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第2話:転生
◇
◇
「コータくん、いくよー」
「えっ⁉」
死んだはずのオレは、いきなり自分の名前を誰かに呼ばれた。
野呂コウタ。
それがオレの名前。だから略してコータと呼ばれていた。
「いくよー!」
名前を呼んだのは、目の前にいた女の子だった。
どう見ても子供……幼稚園児くらいの小さな女の子である。
まさかここは死後の天国なのか?
そしてこの幼児は天国の天使なのか?
いや……それにしては変だ。
この子は黒髪の普通の女の子である。こんな近所にいるような子が、神の使いのはずはない。
「シュート!」
女の子はオレに向かって、何かを蹴ってきた。白黒のボールである。
ボールはコロコロとゆっくりと、オレの足元に到達する。
「これは……サッカーボール?」
小さなサッカーボールだった。
子ども用の小さなゴム製のボール。
でも、いったい何故?
状況がつかめない。
思わずボールを手に取り、確認する。
もしかしたら、ここが天国なのか?
オレは死後で、夢を見ているのかもしれない。
「えっ……オレの手が小さくなった⁉」
ボールを持った自分の両手を見て、はっと気がつく。
明らかに大人の手ではない。
次に自分の全身を確認する。
すぐ側にあった幼稚園のガラス。そこに映った自分の姿を確認する。
「あっはは……オレ……幼稚園児になってるぞ……」
あまりの非現実的な光景に、思わず笑いがこみ上げてきた。
信じられないことだった。
ついさっきまで31歳のオッサンだった。そんなオレは今、幼稚園児になっていたのだ。
「夢なのか……痛っ!」
夢かと思い、自分のほおをツネって確認する。
だがそこには確かな痛みがある。
これは夢ではなく現実の世界だった。
「でも、いったい何で……?」
つい先ほどオレは、病で亡くなったはずだ。
あの病院で意識を失って、自分の命の火が消えたのを覚えている。
「一度死んで……誰か他の人生に生まれ変わったのか? いや、でも、この姿と幼稚園は……」
ガラスに映った自分の姿に、覚えがある。
これは間違いなく幼い時の自分だ。
それにこの幼稚園も覚えている。幼い頃に通っていた地元の幼稚園である。
名前もさっき“コータ”と呼ばれていたし。
「つまり転生したのか……」
ようやく自分の置かれた状況を把握する。
ライトノベルで読んだことがある“転生”。
それが自分の身に起きたのだ。
「ねえ、コータくん! サッカーは手でもっちゃ、ダメなんだよー!」
向かいの女の子が怒っている。
オレはサッカーボールを持ったまま、呆然としていたのだ。
「ああ……うん、ごめん……いくよ!」
思わず出た大人の口調を、言い直す。
今のおれは幼稚園児であり、それらしく振る舞わないと怪しい。
とにかく今は幼稚園児らしくしよう。先生にも怪しまれないようにしないと。
記憶によれば、午後には幼稚園バスで家に帰るはずだ。
そこで改めて状況を確認。今後について考えていこう。
◇
「コウちゃん、おかえりなさい」
「……ただいまー」
午後2時なって、幼稚園バスで帰宅した。
出迎えてくれたのは自分の母親である。
歳はかなり若返っていたが、間違いなく自分の母親だ。
オレはどう対応していいのか分からず、思わず動揺してしまう。
「ニイニイだ!」
家に入ると小さな幼児が駆け寄ってきた。
妹だ。
オレの一歳下の妹の葵(あおい)。
幼稚園でオレは3歳の年少だったので、妹はまだ2才であろう。
「コウちゃん、手洗いとうがいをしてね。三時のオヤツがあるから」
「うん……」
「アオイも食べたい! おやつ食べる!」
「はいはい、アオちゃの分も、ちゃんと有るわよ」
何気ない日常の会話である。
オレは上の空のまま洗面所に行く。手洗いとうがいをする。
まだ背が小さいので、子どもの用の踏み台に乗らないとダメだった。
「今日はパパも6時には帰ってくるから、晩ご飯はオムライスよ」
「アオイ、オムライス、大好き!」
「うん、オレ……僕もオムライス、好き」
なぜだか未だに家族の実感がわかない。
その後、三時のおやつを食べながら、三人で雑談をする。
葵(あおい)が保育園で遊んだ話とか、母さんがパート先で失敗した話とか。
そんな何でもない、何気ない話ばかりだった。
「あら、コウちゃん? 今日はなんか元気ないわね?」
「ニイニイ、元気ない!」
オレは家に帰ってから、ずっと上の空でいたのであろう。二人とも心配してきた。
「うん……」
オレは信じられずにいたのだ。
子どもの頃に事故死した、母親と妹が生きていることが。父親ももうすぐ帰ってくることが。
