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第五話「飛び降り少女(3)」
飛び降りた直後――
――紗優が浮かべていた笑顔は、歪み、消えて、悲痛な表情へと変わった。
私の勝ち……!? 誰が……勝ったって!? 苛められて、独り惨めに死に行く者が、勝ち……!?
そんなの、全然勝利じゃない! 負け!! 大負け!!!
悪口に負けて、嫌がらせに負けて、暴力に負けて……
私は……負け犬だ……
――一気に落下して行き、路地裏の地面が近付いて来る。
最後は、こんな風に死んで……
私の人生は、何だったの……?
私の人生は……無意味だった……
涙を零す紗優の眼前に、アスファルトの地面が迫って来て――
目を閉じた紗優は、そのまま、強い衝撃で叩き付けられる――
「!?」
――はずだった。
が、紗優を包み込んだのは、硬いアスファルトではなく、まるで、ふかふかの羽毛布団を何百枚も重ねたような、巨大なマシュマロのような。
それは、言葉では形容し難い、途轍もなく柔らかい〝何か〟だった。
そして――
ぽよん。
「きゃっ!?」
――それは、落下の衝撃を吸収しつつ、紗優を優しく真上に跳ね上げる。
数メートル跳ね上がった紗優は、地面に落下すると、また、
ぽよん。
と、限りなく柔らかいトランポリンによって弾まされたかのように、先程の半分ほどの高さまで跳ね上がる。
それを幾度か繰り返した後。紗優は、ぺたんと地面に尻餅をついていた。
「どうして……!?」
唖然とした表情で紗優が地面を触ると、それは、普段と変わらない、硬いアスファルトに戻っていた。
すると、目の前に――
「え!?」
地面の〝硬度〟を脱がして柔らかくした張本人である少年――ライが、スーッと舞い降りて来た。まるでライだけが月にいるかのように、ふわりと、音も立てずに。
そんなライの人間離れした動きを見て、
手品!?
と、混乱する紗優。
脱がし魔法で自分に掛かる重力を脱がしつつ、しかし全ては脱がさずに少し残した状態で、ビルの屋上から飛び降りたライは、地面に着地した後、紗優をまじまじと見詰めて、声を掛けた。
「ほら、やっぱり勿体無い」
「?」
ライが言わんとする事が分からず、小首を傾げる紗優。
だが、先程までクールキャラを演じていたライが、
「や、やっぱり……それだけ可愛くて……しかも、素晴らしい身体をしているのに……死ぬのは……勿体無い……はぁ、はぁ……うへ……うへへ……」
と、本性を現し、好色そうな表情を浮かべながら紗優の身体中を舐め回すように見ると、紗優は下に目を向け――
「きゃあああああ!」
――自分が裸である事に、漸く気付いた。平均的なサイズながら、色・形・艶・張り・柔らかさ・弾力、それら全てを兼ね備えた胸と下腹部を隠そうと、紗優は自身の身体を抱き締めながら屈む。
実は、紗優が身を投げ出した直後、眼下の地面に対して脱がし魔法を発動したライは、落下中の紗優自身にも脱がし魔法を使って、裸に剥いていたのだ。
「そ、それにしても、ほ、本当にエロ……もとい、可愛いし、美しいな……はぁ、はぁ……」
記念すべき百万人目で、しかも極上の美少女の裸である事から、もう我慢出来ないとばかりに、ライが、紗優に近付いて来る。
「いっ、イヤ! 来ないで!」
「……はぁ、はぁ……」
胸と股間を何とか両腕で隠しつつ、拒絶の言葉と共に、座ったままの紗優が後退りする。
だが、ライは気にもせず、一歩、また一歩と距離を詰めて来る。
「……うへへ……」
「ほ、本当にイヤッ! お願いッ!」
紗優が拒絶するのは、貞操の危機という理由だけではなかった。
それ以上近付かれたら、嗅がれちゃう……! 私の匂いを……! それだけは……!
