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第1話「アパートの住人」
ミィーンミィーンジィィィィ……
ォーシォーシ…ツクツクォーシ……
うだる様な残暑の9月。
俺こと川崎光司は、最大の恐怖に直面していた…
黄色と黒。
縞々模様…
綺麗と感じる人も、中にはいるのだろうか。
ソイツは夏の間中、たらふく食べて育って丸々と太っていやがった。
今も、まさになにやらお食事中なのか、良く膨らんだお腹を小刻みに動かしながら、歪な白い塊を抱え込み満足気だ。
いや、満足気というのは語弊がある…
そいつらには感情などないのだ。
本能のまま食い、食われ、産み、生まれ、死んでいく。
ほんの数か月前までは、数ミリ単位の砂粒程度の生(せい)だったろうに…
今は、俺をして硬直させるに十分な迫力を持ったデカさに育っていた。
うん…
蜘蛛です。
デッカイ女郎蜘蛛です。
そいつがあろうことか、俺の管理するアパートの配水管の蓋付近に巣を作っていやがった。しかも微妙に気付きにくい高さにぃぃ!!
建物の保守管理という名目で、この築35年のボロアパートの管理人に収まっている俺は、ここぞという時に働かされる。
普段は、居候同然に置いてもらっているのだから、文句は言えない。
配水管のバルブを開放するくらい、なんていう仕事でもない。
本来は、なっ!!!
大体において、建物の重要な設備というのはなぜか人通りの少ない所に設置されていて、そういったところは大抵狭くてジメジメしている。
水が溜まれば蚊が沸くし、庇(ひさし)の陰には蜂が巣を作る。
そして、この蜘蛛タンだ。
あぁ、神よ。
なぜこのような醜悪な生き物を作りたもうたのか…
ジーザス、エホバ、アッラーアクバル…お釈迦さま!!
ジークジ〇ン!
ちくせぅ…この野郎…
動くんじゃねぇぞ…
丁度、配水管の真上に巣を、御創(おつく)りになられているもんだから、避けて通るというわけにもいかない。
排除しようにも、あのビクビクビクーン! と蜘蛛独特の素早い動きをされちゃたまらなく怖い。
それ以上に、下手に大事な一本の糸を切って、こっちに飛んでこないとも限らない。
そうなったら、軽く死ねる。
いや、死ぬ。
ならば、殺虫剤か…
いや、待て、
ここで死んだら配水管の蓋の上で御昇天なさるぞ…
そんなの死体でも触りたくない…
ましてや、糸を出すだけ出して、中途半端な位置で空中昇天なんてされたら…絶妙な位置でプランプランされちゃうじゃないか、ちくせぅ!!
くぅぅ…
とは言え、放置もできない。
長期休みを取って、田舎に帰っていた巨乳マダムに、「は~やくするザマス!」とか言われるんだ。
そして、あの巨乳で迫って、
三角眼鏡をキラリンと輝かせ、
巨乳をブルルンと振るわせて、
妖艶な声で俺を罵り、
巨乳に生じた谷間を見せつけてくるんだ…
───ありかもしれない!!!
いや……───ありだ!!
グッ!
人知れず、俺は天に向かって握りこぶしを突き上げる。
さぁ、言おう。
オパイはコスモだ!!!
いいんだよ!
一日くらい水が出なくたって!
だいたい、長期旅行に行くからって水を止めようとか言う考え方がセコイ。
そんなマダムには、一日汗まみれになって巨乳がスケスケになればいいと思います!!
思いま~す!!!
そうだそうしよう!
蜘蛛だって生きているんだ、友達なんだ!
さてもさりとて、俺は帰るぞ!
安い、お小遣いでコキ使われてたまるものかっ。
蜘蛛がいるなら危険手当をよこせっちゅうねん!!
そう、ひとしきり叫んで──家こと、管理人室に戻る。
すると、そこには鬼がいましたとさ。
めでたしめでたし。
ジ・エンド。
長らくご愛読ありがとうございました。
LA軍先生の次回作をお楽しみに!
