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第26話:娼婦をする理由
決戦前日の夕方。
ホームセンターの屋上、娼婦マリアと二人きりになる。
「こんなところで何をしている?」
「レンジ……? 景色を眺めていたのよ。夕焼けが綺麗でしょ?」
そう言いながらマリアは別の場所を見つめていた。
視線の先にあるのはオレンジ色に染まる市街地だ。
「東の住宅街に行きたいのか?」
「……別にね。ただ綺麗だから見ていただけよ。崩壊した世界のはかなさを……」
嘘をついているマリアは、どこか寂しそうな目。
先ほどカレーを食べていた子どもたちを、見つめていた時と同じ表情だ。
「ところで、レンジはどうしたの? 私とエッチなこと、したくなったのかしら?」
「いや、違う。これを預かってきただけだ」
先ほど少女から預かった、マリアへの差し入れカレー皿を手渡す。
「預かってきた?」
「三つ編みの眼鏡の少女……彼女が強姦されそうになった時、お前が身体を張っては助けた子だ」
「…………」
マリアは無言だが、眉をピクリと反応させる。
おそらく内緒にしていた話なのだろう。
「カレーを持って来てやった。俺も話くらいは聞く権利はあるだろう?」
「……そうね。それなら少しだけ話しましょうか。ここでのことを……」
マリアは夕陽を見つめながら、静かに語りだす。
大量の避難民が集まった、初期のホームセンターの出来ごとを。
「あの化け物を……レンジの言う子鬼を撃退していくうちに、男の人たちは段々と原始的な欲望……支配欲と性欲を表に出すようになってきたの」
闘争本能と性欲は、直結している部分がある。
歴史上でも戦争時、兵士も同じような状況になる。
進軍した他国で罪もない女市民を、兵士たちが強姦してしまうこともあるのだ。
「あの時のホームセンターも同じだった。血気盛んな独身男性たちが、独り身の女の子に狙うようになったの……」
男はストレスが溜まるほど、性欲も溜まってしまう。
しかも子鬼を叩き殺して彼らも、倫理観も麻痺してしまったのだろう。
「そんな緊迫したある夜。あの子が倉庫奥で襲われそうになったの。彼女は身内もいない独り身で大人しいから、ターゲットになっちゃったのね……」
原始的な狩りでは、相手の群れの“弱い獲物”を狙うのが定石。
結果としてあの三つ編みの少女が、二人の男に強姦されそうになったのだ。
「だから、その日の夜は、その二人を私が相手してあげたの。ガス抜きって感じでね」
それまで普通の女衆だったマリアは、そこで初めて身体を売ったという。
三つ編みの少女を助けるために、“娼婦”という疎まれる役割を買ってでたのだ。
「その二人は結局、どこかに消えていってしまったわ。でも私はガスが溜まっていそうな男たちに、その翌日からも声をかけて相手していったの……」
ホームセンター組には独身男性は十人以上いる。
マリアはホームセンターの倉庫裏などで、食料を対価に身体を売って、男たちの暴走を未然に防いでいたという。
「そのうち、社長さんから提案されたの。『ルールさえ守ったら、女子更衣室を使っていい』と。『娼婦をやれ』とは言われなかったけど、意味は同じだったわ」
高木社長は人生経験が豊富で、頭の回転も速い。
男たちのガス抜きのために、女衆が強姦されないように、マリアに提案と持ちかけたのだろう。
「そこから先はレンジに最初に話したとおりよ。男たちに対価を貰って、私はあの部屋で身体を売っていたの。あっ、同情はしないでよね? 重労働をしなくていいし、嗜好品は手に入るし、悪くない生活よ?」
マリアは小さく笑みを浮かべていた。
だが目は笑っていない。
今までの話の中で“何かを、笑みの中に隠そうとしているのだ。
「……どうして、あの子を助けた? 赤の他人なんだろう? マリアらしくない」
彼女が隠しているのは、三つ編みの少女を助けた動機。
気がつかれないようにしていたが、俺はピンときていた。
「……そういうことはすぐに気がつくのね? 女心には鈍感なのに?」
「そうかもな」
「そうよ……ふう……」
そうため息をつくマリアの表情が変わる。
何かを大事な話をしようとしているのだ。
「……実は私、子どもがいたの」
「子どもだと?」
マリアは二十代半ばにも見えるが、実際の年齢はここの誰も知らない。
「ええ。私が17歳の時に産んで……でも五歳の時に病気で死んじゃったの……あの子は……」
妊娠したことも、ちゃんと愛情を注げなかったことも、若い時の過ちだった。
