絶対お外に出たい女VS絶対スマホを自慢したい男

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「………うん、うん、とにかく落ち着いて。今どこにいるの?」 「ああ、神様……神様…」 今現在に至るまで神に向かって真剣に祈った事のない彼女であったが、この時ばかりは教義の内容を深く理解したし、厚く感謝の言葉を口にした。両親は共に敬虔な信徒で、週末には欠かさず教会へと赴くような人達であったが、彼女自身の信仰心は薄弱であったといえる。もちろん幼い頃は両親と共に教会へ通ったし、神父の説教には熱心に耳を傾けていたが、両親より度々聞かされた『困難は祈りでなく行動によって越えていくものである』という教えが寧ろ彼女を信仰から遠ざけた。矛盾などないのだろう、何しろ両親は模範的な信徒のあるべき姿、とるべき行動をそのまま現実世界に持ってきたような人間である。しかし彼女は両親のその言葉を生活の標とし、祈りを捧げる時間を割いて日々の受難を打開する事に充ててきたのだ。 「………あぁ……感謝します……神様……」 そんな彼女が、この時ばかりは教義の内容を深く理解したし、厚く感謝の言葉を口にした。 「どうか落ち着くんだ。聞こえているかい?」 「もちろん。もしもし?本当に聞こえてるのね?」 「そうとも、ハッキリ聞こえているさ」 「ああ、本当によかった!感謝します!ああ!神様!」 彼女の心を信仰心で充すには十分であろう。 「閉じ込められているの。多分……箱みたいな、なんか木の、四角くて狭い場所」 この状況。 棺と呼ぶにも相応しくないような簡素かつ強固な箱の中。目覚めてから数時間もの間、彼女は出荷前の果実の気分を味わっていた。既に自助努力でどうにかなるような状態にない。足すら満足に伸ばす事の出来ないような狭い空間には明かりも据えられておらず、ここが一体どのような形をしているかという、それすらスマートフォンの灯りで照らし出し漸く確認したようなものである。 電波も届かず、助けを呼ぶ事すらできない。 最早祈るくらいしかする事がなく、絶望に打ちひしがれている中、不意に、スマートフォンに着信があったのだ。 「私、閉じ込められている。とにかく狭いの。電波も届かなくて…」 当然、自身のスマートフォンのアンテナが立たないような場所で着信があった事に不審は募るものの、今の彼女にはその事について考えを巡らすような余裕はない。 「アンテナが立たないの。ねぇ、こんなのおかしいわ。私街に居たのよ?今時下水道の中に居たって電波が届いてもおかしくないのに…」 「そうだね…」 同意した電話口の相手は、彼女の中学時代のボーイフレンド。直ぐに別れてもう何年も連絡すらしていない。寡黙で知的な雰囲気が気に入っていたのだが、付き合ってみるととても保守的で、活動的な彼女には少し退屈な性格をしていたのだ。父親と少し似る彼の考え方に反抗期も盛りだった彼女はウンザリして別れを告げた。 その頃より、少しばかり滑らかに感じる彼の口調。 彼は、 「そんな場所でも電波が届いてしまうのさ。この………新型アイファンだったらね」 そう言った。 「…………そ?」 数瞬、言葉を失う。 単純に彼の言っている言葉が理解出来なかったのだ。 「そうなんだ。実は今日、今さっき届いたんだよ。新型アイファン。販売初日は前日から並んでも買えなくて。泣く泣く後発組さ。予約サイトも直ぐに落ちちゃうから、1ヶ月くらいスマートフォンと睨めっこしてたよ」 「そうね?えっと………あの……」 やはり大分饒舌になっている。 こっちの話が通じていないようだ。 「あの……聞いてる?他の電話は通じなくてその………大変なの」 「他の?電話は?通じないぃ?それは大変だろうとも。そうなんだね他の電話は通じない。じゃあ僕の電話は何で通じるんだと思う?」 「あの……もしもし?」 「それは新しいアイファンだけに搭載された新技術。アンテナでカバーされてない地域に入ると自動で衛星電話に切り替え。地球上のほぼ全ての地域で通話が可能なのさ(通話料とは別途で使用料金が掛かります)。そう、この新型アイファンなら、どこに居ても入っちゃうのさ何がそうデ・ン・パ」 想像だに出来ない状況である。 どうかしてしまったのだろうか? しかし、こちらの話を聞かずにひたすらに新型アイファンとやらの自慢を続ける彼が、あるいは、と、今更ながら彼女を冷静にさせた。 中学生時分とはいえ、昔のガールフレンドが訳の分からない場所に恐らく監禁されているのだ。