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「殿下、あれはサイという獣ですよ。大きいですねぇ」
「ヒヒン」
「サイより馬の方が可愛いと? まあ、殿下の方が愛らしいとは思いますけど、ご自分で仰るのはどうかと……」
人魚の耳だと、空気中では音が低く重なって聞こえたものだが、馬の耳なら特に違和感もなく声を聞き取ることができる。
馬化薬とはよくできた薬だ。
「ヒヒン」
「そうですね。人魚の魔法薬学は三界一とは言われてますけど、実際に使ってみると異常ですよね。元は神様から授かった知識らしいですよ」
「ヒヒン」
「私が懸命に長広舌を奮う下で、殿下は意思疎通がヒヒンで済んで宜しゅうございますね」
ボン子が私の背の上で不服げな声を上げる。
以前なら下半身の魚体が棘だらけになり、私の背はダチョウ革もかくやという穴だらけになっていたところだが、幸い、今の彼女の下半身は二本の脚だ。
私が直接告げる前から、私の動きを察知していたボン子は、薬局に人化薬と馬語翻訳薬を頼んでいたらしい。私の後をこっそり追ってきたボン子が隣で人化して倒れているのを、馬化時の気絶から醒めた私が見つけ、こうして同行している次第である。
「ヒヒン」
「どうして私が馬でなく人になったか、ですか? 理由はいくつかありますけど……一つは、私も小さい頃から人が好きだったので。人の脚って面白くないですか? こんな不安定な機構で地上に直立させるとか、技術と才能の無駄遣いというか。自分で立ってて笑っちゃいますもん」
「ヒヒン」
「もう一つは、もちろん、殿下に乗りたかったからですけど」
「ヒヒン……」
「いやいや、変な意味じゃなくて。だって不意に棘が出るからって、昔からあんまり殿下に近寄らせてもらえなかったじゃないですか、私」
「ヒヒン?」
「え? いや、殿下が言ったんじゃないですか。刺さるからあんまり近寄るなって、小さい頃に」
言ったかな。言ったかも。
だから本を読むとか、あまり近寄らなくても済む遊びばかりしていたのか。
「ヒヒン」
「いえ、刺さるのは事実なのでそれは良いんですけど……」
まあ、何にせよ。今の私は馬で、ボン子は人だ。
草原を走る様は、まさに人馬一体といったところ。
人馬になりたい訳ではないが、人を乗せて走るのは意外と、自分だけで走るより楽しいものである。
「ヒヒン」
「大陸一周ですか? 別に構いませんけど……それが終わったら帰りますよ。人魚化薬は二人分持ってきていますので」
「ヒヒン」
「殿下、どうせ後のことは何も考えてなかったでしょ。もしも馬生活が合わなくて、海に帰りたくなったらどうするつもりだったんですか」
持つべきものは気の回る幼馴染だと思う。
とりあえずこの大陸を一周したら、お土産を持って家に帰ろう。海底の水圧に耐えられる物となると、なかなか選択肢は狭まるが。例えば、甥や姪には地上の本を買ってやるのも悪くない。
<了>
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