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第9話「蜘蛛の糸」
この世は理不尽。
控え目にみても、世界はクソだ──。
俺は……。
俺こと、クラム・エンバニアは、嫁を犯していた強姦野郎を誅し、現行犯で捕まえようとしたら───逆に『勇者暴行罪』として逮捕。
……死刑を宣告された。
なんだそりゃ……?
『死刑』だとさ。
死刑……。
シケイ───。
その言葉を脳内で何度も反芻しつつ、暗い天井を眺める。
(ここにきて……何日たった? 何ヶ月? ……それとも──)
ピチョン……。
──ピチョン……。
無精ひげだらけになったクラムの顔に水滴がぶつかる。
冷たく、暗い牢獄だ。
不衛生な牢屋の中では、ろくに日も差さず──……時間の感覚が狂っていく。
ただ、マンジリと時が過ぎ、飯とクソをするだけの存在に成り果てる。
思考は鈍く、
希望は薄く、
怒りは渦巻く、
どす黒い感情とともに───。
復讐……。
復讐してやる……!
こんな境遇に陥れた連中に死を望むのは、ごく自然な感情だろう。
それができるかどうかはともかくとして、何もやることもなくただただ死刑執行を待つだけのクラムには妄想の中で復讐する瞬間を夢想するくらいしかできなかった。
クラムを害した連中すべてを……!
もちろん、
一番殺してやりたいのは勇者。
アイツをギッタギタにして、無残に殺してやる……。
次に、無実の俺を死刑にした裁判長。
脂肪だらけの腹を掻っ捌いて、牢獄に叩き落としてやるッ。
そして、理不尽に俺を捕まえた挙句不利な証言をしやがった近衛騎士団長。
あの野郎は首根っこ引っこ抜いて犬の食わせてやらないと気が済まない!
あとは、王国そのものだ……!
俺を拘束した衛士、助けてくれない近所の人々。連行される俺を見て嘲笑った奴ら全員!
俺が何をした?
何もしていない!!
だけど、俺に死ねという国……。
だったら、
だったら、……こんな国────滅びちまえッ。
「皆、死ねばいいんだ……」
そんなことを来る日も来る日も考え続けているクラム。
目を窪み、頬はこけ、土気色をした顔色……。
すっかり見た目の変わった自分を見て、時の過ぎ去った重さを実感する。
そうだ……。
あれから、──あれからどれくらいの日が?
冷たい牢獄で、刑の執行を待つ日々………。
時折───面会は許されたが、再審の話もなく、助命の嘆願も虚しく、それを、聞くたびに……俺の顔は絶望に染まり───。
家族の悲痛な顔も、また……見られたものではない。
暗い顔、
悲痛、
憤り、
温かだったあの日々は残り香すら感じられず……。
家族は泣き、
家族はやつれ、
家族は寡黙に……
そして、面会の数も減って行き───。
ある日、義母さんが会いに来たのを最後に、……遂にはそれも途絶えた。
ピチョン……。
ピチョン……。
ピ……チョン───。
ポタリと、体を打つ水滴。
それは天井を伝う地下水ではなく、なぜか温かかった。
(あぁ……俺は悲しいんだな──)
久し振りに流れる涙に気づいたのは、いつ以来だろうか───何を泣いているのも自分ですらわからない。
……どうしてだ?
どうしてこうなった?
ただの、なんてことない日々だった。
なのに、クラムは今ここにいる。
幸せから絶望の果てへと……。
(もう、いっそ早く殺してくれよ……!)
絶望から、死を望むまでに至るクラム。
光の刺さない牢獄では、外の様子が分からない。
時間の曖昧な中、精神だけが徐々に毒されていく。
随分と季節が流れていったように感じるが……実際はどれだけの日が過ぎたのか、絶望に身を浸していたクラムには感じることができなかった。
刻一刻と、迫る「死刑執行」のその一声。
まだか……。
いつだ?
今日か?
いやだ──。
だが、クラムとて人間。
死を望みこそすれ、本音では助かりたい。
この手に家族を抱きしめたい。
……元の生活に戻りたい────。
いやだ。
いやだ、いやだ!
いやだ!!!
死にたくない、
死にたくない、
死にたくない、
──死にたくない!!
家族に、
家族に会いたい、家族に……。
ネリス、義母さん、ミナ、リズ、ルゥナ……。
「会いたいよ───……」
一目。
……一目でもいいから。
うぅ、
「うぅぅぅー……!」
会いたいんだ……。
だけど、もう──……もう一生会えないのだろうか?
二度とこの手に抱くことは叶わないのか?
そんなの嫌だ!
いやだ、いやだ!
俺が何をした?!
全部アイツが悪いんじゃないかッッ!
ゆ、
『勇者』……。
そうとも……『勇者テンガ』ぁぁぁ!
あ、ァ、アイツのせいで───!
悔しい……。
悔しい、
悔しい、
悔しい、
悔しい!!
「うぐ……」
う、
うぅ、
「ううううううう……」
──ううううううううううううう……。
ボロボロと涙を零すクラム。
拘束されて幾日かは、暴れ回ったものだが、最近では、すすり泣く位しか元気を残していなかった。
もはや絶望の淵──。
いっそ早く殺してくれとさえ……。
もう、
もう二度と家族と会えないくらいなら──。
もう早く終わりにしてくれ、と……。
暗い感情に意識が塗りつぶされていく中。
機会は巡る。
──クソのように苦く、苦しいものだが───……機会が、巡ってきた。
細い……小さな針の目を通すような機会が……!
それは、本当に唐突な出来事であった。
絶望に心を染めていたクラム。拘束されて、数年(!?)の月日が過ぎようとしていたある日のこと。
クラムに巡ってきた機会は、人類と魔王との戦争に密接の関連していたらしい。
彼が牢獄の中で一人慟哭していたその間……。
魔王軍との戦争は激化し、人類は「北伐」で壊滅した戦力の回復に努めていた。
訓練、
再編成、
徴兵、
募集、
兵器製造、
兵站整備、
そして、要───。
ようやく、
そう、ようやく『勇者』の訓練が終了したのだ。
それと時を同じくして、軍の再編成がなんとか……軌道に乗り始める。
壊滅した戦力の回復……それに数年の月日を費やしたのだ。
満を持して、人類は遂に反攻作戦、第二次「北伐」を開始。
──魔王軍を人類の文化圏から追い出す戦いの始まりだった。
その先兵は当然『勇者テンガ』──遠征軍を編成し、一挙に戦いを決めるらしい。
そして、戦争は金と物資と軍人を戦場へ流し込み……。
その流れは巡り巡り巡って───。
審問大臣の長い……長い長い、決裁の果てにある死刑の許可。
………その刑の執行を待つ俺の元へと、神は一本の細い糸を垂らしてくれた───……。
細い、
細い、
か細い蜘蛛の糸───。
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