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第三章
帰宅すると、巧はそれがしを膝に乗せ、なでながら犬用高級ジャーキーをくれた。
「びっくりしたねえ。もう大丈夫よ」
「……クゥン……」
しょんぼりして自然と尻尾が垂れてしまう。
「うん、いい子いい子」
不思議と怒る気にはならない。
「……なぜ九郎様はあんなに怒っておられたのだ……」
ジャーキーをもぐもぐしながらつぶやく。
「うーん、まだ分かんない?」
苦笑された。
「?」
「蛇神様が前に言ってたでしょ。ゲンが東子ちゃんに好意持ってるからだって。九郎様は蛇の性質からか、自分の者に対する執着と独占欲が強い。普段も物理的に巻きついてるくらいにね」
事情を知らない者が見れば、締めつけて殺す気かという絵面である。
「特につがいに対するそれはすごくて、他のオスが好意向けたらイコール敵なのよ」
「……待て」
「九郎様の場合、父親が父親だったからその反動もあって余計みたいね」
「待て待て」
「あの重みを平然とスルーできてる東子ちゃんすごいわよねー。さすが生まれ育った環境のせいで好意に鈍感なだけあるわ。私だったらあれやられたら逃げる。分かっててもキュッと絞められそうだもん」
「待てと言っている! それがしはあの女など大嫌いだ!」
声を大にして主張する。
巧はこてんと首を傾げた。
「うん、それね。他人が口はさむことじゃないと思ってずっと傍観してたけど……自覚しといたほうがいいと思うんで言うね。でないとまた九郎様にひとのみされちゃう。次は東子ちゃんが助けられるか分かんないもの」
「ひいっ」
あんぐり開いた口を思い出し、震えあがった。
「ゲンはさ、東子ちゃんのことほんとは好きなのよ」
「…………」
あまりにおかしい言葉にそれがしは固まった。
……は?
「……何を言い出す」
「元々尊敬する神様を助けてくれた恩人として、好意的に思ってはいたんだよ。九郎様が選んだ女性でもあるわけだし。ただ自分が助けたかったってジェラシーから素直に認められなかっただけ。ゲンて素直じゃないしねぇ」
「それは。それがしがあれほど解放するすべを探して見つけられなかったものを、あの女はあっさりと……っ」
「ほら、そこ。ゲンは独りになっちゃったトラウマから、相手にはまず威嚇から入るのよね。オオカミって野生だし、それは分かる。でもそうするとたいてい嫌われちゃうでしょ。なのに東子ちゃんはどんなにきつく当たっても平然としてるんで、興味がわいたのがたぶんきっかけかな。それが次第に『好き』に変わったんじゃない?」
「違う……!」
断じてそんなことはない!
「じゃあきくけど、さっき九郎様が東子ちゃんになでてもらってムッとしてたのはなんで? 蛇神様が情けなくてでも、東子ちゃんがお前何様だって怒りでもない。自分が東子ちゃんになでてもらいたかったんじゃないの?」
「…………」
開いた口からぽとりとジャーキーの切れ端が落ちた。
「……嘘だ」
巧は何も答えずそれがしをなでた。
「……ありえない。無意味ではないか」
主の妻に惚れてなんになる。
そこまでそれがしもうぬぼれてはいない。
「うんまぁ、あの二人ラブラブだもんねぇ」
「……あのお方の幸せを邪魔するつもりはない。これは本当だ」
「それならいちいち東子ちゃんにつっかかるのやめたほうがいいと思うけど。九郎様にすれば、好きな子にかまってほしくていじわるする男子の心理でやってるように見えるよ。下手すれば自分たち夫婦を割こうとしてるんじゃないか、って余計に敵認識してるんでしょ」
あっけにとられた。
「……そんなつもりは」
「まして東子ちゃんはずっと周りから差別されてた。九郎様も守ろうと必死なのよ。ゲンの態度はどういった連中と同じって認識されても仕方ない」
「くだらん人間どもと一緒にするな!」
「うん、でもね、はたから見れば同じなのよ。東子ちゃん好きなのはどうしようもないことだし、あきらめろとは言わない。どうすべきかはゲンが自分で決めることだと思う。ずっと黙ってるにしろ、告白して玉砕するにしろ。どっちにせよ態度は改めて、九郎様にもきちんと自分は九郎様の幸せを邪魔するつもりはありませんって明言すべきかな」
