こよなく遣る瀬なくなるよな

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 20代の頃、成田は気に入った車に乗れさえすれば、それでいいと思っていた。女なんか車より価値が無いと本気で思っていたのだ。特に女性蔑視していた訳ではないが、自分が関係する周囲の人間、出会う人間を悉皆、俗物だと鑑定して出来るだけ避けていたのだ。  不遇で一介の労働者になってしまったものの街中に住んでいながら逸民であるかのような自分を誇り、活眼を持つ彼にとってはそう見えても仕方があるまい。実際、彼は自分のような人間に会ったことが無いし、これは違うと手応えを感じる人物に会ったことが無かった。  で、30歳になっても女を作ろうとせず気に入った車を所有出来ることで満足していた彼は、給料のほとんどをドレスアップやチューンアップする為に車に注ぎ込んでいた。  ところが、成田は或る日曜日、ドライブに出かけようと自分が住まう賃貸マンションの207号室から出る際、二つ隣りの205号室の玄関前に立つ妙齢の女を見た瞬間、別人に変身した。と言うのはアクセサリー類で麗々しく着飾り、足首の細いすらりとした脚を引き立てるハイヒールを履き、ボディコンシャスなニットワンピースに身を包んだ、そのスタイルの良さに一気に魅了され、デリヘル嬢だな、なるほど綺麗なわけだと勘付くと、車もドライブもそっちのけになって彼女を強く欲しいと思ったのだ。  それじゃあ成田も俗物じゃないかと読者は思うかもしれないが、彼は特別な能力以外で人間に価値を見出すとしたら見た目が美しい女しかないと思っていて、その希少な認める価値は文字通り美しいのだから俗ではなく、従ってそれを求めることは俗ではないのだ。只単にデリヘル嬢とやりたいと思った訳ではないし、デリヘル嬢の俗物たる中身を求めた訳でもないのだし・・・  成田は恐らく一時間後であろうと目星を付け、デリヘル嬢が退出する時を待った。  果たしてデリヘル嬢は一時間後に退出した。  玄関ドアを少し開けて覗いていた成田は、さっと玄関を出て彼女を追った。足音に気づいた彼女は振り向いた。その顔をほぼ正面で見た成田は、それこそ御目に掛かったことのない美しさに度肝を抜かれ、揺るぎない欲望を確かなものにした。で、予め考えていた文句ではない文句を思わず発した。 「あの、むっちゃ綺麗ですね」 「えっ、ふふ」と彼女は微笑んだ。その笑顔も美しい。 「失礼ですが、デリバリーヘルスの方ですよね」 「えっ」 「いや、こんなことを言うと、また気を悪くされるかもしれませんが、205号室を出入りするのを見たものですから」とすっかり慇懃になる成田。美しい物を手に入れる為には形振り構わないのだ。「あの、できれば名刺なんかをいただければ」 「あっ、そういうことでしたら」彼女は手提げバッグに入っていた名刺入れを取り出して、そこから名刺を一枚抜き取って差し出した。  成田がぺこりと頭を下げて受け取ると、彼女はにこりとして、「是非、御指名してくださいね」と可愛らしく言って立ち去った。これ見よがしに腰を振りながら・・・  そのセンシュアルな動きにも魅せられた成田は、もう完全に彼女の虜になってしまった。名刺にはデリヘル店名とそのURLと電話番号とメールアドレスそしてユカリと源氏名が記されてあった。 「ユカリか、正に艶だな」と成田が洒落を呟いた時、彼の背後の玄関ドアが開いた。205号室だ。出てきた男は興奮気味に手すりに摑まって下を覗き込んでいる。どうやら駐車場に降りたデリヘル嬢を今一度拝んでおこうとしているらしい。  成田は振り向きざま、それに気づいた。この男とは朝、出勤する時に偶に会うので挨拶を交わしたことがあるが、それ以外には何も関わったことはなかった。  