汚れた潔癖虫

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「今どこにいる? 今何をしている? 君は無事なのか? 君はまだ、汚れを知っていないか?」  我が身に起きている異変には十分に気づいていた。これが夢であるのか、現実であるのか。自分はこれからどうなるのか、なぜこんなことになったのか。  僕にとってそれは二の次のことであり、状況を理解して一番に考えたのは君のことだった。  それは仕方のないことなんだ。僕の毎朝のルーティーンのようなもの。いや、呪いに近い。  眠りから覚めた朝は、不安で一杯になる。君が昨日までの君じゃなくなっているんじゃないかって。だから、すぐに声が聞きたくなるし、いっそ君のもとに駆け付けたいとすら思ってしまう。  でも、今日は。今日だけは一旦その思いを押し込もう。いつもなら、スマホに手が伸びるだろう。でも、今日はできない。  昨日までの自分でなくなってしまっているのは、寧ろ僕のほうなのだから。  自分がどこにいるのかわからなくなって、ここが自分の部屋であることに気づくのにかなり時間がかかった。鏡の前に行くと、誰も映ってなく。でも、近づけば近づくほど僕が鮮明に見えた。  僕は虫になっていた。  ハエくらいの小さな虫になっていた。  自分の見た目に嫌悪感はない。人として虫を見ているのではなく、虫として虫を見ているせいか若干ユーモラスに見えないこともない。  飛びまわることに疲れは感じないし、視界も複眼ではなく人のそれだ。いうなれば、キャラクター視点で操作するゲームのような。だから、自分が虫になったと理解してるのに、どこか心は遠くにある。  ゆえに、相変わらず君のことを考えてしまったのだろう。それは、現実逃避なんかじゃなく、ただ僕にとって最も重要なことであるだけだ。  しかし、少しユーモラスであれ、虫なんて惨めで醜い存在になった今。どうやって彼女と連絡を取ればいいだろうか? 彼女のもとに向かったって話すことは愚か、殺されかねない。  しかし、卓上のデジタル時計を見るや否、羽を揺らして僕は喚起口から外に飛び出ていた。  今すぐに彼女のもとに向かわなければならない理由を思い出した。  今日はあのヘルパー、中西が彼女のもとにやってくる日であったからだ。  あの男。表面では清純気取っているが、皮を一枚めくったら、欲望の煮詰まった化け物がいるに違いない。ダメだ、いつ化けの皮がはがれるかわからない獣が彼女のそばにいる。なんて耐えがたいことか。  虫ケラとなった僕にできることは無いかもしれないが、ここでじっとできる僕でもないのだ。
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