だが彼女はずっと子どものことを後悔して生きてきたという。
「あの子の遺品が……あの住宅街の祖母の家にあるの……」
だから彼女は東地区の住宅街を意識していたのだろう。
今は亡き自分の子の遺品の行方が、ずっと気になっていたのだ。
「だから三つ編みの少女を助けて、家族だんらんを見つめていたのか?」
「ええ、そうよ。子どもたちには……若い子たちには精一杯、幸せに生きて欲しいの。こんな世界になっても抱かれる相手は、せめて自分の意思で選んで欲しいの……」
マリアが少女を助けた理由が分かった。
多くの女衆に軽蔑されながらも、たった一人で身体を売っていた事情も。
カレーを食べていた子どもたちを、はかなげな顔で見つめていた理由も。
彼女は自分の辛い過去と、強い信念に従って生きている。
若い女衆の笑顔を守るために、今までたった一人で戦ってきたのだ。
「そんな生き方をして、辛くないのか?」
「最初はちょっとだけ辛かったわ。でもここの男衆って、けっこう可愛いところもあるのよ? 二人きりだと私に優しいし。愚痴をこぼしながら甘えてくる人もいるのよ?」
男衆は常に死と隣り合せの日々。
独身男性は誰にも言えない苦しいストレスを、マリアにだけ吐き出していたのだろう。
「そうか。お前は、面白い女……いや、たいした奴だな」
これは心からの言葉。
マリアという女性に対して、俺からの心からの称賛の言葉だ。
「ありがとう、レンジ。今まで誰にも認められなかったから、本当に嬉しい言葉だわ……」
強がっているが、マリアは本当に孤独だったのだろう。
俺に褒められて本当に嬉しそうにしている。
「……そういえば、これを早く食え。冷めてしまったが、美味いぞ」
差し入れてのカレーを手渡す。
これは女衆が丹精込めて作った晩餐。
マリアが身体を張って守った少女が、恩人のために用意してくれたカレーだ。
「ありがとう……それじゃ、いただくわ」
マリアはカレーを口に運ぶ。
ゆっくりと噛みしめていく。
「うん。美味しいわ……懐かしい味だね……」
平和な時、カレーライスは庶民の味だった。
マリアも当時を思い出しているのだ。
「ウチの子も……あの子も、カレーが大好きだったの……私なんかが作ったカレーを、いつも美味しそうに食べてくれたの……」
気がつくとマリアは涙声になっていた。
幼くして亡くなった愛娘を思い出しながら、子どものようにボロボロと泣いていたのだ。
「そうか。子ども分まで味わっておけ」
「うん……そうね。本当に美味しいわ……カレーって、こんなに幸せな味だったのね……」
マリアは涙を流しながら、一口ずつ味わって食べている。
隠していた自分の過去を俺に話して、心の重荷が外れたのだろう。
だが辛い過去の話をして涙を流すことは、人にとっては悪いことではない。
ストレスを発散させ、心のケアが出来るのだ。
「……ふう……ご馳走さま、レンジ……」
気が付くと皿は空になり、マリアは笑みを浮かべていた。
だが今までの上辺だけの笑顔ではない。
心から感謝して、本当の笑顔と取り戻していたのだ。
「皿は自分で置いてこいよ。今のお前ならできるだろう?」
「うん……頑張ってみるわ」
軽蔑されている女衆の所に、マリアが皿を持っていくのは、本当に勇気がいること。
だが今の彼女なら大丈夫だろう。
理由は分からないが、俺はそんな気がしていたのだ。
「あと、これはお節介の小言だ。あんまりストレスを貯めこむな。お前が思っているほど、人は強くはない。張り詰めた糸ほど、簡単に切れてしまう」
「うん……そうね」
「俺がいる間は、話しくらいは聞いてやる。だが今後もためにも、他に誰か見つけておけ。愚痴をこぼせる仲間を」
「……うん。それも頑張ってみるわ」
これからの彼女にとって大事なのは、女衆の中に仲間を見つけること。
マリアも心のストレスを話せる相手がいないと、パンクして倒れてしまうのだ。
「それじゃ明日は早いから、俺はそろそろ戻るぞ」
明日の倉庫襲撃作戦は昼前に出発。日の出前から準備と最終確認があるのだ。
「こんなことを言えた義理じゃないけど……ここのみんなを守ってあげてね、レンジ?」
「善処する」
そう言い残して俺はマリアに背中を向ける。
ここ後のことは彼女が、一人で解決するべき問題なのだ。
「ねぇ、レンジ……今日は本当にありがとう」
「気にするな」
こうして本当の笑顔と取り戻したマリアに見送られながら、俺は寝床に向かっていくのであった。
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