(零)ー2

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(零)ー2

*  見慣れた街が見渡せる山の頂上。狭いながらも、開けたその場所には、既に人々から忘れ去られたであろう小さな寺がある。建物の形をなんとか保っているものの、木は朽ちて扉はあってないようなもの。雨風が凌げるだけの建物だ。  右頬に蔦のようなアザがある男が空を見上げた。冬に向かっていく空気を感じる。だからと言って感傷に浸る事はない。その心すら、今の彼にはない。 「ガク」  不意に後ろから呼ばれた。ガクと呼ばれた男は驚くでも慌てるでもなく、ゆっくり振り返った。この男こそ、五年前妖怪を食べる事で妖怪化した元祓魔師の倉林雅久本人である。  ガクを呼んだのは額に特徴的なアザを持ち、女性用の着物を着た、男にも女にも見える人型の妖怪。滝夜叉姫。先日偶然にもガクの実弟で祓魔師の和希たちと対峙したが、その事はガクには伝えていない。帰ってきて餌となるはずだった妖怪を持っていない事を不思議がられたが、適当に誤魔化した。言わなかったのは面白い事になるかも知れないという根拠のない期待。それだけだ。  滝夜叉姫もいつもと変わらぬ様子で、しかしどことなく楽しそうな雰囲気を醸し出し、口を開ける。 「祓魔師ってのは厄介ね」 「……何が言いたい」  先日の和希たちと邂逅した事を仄めかすような口ぶり。しかし滝夜叉姫は全貌を明かすつもりはない。  意味深な言葉にガクはギョロリと目を滝夜叉姫に向けた。強面さながら迫力があるが、滝夜叉姫は気にする事なく涼し気な表情を見せる。 「深い意味は無いわ。ただ強い祓魔師がいるとワタシたちにとって都合が悪いなって」  ガクはさらに滝夜叉姫を睨んだ。  仲間と言うには程遠い空気が流れる。事実、二人は厳密には仲間ではない。利害関係で成り立っている一時的なもの。祓魔師と妖怪の契約関係と似たところがあるものだ。だからか、ガクは滝夜叉姫の言葉の全てを信用しない。元人間で元祓魔師。本来妖怪を嫌うガクからすれば滝夜叉姫との関係ですら嫌気が差す。  滝夜叉姫はつくづく信用されてないのだなと大きくため息を吐くと、ある言葉を口にした。 「芹沢朱莉」  その名前を聞いた瞬間、ガクの眉がピクリと動いた。  これまで祓魔師は大した事ない存在と捉えてきたが、先日戦闘した、徳次郎のような、少々面倒くさい存在がいる事を知り、滝夜叉姫は独自に改めて現代の祓魔師について調べた。そしてその中に気になる特殊な祓魔師がいた。  流石は元祓魔師。その名前は知っていたかと滝夜叉姫は納得する。 「我々妖怪にも引けを取らない妖力が人間側にあるのは面倒だ。借り物如きに我々が劣っているなどあってはいけない」  芹沢朱莉。祓魔庁討伐隊第四課の長官にして千手観音の先祖返り。そして彼女自身が現在、活躍する祓魔師の中で最も妖力量の多い祓魔師である。  千手観音は人間でも妖怪でもない神仏の存在。千手観音自体は厄介だが、その妖力を持ち得たところで滝夜叉姫たちの脅威にはならない。先祖返りだとて妖力が小さければ同じ事。しかし朱莉は千手観音の妖術が使えて妖力も大きい。滝夜叉姫たちだけではない。妖怪全体にとって朱莉自身が厄介な存在である。  加えて、滝夜叉姫たちが祓魔師を嫌うのは、人間でありながら妖力を持っている事。それが人間自身の力ならともかく、祓魔師の妖力は妖怪から分け与えられたものであり、あくまでも力を「貸与」されている状態。それを以って妖怪を倒しているのだから気分が悪い。  