って、…ちゃうわ!
ガチャリと明けたドアの先。
俯瞰図で見るなら、壁を通して配水管とは目と鼻の先。
外窓から、よく見える位置…、
どうやら一部始終を見られていたようだ。
このアパートの大家である姉貴に…
「な、に、が、オパイはコスモだぁぁぁぁぁ、だ!!」
一部始終どころか、一挙手一同、
なんと! 心まで読まれていた。
「心を読んでるんじゃないわぁ! ワレは声に出しとるんじゃぁぁぁ!」
叫ぶが早いが、フライングクロスチョップをぶちかましてくる。
見た目の派手なわりに、さほど痛くないソレ。
とは言え追撃が怖いので大げさに痛がって見せる。──これが処世術ってなもんだよ。
御年36才の後家(ごけ)は、そんなんだから再婚できんのだよ。
「よ、け、い、な、お世話じゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
合わせ技のデンプシロールを繰り出す。
痛くはない、
痛くはないが、見た目が幼稚で、色々痛い。
それ故、笑ってしまいそうになるだけだ。
はいはい。イタイイタイ。
「ハァハァハァ…このクソゴミ居候が…! 家賃分くらい働け!」
ゼイゼイと、勝手に過呼吸に陥る我が姉貴。
美人なのに、残念な性格の持ち主だ。
巨乳だったら、来年で嫁にしてやろう。──巨乳だったらな! はっはぁ~!
「働いてますぅ~…昨日ゴミ捨てました~…ゴミステーションも掃除してますぅ~♪」
まったく、朝早くゴミを捨て(自分の部屋の)、アパート共同のゴミステーションの掃除をして(ホースで水撒いただけ)、アパートの皆に心地よい日々を過ごしてもらうために日々努力しているというのにこの仕打ち…
婆ちゃんの遺産を独り占めしてる姉貴に、文句を言われる筋合いはない!
「いいから、とっとと隣の豪邸に帰れよ~」
アパートの隣に立つ、古いが巨大な日本家屋。
そいつを指し示してやる。
金持ちだった婆ちゃんの持ち家だ。
2、3年前に90近い婆ちゃんがポックリ逝ったかと思うと、その数か月後に両親も仲良くポックリと逝ってしまった。
そのため、あれよあれよという間に遺産が転がり込んできたが、そのときに無職だった俺は、高額の相続税など払えるはずもなく、遺産を放棄、成金の旦那からの慰謝料で潤っていた姉貴がそのすべてを相続した。
今やアパート長者になってやがる。
ちくせぅ…
本来、俺のものでもあるはずなのに、この仕打ち。
みんな国が悪いんだ~。
なんで、税金払わにゃならんのよ?
おかげで、クソ姉貴にコキ使われる始末。
週休5日とか鬼か!
日中労働時間3時間とか、労基に訴えてやる!
クソ姉貴を追い払うべく、シッシと手で払う仕草をすると、
般若から羅刹へと変貌し始める姉貴のご尊顔。
「てんめぇぇぇぇ!!! 追ん出されてぇのかぁぁ!!」
怒髪天貫くというのはこのことか…
モンゴリアンチョップを繰り出そうとした、その御身腕!!
「うるっせぇぇぞ!!」
バァンと隣の部屋から、迷彩服を着た男が飛び出してくる。
たしか、陸自の3佐だったか?