何の含みもなくこんな下らない話をするだろうか?彼は優しい人ではあった。また、記憶の中では陰気と表現しても障りが無い程度にはもの静かな人だった。 目的は不明だが、彼はもしかしたら私を逆上させたいのでは?と、勘ぐる。 「…………あの、私の声聞こえてる?」 「聞こえているともハッキリと、明瞭に、正確に、だから明確に違う。オンリーワン、オンリーユー、新型アイファン。例えば……何か小声で囁いてみてもらっても?」 冗長である。苛立つ。 「…………………」 しかし彼に向かって怒鳴り声をあげる勇気が出ない。彼女をこんな目に合わせた人間と彼が関係している証もまた無いのだ。下手に逆上して、その事に彼が腹を立てて通話を切ってしまっては、また最初の状況に逆戻りである。いや、元より悪い。彼女のスマートフォンは既に充電が20%を切っている。 「……助けて……」 結果、言いなりになるしかない。 「そんな大きな声じゃ黒電話だって聞こえるよ。もっと小さな声で?」 が、このままでもいけない。 「………閉じ込められてるの。箱の中に……」 意味が分からない。 「良くなって来た良くなって来た…」 訳が分からない。 「でも………もっと小声でどーぞ?」 なんなのだこの男は。 「話を聞いて!死にそうなの!」 とうとう我慢出来ず、叫び声をあげる。 「おっとぉ、鼓膜が破れそう!」 しかし彼は、戯けるような態度を改める事はない。 「でも安心して、この新型アイファンに搭載された自動音声調節システムは小さな声を大きく、大きな声を小さく、瞬時に判断して自動で調節してくれるのさ」 「この〇〇〇〇〇〇!!その下らない〇〇〇〇な○○○を直ぐに止めろ!!!」 「あらら、酷い騒音。でもこの自動音声調節システムにお任せあれ。雑音の中から貴方の声を抽出。他の音を小さくしてくれるのさ。例えライブの最中にプロポーズされたってへっちゃら!ま、僕ならそんなの、断るけどぉねっ。過信しないで?新型アイファンだって使わない方が良い時も、あるんです」 「………………………」 再び、絶句。 しかしここに至り、彼が今の状況とはどうやら無関係なのではないかと彼女は思い始める。 だって、何か言うだろう? 今彼女の身に起きている事を予め把握しているのならば、何か言うはずなのだ。 条件か、交渉か、要求か。愉快犯だったとして少なくとも今する話は新型アイファンの自慢ではないはずだ。 と、いうか、である。 想像したくはないが、犯人に彼女の命を助ける気が無く、ただただ殺す事が目的だったとしても、箱に閉じ込めて放置する理由が分からない。当たり前だが目覚める前は眠っていたのだ、さして抵抗もなかったろう。スマートフォンがポケットの中に残っていた理由も分からない。手足が縛られていないのも気になる。声が出せるのが怖い。 まるで……… まるでもう開く気がないみたいだ。 彼女はブルリと震える。 「ねぇお願いだから話を聞いて!?お願い!話を聞いて!お願い!」 出たい。 出たい!出たい!出たい!出たい!出たい! 一度怖い想像をしてしまうともうダメである。彼女はこの蓋が二度と開かない可能性について想起するべきではなかった。 「聞いて!私をココから出して!お願い!聞いて!聞いて!」 汗が吹き出す。もうダメだ、もう冷静には戻れない。 出たい!出たい!出たい! 私がこんな所で死ぬなんてありえない! 実際理不尽である。流石に清廉潔白という訳ではないが、彼女には犯罪歴もなければ酒やドラッグに溺れた過去もない。真面目に勉学に励んだし、真面目に就業している。ボーイフレンドも過去に何人か居るが、彼女の感覚では別れの際に諍いはなかった。職場や友人との間にトラブルもなく、何より彼女は仕事から生活、趣味に至るまで遍く勤勉で努力家であった。 心当たりがないのだ。こんな目に遭う事について全く身に覚えがないのだ。 「とにかく私の話を聞いて!」 悲痛な叫び。悲鳴と言っていい。 電話口の元ボーイフレンドは、 「聞きましょう?」 そう答えた。 「聞いてくれるの!?」 「聞きましょう」 漸く、漸く事態を飲み込んでくれたのか? かなりの苛立ちが残るも、彼女は「ふぅー」とひとつ、大きく息を吐いて一度忘れる事にする。 とにかく助からなければ。 そう、助かるのだ。 「ありがとう……ありがとう!本当に!あぁ!本当にありがとう!昨日の夜に自宅でお酒を呑んだわ。目が覚めたら閉じ込められていたの……ここが何処なのかもわからない、何が目的なのかも分からない、私をここに閉じ込めた人の顔も見てないの、心当たりもない。