まだ実感がなかったのだ。
「うん……何でもない……僕は……元気だよ……」
だが急に目頭が熱くなる。
大粒の涙がボロボロと溢れ出してきた。
幼稚園児の身体は、涙腺が緩いのかもしれない。滝のようにドンドン涙が溢れてしまう。
怪しまれないように止めることも出来ない。心の奥底から、涙が込み上げてくるのだ。
「ニイニイ、泣いてる!」
「あらあら、どうしたの、コウちゃん? よしよし」
母親に抱っこされて、オレは更に大泣きする。
こんなに泣いたのは久しぶりだった。
前世で家族と右足を失った時。あの日以来である。
「ううん……何でもない……」
だが、今回の涙は暖かった。
嬉し涙である。
ようやく温かい実感が湧き上がってきた。
全てを失ったはずの自分の人生。
オレの新たなる人生が再スタートしたのだ。
◇
「コウタ、今日の幼稚園は楽しかったか?」
「うん、面白かったよ……パパ」
夕方6時になり、父親が帰宅する。
その頃になると、オレもだいぶ落ち着いていた。
四人で晩ご飯を食べて、お風呂にも入った。
今は食後。居間でテレビを視てまったりしていた。
何気ない時間だが、本当に幸せな雰囲気である。
『次のニュースです。地元のサッカーチームの試合がありました……』
夜の地元のニュース番組。聞きなれたチーム名が聞こえてきた。
オレが思わずテレビ画面を食い入る。
そこに映っていたのは、結成して間もないアノサッカーチームの様子であった。
まだ2年前に設立されたばかり。
地方リーグで戦っており、小さいニュースの扱いである。
そうか……今回の人生でもあのチームはちゃんとあるのか……。
思わずほっと胸を撫で下ろす。
と同時に胸が苦しくなる。
何故ならこのままでいけば、28年後にチームは解散消滅するのだ。
オレの右足と家族を奪った交通事故。あれは何とか防ぐことが出来るかもしれない。
オレが家族の行動の歴史を変えていけばいい。
だが地元サッカーチームの消滅はどうにもならないであろう。
サッカー未経験の素人である自分。そんな小さな存在が介入しても、チームの存続をどうこうできる問題ではないのだ。
オレはかかわらず、第二の人生を家族と幸せに過ごしていく……
“だが、それでいいのか……?”
そんな疑問の声が込み上げてきた。
オレは前世の悔しさを思い出す。
地元のサッカーチームは、全てを失ったオレを救ってくれた。
生きる屍と化したオレに、生きる希望を最後まで与えてくれた。
あのチームがなければ、今オレは転生していなかったかもしれないのだ。
“こんな小さな存在の自分でも、あのチームのために何か出来ないか?”
そんな想いが込み上げてきた。
生まれ変わった自分だけ、幸せになるのはダメだ。
どうせなら人生の全てを賭けて、あのチームを滅亡から救ってあげたい!
「そういえば、パパ。今日、幼稚園でサッカー教室があったんだ……」
オレは覚悟を決めた。
これを口にしたら、後には引き返せない。
「そうか。楽しかったか、コウタ?」
「うん……だから、ボク、サッカーボールが欲しいんだ」
「サッカーボールか? いいぞ、コウタ。明日の仕事の帰りに、買ってくるぞ」
「ありがとう、パパ……」
今の自分は力も財力もない幼稚園児。
だから覚悟を貫くためには、家族の協力が必要である。
これから口にするオレの想い。その想いを実現させるために。
「あのね、パパ……ボク、サッカー選手になりたいんだ!」
「コウタが、サッカー選手に? それならパパも協力しないとな! はっはっは……」
父親の協力が無事に得られた。
オレの第二の人生の夢……
“サッカー選手になって、地元チームをJリーグまで牽引する”
この夢が成功する可能性は、ゼロに近いかもしれない。
なにしろオレはサッカーどころか、スポーツもまともに経験していない。子どもの頃の怪我で、スポーツが出来なかったのだ。
だが、サッカーに対する想い……あのチームの存続に対する想い。
これだけは絶対に誰にも負けない自信があった。
それに秘策もあった。
計画通り上手くいくか分からない。
また長い年月の努力が必要となるであろう。
計画ためには今日から一日たりとも、無駄な時間を過ごすはできない。
文字通り“人生の全ての時間を賭けて”やり直す必要があった。
「絶対にサッカー選手になって、あのチームを救うんだ……」
家族に聞かれないように、もう一度だけ自分の覚悟を口にする。
こうしてオレのサッカー人生が始まったのだ。
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