40絡みのこの男は、近くの駐屯地に勤務する守屋(もりや)さんだ。
普通なら、世間的に風当たりの強い自衛官は、こういう時には結構、下手(したで)に出ることが多いと言うが、守屋さんに限って言えばそんなことはない。
俺がAVを楽しんでいると、たまに壁ドンをしてくるくらいには気性が荒い。
「落ち着けって」
もう一人が部屋から顔を出す。
守屋さんと同じ顔だ。
守屋コピーである。───違う。
たしか、守屋さんの双子の兄…弟? どっちでもいい。ともかく守屋(もりや)何某(なにがし)さんだ。名前は知らん。
同じく陸自で勤務する陸曹長だ。
ちなみに、3佐が弟で、陸曹長が兄貴…だったはず。
兄弟なのに、階級上では弟が上だ。
だからどうしたと言われても、どうしたもないのだが…
名前で覚えきらない俺は、単に「お兄さん」か「弟さん」と呼んでいる。
「あららら、守屋さん~。ごめんなさいね~!」
コロッと態度を変える我が姉貴。
中々にイケメンである守屋さんに気でもあるのだろうか。
「はぁぁぁ、もぉぉぉぉ…演習帰りで疲れてんですよ、ちょっと静かにしてもらえませんか?」
兄貴に窘められ、落ち着きを取り戻した弟が頭を掻きつつ苦情を言う。
「ごめんなさいね。守屋さん。このバカな弟をちょっと注意していたんです。もう静かにしますね」
ペコペコと頭を下げる姉貴。
け、バーカ!
「ホント頼みますよ…」
困った顔で部屋に引っ込む。
その様子を監督していた守屋さんのお兄さんは、苦笑しながら目で謝罪してくる。
短気な弟の扱いにずいぶんと慣れているようだ。
スッと、兄弟の姿が消えると、その陰になって見えなかった位置に、ドヨンとした雰囲気のデブがいた。
たしか、2戸隣のクサレニートだ。
「ホントうっさいっすね…」
聞き取りにくい声でボソボソと零す。
その矛先は、俺と姉貴だ。
守屋さん同様、姉貴は大人しく謝るのかと思いきや、
「あぁぁん!! もっぺんいってみろやこのクサレニートがぁぁぁぁ!!」
クルリと180度態度を豹変させる姉貴…
「お、お、大家さんがそんな、く、く、口を…」
ボソボソと反論するクサレニート。
「家賃払ってから言えや、ボォケェェェ!!!」
グッサリと光司の心臓を抉りながら、容赦なくクサレニートに言葉のダンビラをぶっさす、我が姉貴。──ナイフじゃないよ…ダンビラですよ!
そう、姉貴は家賃未払いには容赦がない…
家・賃・を・払・わ・な・い・奴・に・は───
イタイイタ~イ…心が痛いよ、なんでぇぇ?
ヒィィとクサレニートが部屋に逃げ込む。
うぅん…なんか他人に見えないよ…
───共感は沸かんがな!
姉貴はと言えば、───ペっと、まるで唾でも吐くかのような仕草をしたのち、
ギギギと、首を光司に向ける。
「いいか、光司ぃぃ! 斎藤さんが帰ってくるまでに配水管なんとかしろよ!」
イエス、マム…
「と、言いかけて~! 断るっ!」
言うが早いが、
姉貴の肘がグルンと回り、眼前に迫る。
スマッシュエルボー!!
──ゴフ…目は止めて、目はぁぁ!!
断ってんじゃねぇぇぇぇ! とばかり…
「今日中にやらないと…追ん出すからね」
くぅぅ…居住権というものがあってだね…
「お前にそんなものはない!」
心を読むなよ。
「口に出すな!」
出てた?
「出とるわぁぁぁ!!!」
ハァハァゼィゼィ…と肩で息をする姉貴。
汗だくで見苦しい面だ(笑)
「(笑)っ、じゃねぇぇぇぇ!!!」
顎(あご)に掌底をカマされる。
グゥゥ、段々痛くなってきたぜ!
顎を抑えて呻いていると、
「オバサンーじゃま~~、っス」
プンと香水のキッツイ匂いが鼻を付く。
見ればケバケバの女子高生…JKが三人、ヘラヘラと笑いながら我が姉貴こと、オバサンに適切な指摘をしてゴザル。
「お、オバ…オバさ」
ピクピクと表情筋が硬直し、こめかみにビキスと青筋を浮かべる。
「ここ通路っしょ~。ウチらの通行の邪魔なんですけど~~」
ガングロJKと、年中マスクJK、ラメが入ったキンキラきんの笑っちゃうメイクJKの三人。
そして、ここ重要。
うむ…なかなかの巨乳だな。──全員ではないけども!
