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          ✳︎ 「うぅーん……」 「んー。んー、んー、んー?」  アサナさんも、英国紳士のような佇まいの石川さんも、眉間に皺を寄せている。俺はカウンター席に座って二人の反応を見比べているが、二人とも同じように首をひねり、頭の中で俺の話したことを咀嚼しているようである。  岡崎とはあのごはん会以来、週に三回くらいは会って、しょうもない話をしたり、ごはんを食べたり、ゲームをしたり、などと一緒にいる時間を作っている。二人で笑い合う時間は最高に幸せではあるのだけど、なんとなく心の中はモヤで覆われている。誰かに話を聞いてもらいたい、と思ったときに頭に浮かんだのがアサナさんと紳士の石川さんだった。  二人は俺の話を茶化すことなく、真面目に聞いてくれる。俺は自分の性的指向について人に話したことはこれまでなかった。小学生の頃のことを思い出してしまい、話してしまうと自分のことを否定されてしまうと信じて疑わなかったのだが、アサナさんも石川さんも、俺のことを否定なんてしない。それがありがたくて、嬉しくて、ちょっと泣きそうになる。 「井山ちゃんのスィーハー、井山ちゃんのことめちゃくちゃ好きじゃない」 「スィーハー?」 「ト、よ」 「ああ、なるほど」 「なるほど、じゃないわよ。そんだけベタベタしてさ、オトモダチぃーって本気なのかしら、ねぇ、センセ?」  石川さんは腕を組んで唸っている。 「んー。まぁ、最近は草食系っていう言葉もあるくらいだからねぇ」 「あら、草食系だったらベタベタしてこないんじゃあない? むしろ井山ちゃんのスィーハーは肉食系じゃない」  岡崎のあのほわほわした柔らかい笑顔を思い出す。草食か肉食で言うなら完全に草食である。岡崎に牙は似合わない。 「お、岡崎は肉食って感じじゃないですよ」 「「岡崎!」」  突然アサナさんと石川さんがハモった。 「その岡崎ちゃんを連れていらっしゃいな。あたしがその化けの皮はがしてやるわ!」 「アサナちゃん、穏やかじゃないねぇ」 「だあってぇ、井山ちゃんのことたぶらかしてるじゃなあい。無視してると思ったら会いたかっただの、手繋いだり足挟んだりしてさぁ。なあに? その岡崎ちゃんって事故物件じゃないでしょうねぇ?」 「事故物件って……不動産じゃないんですから」 「暮らしやすい物件かどうか、あたしが見極めてあげるわ!」  そんな岡崎が怯えてしまいそうなことはできない。俺は適当に笑ってお茶を濁した。鼻息のあらいアサナさんを、石川さんが落ち着かせようと冬場のお布団のような暖かい笑顔を向ける。 「まあ、井山くんも言ってるけど、岡崎くんは井山くんのことが好きなのは間違いないねえ。今の話を聞く限り、告白したらお付き合いにまで持っていけそうな気はするねえ。ただ、まあ、それはこちらがそう思うだけで、岡崎くん本人の気持ちは直接確かめないとわからないしねえ。うーん、難しいねえ」 「まあね、そりゃあわかんないわよ? 人の気持ちなんてね、その人にしかわかんないようにできてんだからさ。あたしはさ、恋のミサイルだから好きになったら発射しちゃうのね。その人に向かってちゅどーん、よっ! あ、もちろん発射のタイミングは見計らうわよ。急に発射したらお互い大怪我しちゃうからね」 「アサナちゃんは情熱的だねえ」 「ええ、あたし、パッションのオンナだから。そんでさ、相手もあたしのこと好きだったらめでたしだけど、そうじゃないことももちろんあるわけよ。そんで、その反応がさ、男が男を好きになるとかキモっみたいな場合はさ、それはそれで言って良かったなって思うわけ」 「どうしてですか? 傷つくじゃないですか」 「だってさ、そいつクソじゃない。あたしは心は女の子だけど、ボディはメーン、なわけじゃない? でもイケメンを愛するようにできてるわけよ。それはキモいとかじゃないのよ。それをわからないヤツなんて、あたしの人生の登場人物じゃないわけよ。さっさと退場してもらわないと、あたしの人生にまでそいつのクソが移っちゃうじゃない。そんなヤツのせいで傷ついてる時間なんかないの。そんなのまっぴらごめんよ!」 と、言いながらアサナさんは焼き鳥を出してくれた。今日は泣いていないので味がよくわかる。おいしい。 「うまいです」 「ありがとう井山ちゃん。そんでね、あたしはね、好きになったらこのあたしの中にある特大の好きを相手に伝えたくて伝えたくてたまらなくなるから、好きって言っちゃうけどさ、言わないっていうのもまあ……ナイよりのナシ?」 「あはは、ナシなんだね」
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