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04
先月のこと。
いつもと変わらない下校中。いつものように、学校の校庭で友達数人と遊んだあと、奏凛と夏鈴は同じ道で帰る。学校からは、夏鈴の家が近く、ちょっと進んだ先に奏凛の家があった。朝は、奏凛が夏鈴の家に迎えに行って登校し、帰りは夏鈴を送る形で家に着くのが奏凛の日課となっていた。
ただ、その日の朝だけは、夏鈴が遅刻して学校に来たために、一緒に登校はしていなかった。そして、その日一日、夏鈴の元気がなかったので、奏凛はそわそわしながらの下校だった。
「……それにしても、寒くなってきたな」
「……そうだね」
「もうすぐ、冬だもんな。あ、今年のクリスマスも、僕の家でお祝いしよう」
「……そうだね」
「ケーキに、フライドチキンに、クリスマスプレゼント。今年は、ぬいぐくるみはやめてくれよ。恥ずかしいから」
「……うん」
「それから、冬休みに、初詣。今年も書初めの宿題出されるのかな? それ苦手だから、夏鈴も手伝ってよ?」
「……うん」
「それにしても、楽しみだな。早く、冬にならないかな」
「……や……だ」
「え? 何?」
「……嫌だ! 冬なんて、来なければいいのに!」
「……か、夏鈴!」
突然、夏鈴は走り出した。普段は、どんな時でもおっとりとしていて、大きな声を出さない夏鈴が、全身を使って大きな声を出した。
あまりの出来事に、硬直した奏凛だったが、すぐに夏鈴を追いかける。
「ちょ、ちょっと、待てよ!」
「……きゃ!」
小さな悲鳴をあげ、夏鈴は転んでしまった。普段から、走り慣れていないせいもあり、数十メートル走った所で転んでしまった。
心配する奏凛が駆け寄る。
「大丈夫か?」
「……」
「ほら、手につかまれ」
「……う、うわああああああああ」
「ちょ、ちょと……」
突然の号泣に、戸惑う奏凛。学年トップの成績、運動も得意なクラスの人気、いつも冷静な奏凛でも女の涙には弱い。
まだ幼いとはいえ、奏凛が男である証拠だった。
「と、とにかく落ち着こう。……ほ、ほら」
「……ぐすん」
周囲を見渡し、誰も居ないことを確認すると、奏凛はいつものように夏鈴の手を自分の胸に押し当てる。夏鈴が泣いてしまった時、どうしようもない時に使う最終奥義。奏凛にとってはとても恥ずかしく、誰にも見られたくない羞恥心を試される行動。
女心が複雑であるように、男心もまた複雑なのである。
「……落ち着いた?」
「……うん。ごめんね」
「いいよ。それより、何かあったの?」
「……あ、あのね……」
道端に座り込み、ようやく落ち着きを取り戻したが、それでも目に溜まった涙は、今にも零れ落ちそうになっていた。
言葉を選び、必死に伝えようとする夏鈴を、奏凛は静かに見守っている。
「……実は、もうすぐ引っ越しなくちゃいけなくて……」
「引っ越し?」
「うん。パパのお仕事の都合で……」
「そ、そんな大事なこと、何で言わなかったんだよ!」
「――だって、夏鈴だって昨日いきなり言われたから。奏ちゃんに、何て伝えればいいかわからなくて……。奏ちゃんと離れたくないよ!」
「……夏鈴」
夏鈴の家族は、祖母の家に住んでいた。父親は、この町の出身であったが、大学進学を機に上京。そのまま、就職をし結婚した。しかし、祖父が他界してしまい、祖母を一人にしておくことを懸念した両親と一緒に、この町へと引っ越して来た。
それから、夏鈴が産まれ、幼稚園で二人は出逢い、それからずっと一緒に過ごしていた。何をするにも一緒、どこへ行くにも一緒、大半の思い出には互いが存在し、それはこれからも続くものだと思っていた。
二人の絆は、鎖のように強固であり、断ち切ることのできない呪いのようであった。
「それで、引っ越しはいつ?」
「来月。もう、引っ越しの準備を始めてる」
「来月か……」
「奏ちゃん。夏鈴が、引っ越さなくても済む方法ない?」
「引っ越さなくても済む方法ね……」
「うん。奏ちゃん、夏鈴より頭いいでしょう。だから、考えて」
無茶な要求である。これまで、夏鈴の悩みの大半を解決してきた奏凛だったが、こればかりは力になれない。友達との仲直りや、テスト勉強を教えるなどとは次元の違う問題。まだ、小学生の身分では、どうにも解決できない難題だが、夏鈴は「奏凛なら何とかしてくれる」と、本気で期待している。
その期待に応えるべく、奏凛は知恵を絞った。
「……単純に、引っ越ししないよう、お父さんに言えないのか?」
「無理だよ。パパが、お仕事を辞めれば別だけれど、この町で他にお仕事なんて、簡単には見つからないよ」
「そうだよな」
二人の住む町は、地方の田舎町。人口も少なければ、働き口も少ない。夏鈴の父親も、隣町まで片道数十キロの通勤を強いられていた。また、悪いことに、数年前からの不況で求人は減る一方。町を離れ、出稼ぎをする家もあった。
