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 先月のこと。  いつもと変わらない下校中。いつものように、学校の校庭で友達数人と遊んだあと、奏凛と夏鈴は同じ道で帰る。学校からは、夏鈴の家が近く、ちょっと進んだ先に奏凛の家があった。朝は、奏凛が夏鈴の家に迎えに行って登校し、帰りは夏鈴を送る形で家に着くのが奏凛の日課となっていた。  ただ、その日の朝だけは、夏鈴が遅刻して学校に来たために、一緒に登校はしていなかった。そして、その日一日、夏鈴の元気がなかったので、奏凛はそわそわしながらの下校だった。 「……それにしても、寒くなってきたな」 「……そうだね」 「もうすぐ、冬だもんな。あ、今年のクリスマスも、僕の家でお祝いしよう」 「……そうだね」 「ケーキに、フライドチキンに、クリスマスプレゼント。今年は、ぬいぐくるみはやめてくれよ。恥ずかしいから」 「……うん」 「それから、冬休みに、初詣。今年も書初めの宿題出されるのかな? それ苦手だから、夏鈴も手伝ってよ?」 「……うん」 「それにしても、楽しみだな。早く、冬にならないかな」 「……や……だ」 「え? 何?」 「……嫌だ! 冬なんて、来なければいいのに!」 「……か、夏鈴!」  突然、夏鈴は走り出した。普段は、どんな時でもおっとりとしていて、大きな声を出さない夏鈴が、全身を使って大きな声を出した。  あまりの出来事に、硬直した奏凛だったが、すぐに夏鈴を追いかける。 「ちょ、ちょっと、待てよ!」 「……きゃ!」  小さな悲鳴をあげ、夏鈴は転んでしまった。普段から、走り慣れていないせいもあり、数十メートル走った所で転んでしまった。  心配する奏凛が駆け寄る。 「大丈夫か?」 「……」 「ほら、手につかまれ」 「……う、うわああああああああ」 「ちょ、ちょと……」  突然の号泣に、戸惑う奏凛。学年トップの成績、運動も得意なクラスの人気、いつも冷静な奏凛でも女の涙には弱い。  まだ幼いとはいえ、奏凛が男である証拠だった。 「と、とにかく落ち着こう。……ほ、ほら」 「……ぐすん」  周囲を見渡し、誰も居ないことを確認すると、奏凛はいつものように夏鈴の手を自分の胸に押し当てる。夏鈴が泣いてしまった時、どうしようもない時に使う最終奥義。奏凛にとってはとても恥ずかしく、誰にも見られたくない羞恥心を試される行動。  女心が複雑であるように、男心もまた複雑なのである。 「……落ち着いた?」 「……うん。ごめんね」 「いいよ。それより、何かあったの?」 「……あ、あのね……」  道端に座り込み、ようやく落ち着きを取り戻したが、それでも目に溜まった涙は、今にも零れ落ちそうになっていた。  言葉を選び、必死に伝えようとする夏鈴を、奏凛は静かに見守っている。 「……実は、もうすぐ引っ越しなくちゃいけなくて……」 「引っ越し?」 「うん。パパのお仕事の都合で……」 「そ、そんな大事なこと、何で言わなかったんだよ!」 「――だって、夏鈴だって昨日いきなり言われたから。奏ちゃんに、何て伝えればいいかわからなくて……。奏ちゃんと離れたくないよ!」 「……夏鈴」  夏鈴の家族は、祖母の家に住んでいた。父親は、この町の出身であったが、大学進学を機に上京。そのまま、就職をし結婚した。しかし、祖父が他界してしまい、祖母を一人にしておくことを懸念した両親と一緒に、この町へと引っ越して来た。  それから、夏鈴が産まれ、幼稚園で二人は出逢い、それからずっと一緒に過ごしていた。何をするにも一緒、どこへ行くにも一緒、大半の思い出には互いが存在し、それはこれからも続くものだと思っていた。  二人の絆は、鎖のように強固であり、断ち切ることのできない呪いのようであった。 「それで、引っ越しはいつ?」 「来月。もう、引っ越しの準備を始めてる」 「来月か……」 「奏ちゃん。夏鈴が、引っ越さなくても済む方法ない?」 「引っ越さなくても済む方法ね……」 「うん。奏ちゃん、夏鈴より頭いいでしょう。だから、考えて」  無茶な要求である。これまで、夏鈴の悩みの大半を解決してきた奏凛だったが、こればかりは力になれない。友達との仲直りや、テスト勉強を教えるなどとは次元の違う問題。まだ、小学生の身分では、どうにも解決できない難題だが、夏鈴は「奏凛なら何とかしてくれる」と、本気で期待している。  その期待に応えるべく、奏凛は知恵を絞った。 「……単純に、引っ越ししないよう、お父さんに言えないのか?」 「無理だよ。パパが、お仕事を辞めれば別だけれど、この町で他にお仕事なんて、簡単には見つからないよ」 「そうだよな」  二人の住む町は、地方の田舎町。人口も少なければ、働き口も少ない。夏鈴の父親も、隣町まで片道数十キロの通勤を強いられていた。