終えた蓮が何かに気づいて振り返った。ミチルの心を察したかのような優しい笑顔の裏には悪戯なドヤ顔を浮かばせている。
「マユはこれを待ってるんだ」
蓮はゆっくりと背高の上半身を軽く屈めると、ぐずるマユの顔を覗きこみ両頬に添えた手を開いてベロリと舌を出した。
「いない、いない、ばあ」
「キャ、キャ、キャ!」
魔法みたい、と感嘆の声を上げかけた。それほど唐突に腕の中のマユは喜びの声と共に小さな両手を伸ばしてはしゃぎ出していたのだから。
「じゃあ、パパは行ってくるかな。良い子にしてるんだよ、マユ」
「え...?」
「じゃ、行ってきます!」
蓮は驚くミチルの視線から照れた仕草で顔を逸らすと玄関から足早に姿を消した。
「パパだって....」
ミチルははにかむような笑顔をマユに向けて小さな瞳としばらく見つめあった。
だが突然がくりと襲った倦怠感に足をふらつかせ、壁に身体を支えさせた。
寝不足。働きすぎかもしれない.....。ゆっくりと眠りたい。お金さえあればこんなに働かなくてもいいのに...
ミチルは玄関の靴箱の上で存在感を示すどっしりとした招き猫の置物をチラリと見た。あの下には消費者金融からの請求の封筒を隠してある。
今月はマユがひどい風邪を引いてしまい看病で仕事に影響が出た。予想以上に収入が減った。今回の返済は厳しいかもしれない。
だけど、もうこれ以上蓮に無理は言えない。これは蓮には関係ない借金なのだから。
ミチルがいつも以上に重く感じるマユを抱き、ふらつきながら八畳の作業場兼リビングの障子をあけた。薄暗い室内は朝の光に溢れている。
「あなた....誰!?」
ミチルは声を震わせ、後退りをした。部屋の中心に見知らぬ誰かが立っている。
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