そして、巨乳マダムこと、斎藤ママには劣るがな!!
だが、若いからイイ!
エエのぅ、エエのぅ張りのある乳(ちち)はぁのぅぅ…
「オッサン、マジでキッショ!」
胸を庇う動作で余計にそのケシカラン肉丘が強調される。
俺のリビドーが弾(はじ)けちゃうぜ…!
オバサンと呼ばれた葛藤で姉貴がプルプルと震えている。
「ぐぬぬぬぬ…」
ぐぬぬ、てリアルで言う人初めて見たわ。
流石は我が姉貴。
腹が立っているだろうに、鋼の自制心で堪えるマイシスター。
仕方なく、道を開けるとケラケラと笑いながらJK3人衆が脇を通っていく。
クンカクンカと、えぇ匂いじゃの~…っ、ッとぉ…口に出さないように注意注意。
タイーホは勘弁して欲しいからね。
あとで、妄想の世界で裸にひん剥いてくれるわぁ!
「コラ君たち! 年上に向かってなんて口の利き方だ!」
アパートの入り口の駐輪スペースに、無骨な自転車を止めながら、鋭い静止の声を上げるのは現役の警察官である武藤さんだ。
「うわ、ウザ~」
警察殿の有り難いお言葉になんてことを!
靴でも御舐(おな)めすべきところでしょうが、そこはぁぁ!?
ついでに、俺も舐(な)めろ!
「本当に近頃の子は! 年上を敬いなさい!」
「うっせ~ジジィ…メグ、ミカ行くよ!」
「待ってよサキ~…ジジィ、口が臭いんだよ」
んべっと、可愛らしく舌を出して挑発するJK達。
う~む、国家権力の恐ろしさを知らんとは、若い子…やるねぇ~!
俺だったら、ケツくらい貸す勢いで媚びを売るぞ?
ケラケラケラと笑い声を残して、ガチャンと扉を閉めて気配が遠ざかる。
「…まったく、遠藤さんチの躾はどうなってるんだろうね!?」
武藤さんが嘆かわしいと、首を振りながら姉貴に会釈だけして部屋に引っ込む。
遠藤サキ、遠藤メグ、遠藤ミカ。可愛いJK三人衆は、姉妹だというがちっとも似ていない。
親の顔が見てみたいなんて言うが、親がいるのかどうか…
正直、一度も見たことがない。
とは言え、姉貴くらいしか、その辺の事情は知らないし、教えてくれない。
一階の住民は、
ここに巨乳マダムこと、斎藤ママと、その一人娘が加わり、これで全部だ。
他にも2階と3階にそれぞれ10人程、アパート全体で大体30人程度だ。
そして、俺がこのアパートの管理を仰せつかっている。
どうだ偉いだろう!
「偉くねぇよ、バカたれ」
スパンと姉貴に頭を叩(はた)かれる。
クッソぉぉ…
こういう地味なのが一番痛い。
「ええから、はよ配水管開けてこいや!」
わぁかったよ!
行けばいいんでしょ、行けばぁ!!
しかたなく、ホウキ片手に裏へと向かう俺。
長物(ながもの)で、蜘蛛ごとき退治してくれるわ!
腰に手を当てて仁王立ちの姉貴に見送られて戦場に向かう俺。
正直やりたくね~…
テフテフと戦場へ───
「あぁら、管理人さん。お久しぶりザマス」
どんよりした気持ちの、俺の前に現れたのは──宇宙だった。
オパイとはかくあるべし。
そういわんばかりの豊穣な山脈。
そう、もはや丘などではない。それは山脈と呼ぶのがふさわしい。
プルンなんて可愛い表現ではない。
BORUUUNNN!!
