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高嶺の花
コンビニでカゴを持った和田さんの横に並ぶ。
缶ビールや枝豆、焼き鳥などのつまみを次々にカゴの中に放り込む。
「こんなに飲めるかな?」
と上目遣いをする私に、
「次来た時まで取っておくから大丈夫だよ。」
と優しい笑顔を向ける。
勝ちか負けか、まだ勝敗はついていない。
1回目のデートで居酒屋、2回目の今回ですでに和田さんのアパートで宅飲みをする流れに持ち込まれている時点で、半分負けが見えているようなものだけど。
それでも、和田さんの言う『次来た時』という言葉に一縷の望みをかける。
ここから逆転ホームランをぶっ放せば、それこそドラマチックな感動の勝利が手に入る。
ふと、レジ横に並べられた少年漫画の主人公が描かれたお菓子の袋が目に入る。
昨日発売されたばかりで、全20種類のカードが同封されたそのお菓子を、私は昨日仕事帰りにも関わらずコンビニを7軒ハシゴして探し回ったのに手に入らなかった。
喉から手が出るほど欲しかったそのお菓子を、並べられた全ての袋を鷲掴みにして和田さんの持つカゴにぶち込みたい。
そんな私の渦巻く欲求に気付く様子もなく、何を勘違いしたのか、和田さんは物欲しそうな私の手をぎゅっと握ってレジにカゴを置いた。
私より5つ以上年上の和田さんは、少年漫画のお菓子を欲しがる私とは対照的に、大人の余裕を醸し出しながら会計を終えた。
和田さんは私の会社に定期的に訪れる取引先の営業マンだった。
私の勤める会社は機械の部品メーカーの下請け会社で、主に設計を行なっている。工学部出身の男性社員がほとんどで、女性社員は事務を担当する私と、50代半ばですでに成人した子供を持つ山田さんの2人だけだった。
一日中ほぼパソコンに向かい合う男性社員と、ほとんどを外回りで過ごす男性社員に二分していて、猫背でパソコンにやたらと近い距離で顔を近づけ業務に没頭する社員は、皆同じオタクっぽい雰囲気を纏っていた。
それでも、私はそんな少しむさ苦しさすら漂うオフィスで、一輪の花のように咲き誇るため、毎日化粧も自分磨きの為のジョギングも欠かさない日々を送っていた。
そしてそんな男ばかりの職場で、来客にお茶を出すのは唯一の20代女性社員の私の仕事だった。
和田さんは、産業用ロボットのベンチャー企業の社員で、30代前半にしてすでに役職がついていた。
しかし、そんな肩書きを感じさせないほどに物腰は柔らかく、毎回お茶を出す私に丁寧に感謝を伝え、応接室を出る私の姿を最後まで微笑みを向けて見送ってくれた。
私も、和田さんの優しい笑顔の瞳の向こうに、ただの事務員に向けるのとは違う意味が込められているのを感じ取っていた。
まだ来客対応の社員が現れる前の隙をつき、和田さんに名刺を渡されたのは、和田さんが4回目の来社をした時だった。
表には立派な肩書きと名前、裏には彼の個人的なメールアドレスと電話番号が書かれていた。
もらった名刺は熱を帯び、恋愛漫画を読んでいる時の様な淡い期待と胸を締め付ける切なさを与えてくれる。
会社を去る時の、私だけに向けられた秘密の目配せがさらに鼓動を早める。
私が求めるのはこういうの。
2人だけの秘密と甘い刺激。
私に向けられる熱い視線。
そんな刺激を得るために、私は毎日このオフィスで高嶺の花の様に咲き誇る。
危険を顧みず、皆がこぞって私を目指して崖を登るように、甘い香りを漂わせて男達を待つの。
「じゃあ、行こっか。」
背の高い和田さんの差し出した手に、私の腕を絡める。
まだ、「付き合おう」と言われたわけではない。
しかし、まだ勝っても負けてもいない。
決勝戦はまだこれから。
それまでは、私はちゃんと『高嶺の花』のままだった。
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