そうか、こんな奴とあの美人が・・・と成田は今更ながら不条理且つ猥褻な感覚が齎す不快感に堪えられず虫唾が走ったが、夢中で覗いている男に冷やかし半分で声をかけた。 「何してるんですか?」 「あっ、いや」と言いながら男は顔を上げ、成田を見るなり気まずそうに挨拶した。「あっ、こんにちわ」 「こんにちわ」 「いや、あの、選挙の街頭演説やってるでしょ」と男は咄嗟に誤魔化した。「それを聞いてたんですよ」 「ああ、なるほど」と成田は男に合わせながら気持ち期待して言った。「れいわ新選組ですね」 「えっ」何それという感じで男は受け答えた。「それ、政党名ですか?」 「そうですよ」と成田は幻滅して言った。「山本太郎を知らないんですか?」 「ああ、あの独りで喚いてる」と男は完全に馬鹿にして言った。「あれははっきり言ってタレントの儘でいるべきで政治家の資格なしですよ」 「何で?」 「だって消費税ゼロなんて机上の空論のようなマニュフェストを掲げているでしょ」 「机上の空論?」 「ええ、仮令、実現したとしても我々の社会保障がなくなっちゃいますよ」 「いや、一般市民は政府に欺かれてるんですよ」 「欺かれてる?」 「ええ、消費税収を社会保障費にほとんど充てていないのに社会保障の為に消費税が必要という政府の真っ赤な嘘に騙され続けているんですよ」 「そんな訳ないですよ。それは山本太郎が言ってるだけでしょう」 「いや、GHQの3S政策を踏襲する政府に因り愚民化して悪政に気づかないし、消費税の軽減税率を適用されている新聞社や国税庁に睨まれたくないテレビ局が自分たちの為に本当のことを伝えないということもあって一般市民は政府が社会保障を空疎にして貧困者や病人からも容赦なく金を搾り取り、自殺者を生み、一握りの金持ち、一握りの大企業だけを潤わせているにも拘わらず騙され続けているんですよ。それにねえ、金持ち優遇税制って知ってるでしょ。給与所得控除の縮小の影響のない自営業者やフリーランスや金融所得者の大半は減税となりましてね、所得税は所得が増える程、高い税率が課せられる超過累進課税だから税率構造の圧縮や最高税率引き下げは富裕層には減税効果が高くてですねえ、特に所得一億円を超える高所得者層の所得の大半を占める株式譲渡益に対して税率10~20%と低率の分離課税が適用されて来たから高所得者程、所得税負担率が低くなってですねえ、おまけに給与所得者は所得税を源泉徴収されるから節税できないですけど金融所得者は合法的に巨額の節税が出来る、これが格差拡大の要因なのでありますよ」 「へへ、お宅、自棄に詳しいですねえ。与党の弱点を突く選挙に立候補した野党の政治家みたいですね。山本太郎の信奉者ですか?」 「そんなんじゃないですけどね、そう言って笑う所を見ると、お宅は自民党支持者でしょ?」 「よくお分かりで」と男は相変わらず馬鹿にして慇懃無礼に言った。「それに引き替え、お宅はさっき言った、れいわとかで?」 「如何にもそうですけどね、ところでお宅、給料めっちゃ減ってねえ?」 「えっ!」急にタメ口になった成田に図星を差されて驚く男。 「僕も減ってましてね、そもそもアベノミクスがいけなかったんですよ。国交省統計の文書を改竄してGDPを水増ししてアベノミクスが然も成功しているかのように見せかけ、実はスタグフレーションを引き起こして、あっ、そうそうスタグフレーションって分かりますか?」 「えっ、えーと・・・」 「スタグフレーションって言うのはですねえ、雇用や賃金が減少する上、物価が上がる、つまりインフレとデフレの悪いとこ取りですね、このサイテーなことをアベノミクスは引き起こして一般市民の消費を減少させ、それに消費税が拍車をかけ、中小零細企業が大打撃を受けて疲弊し、その上、世の中に金が回らなくなって一人一人の所得を減収させ、貧困者を厖大に生み、自殺者を増やしている。だからあいつは実はとんでもない大量殺人者なのだ!」  