と、アメリカの劇画チックな表現が似合うだろう。
御年35歳というが、そのコスモはますます拡大の一途だ。
…と、
「お久しぶりです。斎藤さん」
ペコォと頭を下げる。
その拍子に、顔面にコスモが迫ることを狙っていたわけではない。
もはや、その動作をコスモを前にして、普段からやり過ぎているがためにごく自然体なのだ。
ふぅむ…近くで見ると、なお凄い。
いや、凄いではない。――しゅっごぉぉい! だ。
「うふふ、たまの田舎もいいものザマスね~」
ザマスってつけると余計話しづらくないか? という疑問はさておき、三角眼鏡の淵を伝う汗が艶めかしい。
いかにも、熟れた女性といった体つき。
そこに相まって知的な美貌が眼鏡とよくマッチする。
ストイックさを前面に押し出そうとしているのだろう、色気のない様をアピールするのか、アップにした髪型が逆に背徳的だ。
妖艶な笑みが、また堪らない。
「そ、そうですか、オッパイ楽しんでこられたようで!」
ををを、間違えた! いっぱいだ。
「ん? おっぱい?」
クリッと首をかしげる斎藤ママ。
「いえいえいえいえいえいえいえ。いっぱいです。オッパイです! いっぱいです」
「あ、あら、そぅ?」
くぅ…さりげなく、またオッパイって言ってしまったぞ……後悔はしていない! ──キリ。
それもこれも、この怪しからんオパイが悪いのだ!
ググゥと顔を険しくする光司。
その様子を訝し気に、光司の顔をマジマジとみる斎藤ママ。
顔を近づけただけで、コスモが揺れる。
ユサン、と揺らすんじゃねぇぇ!
あぁぁぁ、ちくしょうめ!
むしゃぶりつきてぇぇぇぇぇぇ!!!
「は、はぁ? む、むしゃ、武者、む、武者震い…?」
うぉぉぉぉい!! 俺、また声に出してましたか!!???
「ち、ち、違います。むしゃぶりつきたいです! むしゃぶる…むしゃぶりです!!」
って、ををぉぉぉぉいいい、何テンパッてんの俺ぇぇぇ!!!
せっかく武者震いで誤魔化せたじゃん!
誤魔化しとけばよかったんやん~~!
訂正してもうたら、ただの変態やん!!
自滅やん~~~~~!!
コスモやん~~~~!!
オパイやん~~~~!!
「あ、暑さのせい、かしらね…」
顔を赤らめた斎藤ママ。
をを?
なんぞ、この反応?
思った反応と違うやん? これエエやつとちゃうん?
「えぇ、暑いさのせいです。暑くってもう色々ダメですやん。ナハハハ」
まぁ、だからといってどうにもできないのは、俺がヘタレ故だね~。
どうにかしたいんですがね!
この美しき、未亡人。そして巨乳の斎藤ママ。俺の人生のオアシス…
宇宙は偉大なのだ。
「水道管開けてくださいましね」
「まっかせなさい!」
ドンと胸を叩いて頼れる男をアピールだ。
「うふふ、お願いしますザマス、ほら、ユズもお願いして」
トンと背中を押されて出てきたのは、愛らしい少女。
黒髪ツンポニテがよく似合う、黒目のぱっちりした美少女だ。
ロリコンなら多分10人が10人とも、嫁にしたいとか言い出すに違いない。
この母にして、この娘。
少女にしては胸もある。
将来が実に楽しみだ。
宇宙は、小宇宙を生み出すのだ。
「光司(こうじ)兄(に)ぃ、ただいま、です」
ペコリと礼儀正しくお辞儀する少女。
うむ…躾がよくされている。
そして、光司兄ぃの響きは実にいい。
「はい、ユズ。おかえりなさい」
キランと歯を光らせるイメージで好青年を装う。
ユズは可愛い。
姉貴なんぞより、妹が欲しかった俺にとっては、まさに清涼剤のような存在だ。
生まれたときからこのアパートに暮らす少女にとって、幼少期に馴染んだ、近所に住む20代の男性は、十分にお兄ちゃんだったのだ。
それから約10年。
すっと、お兄ちゃんでい続けたのは実にありがたい。
そろそろ「兄ぃ」というには少々微妙な年齢であるが、ユズにとっては俺はずっと光司兄ぃなのだ。
まったく、斎藤親子は実にいいね!!
