刺激

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刺激

「はぁ。サイコーだったわぁ…。」 最近ハマっていた恋愛漫画のラストを読み終え、ベッドに倒れ込む。 なんとも言えない読了感でまだ胸がドキドキしている。 主人公の女の子と、手の届かない存在だった相手役の男性は、ドラマチックなすれ違いを繰り返しながら、最後は見事恋を成就させ2人のウェディングドレスとタキシード姿でその恋に幕を下ろした。 「そろそろ帰ってくれます? もう和樹も帰ってくる頃だし。」 朱美がさっきご馳走してくれたカレーの残りを温め直しながら、漫画の余韻に浸ってぼーっとしている私に言い放つ。 時計の針は10時を過ぎた所だった。 「もうこんな時間かぁ。和樹も毎日遅くまで大変だね〜。」 読み散らかした数冊の漫画本をベッド横の棚に戻しながら、嘘くさい同情の言葉を贈る。 1LDKのアパートの中には、小学校からの同級生の朱美と、中学から同級生になった隣町の小学校出身の和樹の、漫画ほどドラマチックではないものの、2人で重ねた愛のある時間を物語る数々の写真や思い出の品が所々に飾られている。 「最近やっと後輩も出来て張り切ってるからねー。お給料もちょっとは上がってきたし、助かってるよ。」 和樹の『もうすぐ着くよ』のメールに返事を送りながら朱美が呟く。 私達はそれぞれ社会人生活も5年目を超え、やっとまだ何も知らない新人から、ちょっとは仕事を任せられる中堅社員に立場を変えた後も、幼馴染として週の何回かは顔を合わせる関係を続けていた。 そもそも朱美と和樹は大学生時代から同棲を始め、それからずっと毎日顔を合わせているわけで、ただ私がちょくちょく朱美に会いに2人の愛の巣にお邪魔しているだけなのだけど。 そんなお邪魔虫の私を、朱美は文句を言いながらも何だかんだ親友としていつでも迎え入れてくれていた。 和樹とも、もちろん同級生として仲良くしているが、最近は仕事が忙しいらしく、仕事帰りに遊びに来た私が帰るタイミングですれ違うように帰宅するので挨拶程度しか接する機会がない。 「優里も漫画ばっか読んでないで、彼氏の1人や2人作りなよね。」 出勤用の小綺麗なスカートに、ベッドでゴロゴロしてシワを付けている私に朱美がため息混じりに小言を言う。 「朱美ちゃん。私が彼氏なんか作っても、あっという間に破局するのを知ってるでしょ? 流石に3人連続3ヶ月で破局なんて記録を作ったら、しばらくは漫画の世界に逃げ込みたくもなりますよ。」 散らばったケータイやら手帳やらを鞄に放り込みながら自虐的に笑う。 「じゃ、和樹にもよろしくね! また遊びにくるよ〜。」 玄関を開けた所で和樹に出くわし、 「よっ!」と簡単な挨拶を交わす。 キッチンから朱美が 「またねー、気をつけて。」 と玄関まで見送るわけでもなく声をかける。 このお互い気を遣わない3人の関係が心地よかった。 朱美と和樹のアパートから徒歩10分もしない距離に私のアパートがある。 2人のアパートほどは広くない1DKのアパートだったが、静かな住宅街の中にあり、他の住人達も一人暮らしや単身赴任らしきサラリーマンなど同じような生活スタイルの人々ばかりで、一人で暮らすには十分な環境だった。 だんだん日が暮れるのが早くなり、蒸し暑かった夜も最近は心地よい秋の夜風が吹いて気持ちがいい。 またさっき読んだ漫画のストーリーを思い出し余韻に浸る。人肌恋しくなるような冷たい風も、漫画の中の切ない恋愛模様を思い出させて胸をキュンとさせる。 漫画はいい。 恋が実るまでの、淡く切ない日々が描かれ、ハッピーエンドで幕を閉じる。 その先に待ち受ける、マンネリや世帯じみた生活感、ときめきの消えた生活は描かれていない。読者は、応援し続けた二人がこの先も愛と感動に満ちた生活を送り続けると信じて疑わない。 読了後は、私達に微熱のような高揚感だけを与えて、また新たな物語を次の漫画に求めることを許してくれる。 常に私に刺激を与え続けてくれるのだ。 ふと、朱美と和樹の2人で並ぶ姿を思い出す。 私の恋愛といえば、新しい男を作っては、最初の頃の私を切ないまでに愛しそうに見つめる姿を諦めることが出来ず、必要以上に愛を確認し、問い詰め、あの頃は良かったと責め立てる私に、男が耐えきれず別れを告げる。はたまた消息を絶つように私の前から忽然と姿を消し携帯も繋がらなくなる。その繰り返しだった。 そんな私にとって2人は希望だった。 中学の頃からの甘い初恋を、今も変わらずお互いに守り続け、側から見たら世帯じみた同棲生活も、それが今の2人の愛の形なのだと堂々と受け入れている。 けしてトキメキがなくなったわけではなく、ただ2人の愛が進化しただけ。 私はそんな恋愛の育て方を知らない。 いつも、刺激と痛い程の相手からの愛情、情熱がなければ、恋愛を正しく継続することができない。全てを手に入れてしまった後の、男の態度の変化に我慢がならない。 きっと、男にとって、私という目標物をやっとのことで手に入れた後に、少しも落ち着いた時間を与えられず私の癇癪のような欲求に応え続けることは相当な精神的忍耐が必要なのだろう。 幸いなことに、そうやって完全に去っていった男に対しては、私も憑き物が落ちたように興味を失った。そして、結局私は、その男自身を求めていたのではなく、出会った頃の甘く苦しい刺激に満ちた日々をただ求めていただけだと気付く。 そもそも、私の中にあった男に対する愛すら嘘だったと気付き、猛烈に冷めていくのだ。 私はただ、刺激を得るためだけに恋愛をしていた。 私のこの刺激を求める欲求の元はなんなんだろうか。 いつか、朱美と和樹のような、何もないことが幸せと笑い合えるような相手が私にも訪れるのだろうか…。
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