分け与えた妖怪も妖怪だ。何故人間如きに、と考えるが何千年も前の話を蒸し返しても仕方がない。  ガクが静かに口を開く。 「頭がそう言ったのか」 「頭が言わずとも妖怪は皆思ってるよ」  頭とはガクが今世話になっている妖怪集団の頭領だ。ガク本人としては世話になっているという表現も気に食わないが、事実、祓魔師に指名手配されている身で匿ってもらっているため、無闇に逆らえない。  頭の命令であれば、聞くこともやぶさかではないが、滝夜叉姫のただの意見だったと知り、ガクは小さく息を吐いた。  ガクは黙って歩き出し、滝夜叉姫の横を通る。 「あの女は俺が殺す」  手を出すなと言いたいのだろう。返事の代わりに滝夜叉姫は息を吐き、ガクを黙って見送る。  彼が芹沢朱莉に何を思い、どうしてそんなに憎しみを込めるのか、滝夜叉姫の知るところではない。しかし芹沢朱莉に対して強い敵意がある事が分かっただけ、滝夜叉姫にとっては都合が良いように思えた。  ガクが歩いていった方向とは逆の方向にある木の後ろに影が見えた。滝夜叉姫はそちらを見ずに気配だけを感じ取る。滝夜叉姫と同じく人型の妖怪だが、話し方に癖があり、いつもケタケタ笑う様は相手に苦手意識を植え付けさせる。 「滝夜叉、オレちゃんが行こうかい?」 「…急になんだい」 「祓魔師の上の連中が集まるんダッテ」 「で?」  見ずとも顔がニヤついているのが容易に想像できる声色。それだけではなく、滝夜叉姫は影の遠回しな言い方にも苛立ちを覚える。 「引っ掻き回すのに丁度いーかなって。昼間の奴らは油断してるッショ」 「……焚き付けには良いかもね」  滝夜叉姫の言葉に、影は不気味にニヤリと口端を上げると尻尾を揺らして、そのまま消えた。  単純に奴の策を了承したつもりはない。奴がこれから行おうとしている事は、正直無計画ではないかと思っている。しかし奴が綿密な計画を立てるわけもない。そういう性格だ。それで奴が自滅しようと滝夜叉姫には関係ない。妖怪の徒党などそんなもの。それでもそれを利用する事は出来る。これで祓魔師の出方を見るのもいい。  蝶がひらひらと飛んできて、滝夜叉姫の指に止まる。この怪しく煌めく蝶は滝夜叉姫が作った妖怪の一種。その身軽さからあらゆる所に飛んでいき、喋る事はしないが、得た情報を滝夜叉姫に伝える役割を成す。  いつぞやか、ガクと餌となる妖怪を探しに森へ行った後、その近辺で祓魔師が騒ぎ始めたため、この蝶を飛ばしてみた事がある。  蝶によるとガクが食べ損ねた妖怪が勝手に暴走して、同族を喰らい、人を襲っていたらしい。発端こそ偶然だったものの、興味深く、そして自分たちの画策の資料の一つとして、蝶をそのまま飛ばし、観察していたのだが、やはり早々に祓魔師によって退治されてしまった。  その時の妖怪を退治した場にいた祓魔師が朱莉、和希、太陽、月夜の四人だったことは滝夜叉姫は知らない。  とはいえ、自分たちの画策のための良い資料を手に入れた。滝夜叉姫たちはこのような妖怪をどんどん増やしていきたい。  増やして増やして増やして。  そうなった後の世界を考えると思わず楽しくなってしまい、滝夜叉姫の心が躍る。 ーサアアアアア  冷たい風が枯葉を舞い上がらせた。同時に滝夜叉姫の髪も揺らめく。  蝶々が先程の影と同じ、祓魔師の集会についての情報を持ってきた。他にもいくつか。 「そろそろ、かな」  ニヤリ。滝夜叉姫は堪らず口端を上げた。
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