親子、どーーん!
なんちゃって。
水道管を開けないなんて言う選択肢があるわけもない。
えぇえぇ、速攻で開けさせてもらいますとも!
「ユズ、光司兄ぃと遊んでいい?」
肩にかけた緑色の虫かごを、母と光司に示して懇願する。
「あらあら、管理人さんの邪魔しちゃダメザマスよ?」
ちょっと困った顔でユズを窘める斎藤ママ。
「いえいえ、邪魔だなんてとんでもない。斎藤さんさえよろしければ、私は全然構いませんよ」
「よろしいんザマス? ユズはとっても元気ですけど、お邪魔になりません?」
「ノープロですよ」
ギュっとメグが足にしがみつく。
「そうですの。ユズ、お仕事の邪魔しちゃダメザマスよ?」
「はーい!」
元気に返事するユズ。
ガサガサと音のする虫かご…
斎藤ママは会釈をすると、ユズをその場において、荷物を抱えて自室へと帰っていった。
「光司兄ぃ、見てみて、虫いっぱい取ったよ!」
緑の虫かごを見せると、その透明となった窓の部分から覗くと、
おぉぅジーザス、───君どんだけ蝉取ってるのよ…
ウジャウジャと蝉やらなんやらが詰め込まれている。
ほとんどがアブラゼミ。
あ、オニヤンマもいる…けど、げぇぇ尻尾とれてるやん。
ちょっと、虫嫌いには辛い光景だ。
とは言え、少女相手に怖がって見せるわけにもいかない。
「いっぱい取ったね~! ユズは虫取り名人だ」
「うん、虫さん好き~」
…うん、俺もね、昔は触れたんだよ…なんでかな、年食ってから触れなくなったんだよ…
だから、その虫かご…絶対開けないでねっ!
ヨシヨシと頭を撫でてやると嬉しそうだ。
なんとなくホッコリした気分で、アパートの裏に向かう。
テフテフと───
なんてことはない。配水管のバルブを開けるだけだ。
チョコチョコとついて来るユズを従えて、裏の配水管に向かう。
そこにはやはり蜘蛛たんがオワス…
うん、動くんじゃないよ君。
ホウキを手に、巣を絡めとろうと…
「あ、大きな蜘蛛サン!!」
スィっと光司の脇をすり抜けると、躊躇なく蜘蛛を鷲掴みする少女。
ワキワキと動いて逃げようとしたが、好奇心の塊たる人間の子供から逃れる術などない。
その独特の、気持ち悪い動きで巣の上に逃げるが、あっけなくパシリと捕まる。
そして、虫かごを開けて、蝉いっぱいの中にポイスと投げ込まれる。
蜘蛛からすれば餌だらけなのだろうが、なにせ密度が濃すぎる。
すぐにカゴの中でワヤクチャになり、蝉に埋もれる。
「あれー? 蜘蛛サン見えなくなっちゃった…」
一連の行動に完全に硬直していた光司。
「蜘蛛サンどこー?」
カサカサと籠を振るユズ。
あ、これヤバイ奴やん?
ここまでフラグを立てれば、起こらないはずがない。
ユズがカパッと蓋を盛大に開けて、蝉をなん匹か引っ張り出す。
すると、昆虫のトゲトゲした足が複雑に絡み合い。
連なって…………
爆発した。
ミィィィィン!!!!!!
死にかけの蝉も、千切れたトンボもここぞとばかりに脱出する。
昆虫の脱出劇に巻き込まれた蜘蛛は、ポーンと弾き出されて。
ポフっと光司の頭上に落下する。
……
……
残暑の厳しい秋の空に、管理人は何を叫ぶ。
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