舌端火を吐き、すっかり熱を帯びて来た成田に狂気染みたものを感じた男は、「あの、あいつとは誰ですか?」と半ばびびりながらしらばくれて聞いた。 「何とぼけてんですか!何しろ自国通貨を持ち、自国通貨建て国債が100%を占める我が国では経済学的な上限インフレ率2%まで金を増やして良く、それを超えハイパーインフレになったとしても株式譲渡益に対する税率を上げ、所得税法人税を累進課税にするなどして富裕層から税金徴収して調整すれば良く、政府のデフォルトリスクは有り得ない、つまりベーシックインカムは余裕で可能なのに、このコロナ禍に於いて金を刷っても生活困窮者に特別給付金をたった10万円それも一回しか与えないばかりか国民が支払う税金を食い物にして国民の為に使うべき金を平気で利権の為に使い、兎に角、公私混同、行政の私物化をやりたい放題にして数々の疑獄事件や裏工作や食言や公約反故を犯して来た安倍晋三のことを知れば知る程、唾棄すべき蛇蝎視すべき見下げ果てた卑劣漢であると分かるじゃないですか!」 「はあ」 「森友問題、加計問題、桜を見る会疑惑、広島買収取り半疑惑、それから軍需企業や電力会社と結託したり電通と癒着したり自分が逮捕されないように検事総長人事をしたり、今、思いつくだけでもこれだけ言えるんですよ。そして今回の日大背任事件。最悪でしょ」 「はあ」 「こんなのがキングメーカーとして自民党に未だに君臨してるんですよ。とっくの昔に逮捕すべきなのに」 「はあ」 「他にも甘利とか麻生とか二階とか逮捕すべき奴はまだまだ腐る程いるんですよ。あの永田町には。全く腐敗し切ってるんだ、自民党は!こんな政党に政治を任していて良いと思ってるんですか?」 「はあ」 「況してアベノミクスを踏襲した上で積極的平和主義を名目に戦争法(安保法)を施工した安部のやり方を尊重して金刷りまくって社会保障に使うのではなく防衛費を2倍にしようとしているタカ派でウルトラ右翼でネオナチの高市が首相に成ったらどうなると思うんですか?」 「はあ」 「日本は今より滅茶苦茶になりますよ!」 「はあ」としか言えなくなった男に、「ま、今直ぐにも、れいわに宗旨替えすることですな」と成田は言い捨て207号室に戻って行った。 「あいつはあんだけ言われても宗旨替えする訳がない。あいつは多数派にしがみ付く俗物に違いないから」成田は一服しながらそう思った。「話してみてよく分かった。嗚呼、それにしてもあんな奴と・・・はあ」彼はユカリを思って煙草の煙を吐きながら深い溜息をついたのであった。で、往年のアメリカ名作映画「タクシードライバー」の主人公トラヴィスが売春で稼ぐアイリスを説得して水商売から足を洗わせようとしたようにユカリを説得して改心させ自分のものにしようと決意した。  けれども彼は結局の所、モラルに訴えた努力も空しく蹉跌した。予約時間までの長い間、暇さえあれば、あれ程、好きだった車のことを思う代わりにユカリにかまけた思いも空しく糞真面目くさってめんどくさい奴と鬱陶しがられた上、件の男同様馬鹿にされ、改心させるのは到底、無理と悟った次第である。  件の男同様ユカリの理解力の無さも然る事ながら彼の説得力より経済力の無さに問題があった蓋然性が高いが、自分は正しいことを言っているのに受け入れられないと彼は慨嘆し、これは今に始まったことではない!一事が万事この有様だ!糞ったれ!と独り叫ぶのだった。  そんなこよなく遣る瀬なくなる彼は、トラヴィスのように狂気して義憤に燃え上がりモヒカンにしてサングラスして選挙街頭演説会場に現れ、闇ルートで入手した拳銃で○○を撃ち殺し、自分は日本の将来の為に正しい事をしたんだ!なのに万死に値する殺人犯として死刑になるんだ!と叫んでいるのと一般ではないだろうか。  
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