また、悪いことに、数年前からの不況で求人は減る一方。町を離れ、出稼ぎをする家もあった。  そんな、生活に苦労している両親を見てきている夏鈴は、自分の要求がわがままであることを自覚していた。 「お祖母さんは? この町に残るなら、夏鈴も残って一緒に暮らしてもらえば――」 「おばあちゃんも一緒に引っ越すの。家も、売りに出すって言ってた」 「そうか。じゃあ――」  知恵を絞り、思いつく限りの解決案を口にしてみる。時に拙く、幼稚な案も含まれていたが、なりふり構っていられる状況ではなかった。しかし、労力に対して一向に答えには行きつかない。それもそのはず、家族間でこれからのことも含め、話し合いがすでに済んでいるのなら、引っ越しはもはや、重要事項ではなく決定事項である。決定事項を覆すだけの案を、小学生の奏凛から出てくるのなら、それはもはや革新に近い。  自分では、どうすることもできない、幼さゆえに夏鈴の力になれない歯痒さに、奏凛は打ちのめされていた。 「そ、そうか。八方塞がりだな」 「どうしよう、奏ちゃん。夏鈴、引っ越さなきゃいけなくなっちゃう。奏ちゃんは、夏鈴が居なくなってもいいの?」 「良くはないよ。……でも、小学生の僕には、どうすることもできない」 「……そうだよね。仕方ないよね」 「……ごめんね、夏鈴」 「うんうん。奏ちゃんが、夏鈴のために色々考えてくれて嬉しかった」 「嬉しいか……。引っ越しまで、たくさん嬉しい思い出を作ろうな」 「……うん」 「これから毎日、思い出作りだ。川に行って、山に行って、楽しい思い出でいっぱいにしよう」 「うん。そうだ、写真をいっぱい撮ろう」 「写真か……いいね。そうだ、神社の境内に隠してある宝箱にも入れよう。十年後、一緒に掘り起こした時、思い出の写真がいっぱいあったら嬉しいだろう?」 「うん。素敵!」 「ああ、楽しみだな。あと――」  あとどれくらい、一緒にいられるのか――と、一瞬過った言葉を飲み込む奏凛。言葉にしてしまったら、声に出してしまったら、せっかく笑顔に戻った夏鈴を、悲しませてしまうと思っての行動だった。  どんな時でも、夏鈴のことを一番に考えてしまう特別な感情は、恋に近い気持ちなのだが、まだ幼い奏凛には理解できていなかった。  しかしそれは、奏凛だけではなかった。 「本当、楽しみだね……」 「……か、夏鈴」 「……ご、ごめんね。でも、奏ちゃんとお別れしちゃうが、どうしても忘れなれなくて……。やっぱり奏ちゃんと、お別れしたくないよ」 「……」  下を向いたまま、必死に涙を堪える夏鈴。自分が泣いてしまえば、奏凛が困ってしまうことを理解して、泣き顔を見せないようにするのだが、震える肩が「ぐすっ」と鼻をすする声を、奏凛が見逃すはずもない。だが、最終奥義を使ってしまった以上、もう何も残されていなかった。  完全にお手上げ状態。この上ない無力感に襲われた時、人は無意識に沈黙を選択してしまう。何か行動を起こしても、何も解決できないのなら、それはただ自分の無力さを痛感してしまうだけ。愚かさを晒してしまうだけの愚行なのだから。 「ごめん、夏鈴。僕には……」 「……そうだ。こんな時は、もう神様にお願いするしかないよ!」 「か、神様?」 「うん、神様。おばあちゃんから聞いた話を思い出したの。ほら、あの山。あの山の頂上に神様のお家があって、その神様はどんなお願いも叶えてくれるって言ってた。だから、神様にお願いするの。奏ちゃんと、ずっと一緒にいられますように――って」 「……夏鈴――」  小学生にしては、冷めている印象を持たれる奏凛。その理由は、合理的な考え方をしているところにある。最短で、最速で、真っ直ぐに答えに行き着くことだけを考える効率重視の考えは、非科学的な現象を否定し、偶然や運命等の不確定要素を排除してしまう。サンタは両親、幽霊は迷信、神様は存在しない――と、超現実主義者として完成されていた。  つまり、およそ小学生としては可愛げがない。可愛げがないから、神様にお願いするなど、夏鈴の可愛げのある提案を、大手を振って受け入れるわけにはいかなかった。  しかし、手詰まりのこの状況に措いて、夏鈴の提案は救いの手でもある。非科学的で、おおよそ解決案としては心許なく、これで解決するとは到底思えないのだが、愚かさを晒したくない奏凛には、受け入れる以外の選択肢はない。  愚かさを晒したくないから、愚行を選んでしまう。人間とは、何と不器用な生き物なのだろうか。 「――神様にお願いしてみようか? 二人がいつまでも、一緒に居られますようにって」 「うん。奏ちゃん、ありがとう」  とりあえず、夏鈴の泣き顔を見ないで済んだことに、胸を撫で下ろす奏凛だった。
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