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目が覚めた。やはり私は虫のままであった。そして、相も変わらず君を思うのだ。
河川敷の雑木林の中で、こんな醜い姿であっても、やっぱり君を思い、君に執着する。
振り払っても、振り払っても、視界の端々を飛び交うコバエのようなこの感情。
さぁ、エリを探そう。今どこにいるだろうか? 昨日一緒に買い物に行ったばかりだから、多分中西と共に散歩でもしているに違いない。
となると、どのルートだろうか。確か、三パターンあるって言っていたよな。ここから一番近いのはどこだろうか?
そうやって、ふらふらと浮かんで視界の先。
川を挟んだ向こうの道。桜並木の下を中西が車椅子を押して、彼女はゆったりと腰かけている。
「見つけた……」
文字通り私は飛んで行った。
僕はどんなに煩悩を抱えていようが、人間不信に堕ちても彼女の前では変わらない僕でいられた。
自分を嫌悪することもなく、ただエリと話すこと、一緒にいることに満たされていた。
それなのに、今の僕は汚れを抱いたまま彼女のもとに向かおうとしている。
そうだ、僕は虫になったんだ。
もう、取り繕うのはやめようじゃないか。この姿のまま、中西の本性を暴こう。彼女の部屋の中でずっと共に暮らそう。あの白く細い腕の上に止まり、愛おしい左足の太腿を這うのだ。
「あぁ、なんて。なんて汚いんだ」
どんどんとスピードが落ちていく。
反射的なものだった。虫の姿となり、ついに自分の本性があらわになった。自分が醜い存在であることを認めたというのに、それと同時に自分を嫌悪する自分が湧き上がる。
僕は最初から虫けらなんだ。こんな汚い欲望にまみれて彼女を汚す。ずっとまえから彼女の世界の邪魔虫なんだ。
もう、いいや。
視界の奥、鮮やかな薄桃色の花びらが降り注ぐ世界。
車椅子に座る彼女は変わらず可憐で美しい。職場も、中西さんも彼女を汚してなんかいない。そして、僕も。
僕はただ、僕を汚しているだけだった。
その結果、僕は虫になったんだ。
――あぁ、惨めだ。なんて惨めな僕だ。
思い返してみろ、僕が毎日のように彼女に電話をかけている日々の中で、彼女が僕に対して「今どこにいるの? 何をしていたの?」と返したことはあっただろうか?
すべてはただの、妄想だったんじゃないか。
もう、虫でいることはやめようじゃないか。
また、人間に戻って。すべてなかったことにしようじゃないか。
僕は空中に止まっている。川の上でただ浮かんでいる。完全に彼女のもとに向かう意欲は消え失せていた。
「帰ろう」
そうして、後ろを振り返った瞬間。
「あっ」
川底から一匹の魚が飛び出してきた。大きく口を開けて、真正面まで迫ってきている。
その魚の真っ黒な瞳の中に。疲れたような僕がいた。
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