そんな、生活に苦労している両親を見てきている夏鈴は、自分の要求がわがままであることを自覚していた。
「お祖母さんは? この町に残るなら、夏鈴も残って一緒に暮らしてもらえば――」
「おばあちゃんも一緒に引っ越すの。家も、売りに出すって言ってた」
「そうか。じゃあ――」
知恵を絞り、思いつく限りの解決案を口にしてみる。時に拙く、幼稚な案も含まれていたが、なりふり構っていられる状況ではなかった。しかし、労力に対して一向に答えには行きつかない。それもそのはず、家族間でこれからのことも含め、話し合いがすでに済んでいるのなら、引っ越しはもはや、重要事項ではなく決定事項である。決定事項を覆すだけの案を、小学生の奏凛から出てくるのなら、それはもはや革新に近い。
自分では、どうすることもできない、幼さゆえに夏鈴の力になれない歯痒さに、奏凛は打ちのめされていた。
「そ、そうか。八方塞がりだな」
「どうしよう、奏ちゃん。夏鈴、引っ越さなきゃいけなくなっちゃう。奏ちゃんは、夏鈴が居なくなってもいいの?」
「良くはないよ。……でも、小学生の僕には、どうすることもできない」
「……そうだよね。仕方ないよね」
「……ごめんね、夏鈴」
「うんうん。奏ちゃんが、夏鈴のために色々考えてくれて嬉しかった」
「嬉しいか……。引っ越しまで、たくさん嬉しい思い出を作ろうな」
「……うん」
「これから毎日、思い出作りだ。川に行って、山に行って、楽しい思い出でいっぱいにしよう」
「うん。そうだ、写真をいっぱい撮ろう」
「写真か……いいね。そうだ、神社の境内に隠してある宝箱にも入れよう。十年後、一緒に掘り起こした時、思い出の写真がいっぱいあったら嬉しいだろう?」
「うん。素敵!」
「ああ、楽しみだな。あと――」
あとどれくらい、一緒にいられるのか――と、一瞬過った言葉を飲み込む奏凛。言葉にしてしまったら、声に出してしまったら、せっかく笑顔に戻った夏鈴を、悲しませてしまうと思っての行動だった。
どんな時でも、夏鈴のことを一番に考えてしまう特別な感情は、恋に近い気持ちなのだが、まだ幼い奏凛には理解できていなかった。
しかしそれは、奏凛だけではなかった。
「本当、楽しみだね……」
「……か、夏鈴」
「……ご、ごめんね。でも、奏ちゃんとお別れしちゃうが、どうしても忘れなれなくて……。やっぱり奏ちゃんと、お別れしたくないよ」
「……」
下を向いたまま、必死に涙を堪える夏鈴。自分が泣いてしまえば、奏凛が困ってしまうことを理解して、泣き顔を見せないようにするのだが、震える肩が「ぐすっ」と鼻をすする声を、奏凛が見逃すはずもない。だが、最終奥義を使ってしまった以上、もう何も残されていなかった。
完全にお手上げ状態。この上ない無力感に襲われた時、人は無意識に沈黙を選択してしまう。何か行動を起こしても、何も解決できないのなら、それはただ自分の無力さを痛感してしまうだけ。愚かさを晒してしまうだけの愚行なのだから。
「ごめん、夏鈴。僕には……」
「……そうだ。こんな時は、もう神様にお願いするしかないよ!」
「か、神様?」
「うん、神様。おばあちゃんから聞いた話を思い出したの。ほら、あの山。あの山の頂上に神様のお家があって、その神様はどんなお願いも叶えてくれるって言ってた。だから、神様にお願いするの。奏ちゃんと、ずっと一緒にいられますように――って」
「……夏鈴――」
小学生にしては、冷めている印象を持たれる奏凛。その理由は、合理的な考え方をしているところにある。最短で、最速で、真っ直ぐに答えに行き着くことだけを考える効率重視の考えは、非科学的な現象を否定し、偶然や運命等の不確定要素を排除してしまう。サンタは両親、幽霊は迷信、神様は存在しない――と、超現実主義者として完成されていた。
つまり、およそ小学生としては可愛げがない。可愛げがないから、神様にお願いするなど、夏鈴の可愛げのある提案を、大手を振って受け入れるわけにはいかなかった。
しかし、手詰まりのこの状況に措いて、夏鈴の提案は救いの手でもある。非科学的で、おおよそ解決案としては心許なく、これで解決するとは到底思えないのだが、愚かさを晒したくない奏凛には、受け入れる以外の選択肢はない。
愚かさを晒したくないから、愚行を選んでしまう。人間とは、何と不器用な生き物なのだろうか。
「――神様にお願いしてみようか? 二人がいつまでも、一緒に居られますようにって」
「うん。奏ちゃん、ありがとう」
とりあえず、夏鈴の泣き顔を見ないで済んだことに、胸を撫で下ろす奏凛だった。
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