と、紗優は、心の中でも悲痛な叫びを上げる。
今まで数え切れないほど揶揄されて来て、苛めのきっかけにもなった、特異体質である、バニラのような甘い香りの体臭。
それを嗅がれる事は、彼女にとって、トラウマになっていた。
「……はぁ、はぁ……うへへ……」
「イヤッ! お願いッ! 止めてッ!」
だが、どれだけ拒絶しようが、懇願しようが、ライは止まらず――
至近距離へと近付いて、全裸の紗優に手を伸ばした――
「はっ!」
――直後、ライは、伸ばしていた右手を左手で押さえ、身体を引いた。
「?」
何が起こっているか分からず、呆然としながらも安堵する紗優。
ライは後退りして、距離を取った。
(あ、危なかった!)
と、安堵するライ。
ライは、これまでに百万人の女性の服を脱がして来た。
最初は、勿論エッチがしたかった彼だが、そこで、勇者たちの下卑た笑みが、脳裏を過ぎってしまった。
仮にエッチをしたところで、恐らく既に童貞を卒業しているであろう勇者たちと並ぶだけ。
それならば、勇者たちさえも成し得ないようなこと――具体的には、〝一万人の女性の裸を生で見る〟、という事をしようと思って、実行したのだ。張り切り過ぎて、ついつい、大勢の女性を脱がしてしまい、気付いたら百万人に到達していた、という、自分でも予期しなかった嬉しい誤算はあったが。
無論、ただ単に〝勇者でさえ出来ない事をする事で、自分を見殺しにして酒池肉林を謳歌している彼らに、一種の復讐を果たそうとしていた〟だけではなく、最初の転生前に「ブサイク」と罵られて、女の子たちから距離を取られていた反動で、「俺を拒絶した女の子たちの裸を直接見たい! 恥ずかしがる姿を見たい! しかも、大勢見たい! 飽きるほど見たい!」という欲求が強かった、というのも、大きな原動力になっていた。
そんなライだが、女性を裸に剥く事が犯罪である事は、重々承知していた。
だが、ライにも、自分で自分に課したルールがあった。
それは、〝裸にしても、決して傷付けない〟という事だった。
そのため、どれだけ多くの女性の服を脱がしても、決して怪我をさせる事は無く、更に、一切裸体に触れる事も無かった。
〝犯罪だが、裸にして、視姦しているだけ〟というのが、これまでライが良心の呵責に苛まれる事無く犯罪を続けて来られた、大きな理由だ。
さて。
ライは、紗優を改めて見詰めて、声を掛けた。
「さっき、近付いた時に、気付いたんだけどさ」
「!」
特異体質がバレた!
と、紗優は青褪める。
「すごく良い匂いがしてさ……」
「………………」
紗優は、小刻みに震え出した。
止めて……! お願い……! もうそれ以上、言わないで……!
全ての元凶とも言うべき特異体質に言及される恐怖で、紗優の目に涙が浮かぶ。
しかし。
ライは、言葉を続けた。
「あの良い匂いを嗅いで、思ったんだけど」
「………………」
紗優が、ギュッと、目を閉じる。
すると、ライは、更に続けた。
「女の子って、やっぱり、みんな良い匂いするよな!」
「……え?」
予想外の言葉に、紗優は思わず目を見開いた。
みんな……? みんなって言ったの……?
「いやぁ、やっぱ、女の子は最高だな!」
天を仰ぎ、目を輝かせながら悦に入るライを見ながら、
私の事を、特別扱いせずに、他の子たちと同じように見てくれる男の子、初めてだ……
と、紗優は、思った。
他の者たちと一緒くたにされる事。無論、それを嫌がる者もいるだろう。
だが、紗優は、今まで〝他人と違う事――特異体質〟のせいで、特別視され、揶揄され、苛められ、悩み苦しんで来たのだ。
そんな彼女にとって、「お前は他の者と同じだ」と言われた事は、嫌ではなく、むしろ、そんな風に自分を扱ってくれたライの事を、特別な存在として感じ始めていた。
――だが。
紗優の方へ向き直ったライは、
「あとさ」
と、思い出したかのように言った後、こう続けた。
「また飛び降りたくなったら、いくらでも飛び降りればいい。気が済むまで」
「!」
その言葉に、紗優は身体を強張らせた。
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