警察を呼んで頂戴。私を助けて。ここから出して」 「GPSは?」 「繋がらない!私の電話は圏外なの!」 「それはお困りでしょう」 「怖いの!怖いわ!頭がどうにかなっちゃいそうなの!警察に電話して!お願い!」 「何故、お困りで?」 不意に、またしても、彼が、彼は… 「………………はぁっ!?」 「今貴方が何故困っているのか?そうっ!ソレは貴方のスマートフォンが新型アイファンじゃあないからっ!いいえ、私のスマートフォンはもちろん7G対応よ。でもあれ?それじゃぁ南極のペンギンとは通話出来ないよ?北極のクマはSNS禁止?ああ神様、そんなの可哀想だわ。そんな貴方はどうか安心して?貴方のする事は一つ、オンラインショップでボタンを押す、それだけ。もちろん新型アイファンは全てSIMフリー。届いた本体にカードを差し込むだけですぐに使えるんです。充電しなきゃ使えない?ノンノン、新型アイファンは充電済みで届くんです!一番のおすすめはホスピタリティー。オンリーワン、オンリーユー、新型アイファン」 彼は、警察に通報する気など、無い。 「………………はぁ……はぁ……」 息が苦しい。 頭痛がする。 気分が悪い。 閉じ込められているからか、決定的な何かを悟ってしまったからか。 「お願いだから……どうか……」 「貴方は今、選択肢を持っている」 「……………はぁ……はぁ………え?」 そんな状況のなか、またしても彼の言葉を直ぐには理解出来ず聞き返す。 「YESかNO、貴方はどちらも選べる」 唐突に突きつけられた選択。 「まさ………貴方なの?まさか…………何の事………いえ、えっと………?」 「目の前には二つの道」 戯ける様なその口調は変える事のないまま。 「どういう意味?貴方なの?何か気に障ったのなら謝るわ、訴訟を起こしてくれてもいい。どうか私を殺さないで。ここから出して」 「新型アイファン?or not」 「…………………………」 それは、彼の話が何一つ変わっていなかったから。 「どうせ高価いんでしょうって?心配ご無用、只今キャンペーン実施中。複数台まとめて買うと2台目以降は何台でも半額キャッシュバック(キャンペーンご利用には条件があります)。僕に一台、ワイフに一台、ペットのジョンにもう一台。何台買っても、ホスピタリティーはフリー」 「…………………ねぇどうして……」 「どうして新型アイファンかって?それはかつてない体験。新型アイファンに実装された最高のUI。シンプルで滑らかな操作性。美しく機能的な視認性。標準搭載のカメラは遂にビリオンの色彩へ。スピーカーは3Dを超えた領域へ。研ぎ澄まされた…」 「いい加減にして!もう黙って!貴方頭がおかしいのよ!ちょっと!貴方の周りに誰かいないの!?貴方以外を出して!」 「僕は孤独、でも世界と繋がってい…」 「黙れ!お願いだからもう黙って!ねぇ!私は閉じ込められてるの!横向きに寝かされてる!携帯電話は圏外なの!分かる!?地面に埋められているのかも知れない!水に沈められているのかも知れない!酸素がなくなってしまうかも知れないの!時間がないの!出して!出して!出して!貴方が今助けてくれないと私は死ぬの!怖いの!何でこんな目にあってるのかも分からないまま、こんなところで1人死にたくない!死にたくない!」 「寂しい?孤独?大丈夫。新型アイファンに搭載されたASiriは従来のAIでは実現しえな…」 「黙れ!黙れ!その〇〇まみれの口を閉じろ!〇〇〇〇!〇〇〇〇〇〇しろ!警察を呼べ!誰でもいいからお前以外をこの通話に出せ!〇〇〇〇!」 「ああ、最近息子と会話したくないんだ。何故って知らない言葉が沢山。若者がつか…」 「呪われろ!呪われろ!〇〇〇!呪われろ!〇〇〇〇〇〇!呪わ…」 プッ。 ツーツーツー。 「おーっと、電池切れ?なぁに?最近充電が保たないんだって。ああ、どこかにモバイルバッテリーがくっついてるスマートフォンでもないのかな?ええ?モバイルバッテリーがついてるスマートフォンだって?全くそんなもの………あるんです!新型アイファンはバッテリーを2個搭載。片方が20%を切ると自動で切り替え。充電時間も大丈夫。側面のカバーを外すとソケットがもう一つ。電源二つを使用する事により急速充電が可能。今までよりも寧ろ早いんですっ(当社比)!だからオンリーワン・つまりオンリーユー。貴方の欲しいが全部叶う。この…」 ツーツーツー… 「アイファン、ならね」
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