「…………」
人間に差別・迫害されるのがどれだけ卑劣で許せないことか、それがしはよく知っている。前世の匠がそうだった。
巧は人間を守る道具を作っているのに、人間は巧を嫌悪していた。超人的な力が使えるものを作れる者もまた人間ではないと。
ときに自分たちを守ってくれた能力者にすらそう言うのだから、それより地位が下とされた作り手などましてである。
人は己と違うものを異物と認識し、恐れて排除する生き物だ。
「……あやつらと同じようなことをしているつもりなどなかった」
「だれが群れのリーダーか力で決めて他は絶対服従、オオカミの間でならそれでよかったんだろうけど、今は違うから。いろんな種族のいる社会で生きてくなら、協調性は必要よ。九郎様の配下でい続けたいんでしょ?」
「もちろんだ! それがしはあの方に命を救われた。恩返しせねば」
「だったらゲンも変わらなきゃ」
ぽんぽんと優しく頭をなでられた。
「……分かった」
しぶしぶうなずく。
迷惑をかけたのは分かっている。
「自分のことよりも、あのお方のほうが大切だ」
「忠犬だねぇ。でもどうしよ……土下座しても許してもらえるかな。怒ってぱくっと……」
「思い出させるなあああああ!」
悲鳴あげて巧の腹に頭を押しつけた。ぐりぐり。
「ごめんごめん。ゲンかわいいんだもん、ちょっとしたいたずら心」
「かわいいなどと言うな。それがしは高貴なオオカミだぞ!」
「あれ、オオカミが人に慣れたのが犬になったんじゃなかったっけ。別にバカにしてるわけじゃないよ。ゲンは私の大事な家族だもん」
ぎゅうと巧はそれがしを抱きしめた。まるで寒さから逃れるかのように。
ふと昔を思い出す。前世でも孤独な巧は時折それがしを抱きしめていた。
「……巧、寂しいのか? 昔のように」
きいてみる。
「…………。今世は独りぼっちじゃないもの。寒くもひもじくもないし。ただね、ゲンはあったかくて落ち着くなぁって」
思えばそれがしもずっと独りだった。あのお方の配下は大勢いたが、それがしに近寄る者はせいぜい三名ほど。四天王の残り三人だけだ。
今なら原因はそれがしのほうにあったのだと分かるが。
なぜか前世の巧がこうしてくるのは嫌ではなかった。
……あたたかいな。
そう感じたのを思い出す。
あまりに遠くて、その後のことが悲しすぎて忘れていた記憶。
―――そうか。自分も寂しかったのかもしれない。
同じだから嫌ではなかった。
「―――ゲンはあったかいなぁ」
巧のつぶやきに我に返った。
待て。それは前世お前の最期の言葉だ!
ぎょっとして顔を上げる。
「おい! 死ぬなよ!」
「え、なんで? 物騒ね」
巧はきょとんとしていた。
覚えていない?
まぁそうか。熱で意識もうろうとしていたものな。
……覚えていなくてもいい。
最期はあまりに悲しすぎた。
「……別に。お前がしおらしいと調子が狂うだけだ」
前世のこいつが病死した後のことは、正直それがしもうろ覚えだ。怒り狂い、巧を差別した村を襲ったことは覚えている。
なぜこいつをもっと大事にしてやらなかった。気にかけてやれば死なずに済んだのにと。
当時の医療技術でももう少し処置が早ければ、そしてもっと食べて栄養をつけられていれば助かったはずなのだ。
冷たくなったむくろを前に泣いたあの日。
―――もうあんな思いはしたくない。
頭を巧の肩にのせた。
「仕方ない。温まるまでこうしていてやる。それがしも暖をとれるしな」
「え?」
「……なんだ、その反応は。やめるぞ」
「え、やだ。モフモフ堪能したい」
巧は思う存分毛をなでまわした後、相好を崩した。
「……ふふっ」
「ふん。お前はそうやっておかしなくらいでしょうどいい」
「おかしいって何よ、失礼ねー」
それがしは無視して、フンっと鼻から息を吐いた。
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