(六)ー2

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(六)ー2

「おい」  隣から掛けられた声に壱誓は驚き、ビクッと反応してしまった。勢いよく隣を見れば、太陽がため息を吐いていた。 「気持ちは分かる。でも落ち着けなんて俺に言われたくねえだろ」  太陽の早い判断が壱誓を押し留めた。気持ちが分かるのは本当だ。壱誓程ではないかも知れないが、自分だって慕っていた元上司が、ただ妖怪に力量で殺されたわけではなく、こんな奴の策に嵌ったとなれば、胸糞悪い。だからこそ、ただではおかないし、そのためには壱誓の力も必要だ。朱莉に壱誓のアシストを任されている。太陽はこれくらいなんて事ないように静かに化け猫を睨んでいた。  壱誓のはぁっ、はぁっ、と短い息が段々と落ち着きを取り戻し、最後、深呼吸をして整えた。すぐに声を掛けてくれて助かった。息が浅くなっている自分に気付いてそう思った。一瞬の事とだったとはいえ、目の前の妖怪への殺意だけが湧いて、酸欠で自分が先に倒れるところだった。 「…悪い」 「あんな気色悪い奴にやられて、お前が一火さんの二の舞になるなよ」 「ああ」  壱誓はもう一度化け猫を見る。へらへらとしていて、やはり気に入らない。嫌悪感だけが込み上げる。壱誓は短刀を生成し、構えた。 「俺が落とさねえようにしといてやるよ」 「行くぞ」  太陽の言葉を聞いて、返事の代わりに壱誓は化け猫に向かって走り出した。女郎蜘蛛の上での不安定な足場も太陽が電気を操って落ちないようにしてくれる。恐らく化け猫も同じように操って逃がさないようにしてくれている。壱誓は思い切って化け猫に斬りかかった。 「おわわ!」  寸前で化け猫は避ける。戦闘慣れしていない分、化け猫の方が不利だ。しかしだからこそ別のモノを化け猫は使える。 「こっわ。お前何を楽しみに生きてんの?なあ」  これまでそうしてきたように、こういうタイプは言葉で動揺させれば簡単に隙が出来る。戦闘が出来なくとも、防衛本能で蹴りくらいは入れられるのだ。逃げるタイミングもよく見計らおう。化け猫は挑発のためのにやけ顔もしっかり作った。  短刀を構えた壱誓が化け猫の顔面を集中的に狙う。そして油断したタイミングで腹や他の場所を狙う。化け猫は防衛本能も使ってなんとか避けていく。 「女郎蜘蛛、オレちゃんがけし掛けたのかって聞いてたナア?ソウダヨ!オレちゃんがやったの!知ってっか?やっぱ妖怪だからかな?ちゃんと悲鳴上げんの、アイツら!んで木の枝で刺す時、プチュって音すんの!気持ちワリーよな!」  キャハハハっ。甲高い笑い声が響く。  何度も余裕の表情を見せたりして、挑発するが、壱誓は一向に顔色を変えない。流石に化け猫もちょっと飽きた。 「挑発に乗る余裕ないって感じね。あーハイハイ。必死になってんのオモロいわ」 「………」  化け猫は壱誓の顔を呆れた表情で見た。 「つまんねー奴」 「勝手に言ってろ」  あれほど挑発に乗らなかった壱誓がやっと口を開いたかと思えば、まさか化け猫も挑発のために言ったわけではない独り言に反応した。流石に化け猫も片方の眉毛をピクリと動かして、驚いた素振りを見せる。  つまらない。この言葉に反応したのは、化け猫の挑発に乗ったわけではない。ただなんとなく、言い返したくなった。  真面目で表情もあまり変わらないと、子どもの頃から散々言われた。比較的厳格な性格の祓魔師が集まりがちな三課に入庁した時も先輩には扱いにくいという表情をされた。直さないといけないのか、子どもの頃は悩んだ時期もあった。直すといって実際どうすれば良いのか、どうなれば良いのか分からない。周りに相談しても、自分で考えろと突っ返されるだけ。なんなんだ。変えてほしいならその方法までちゃんと面倒をみろ。それが出来ないのに文句を言うな。自分の意思を問われたならば、壱誓は「変えたくない」を選ぶ。コミュニケーションが取れないわけではないのだ。これが自分だ。生きやすさも、生きづらさも全部自分のものだ。  その覚悟が出来た矢先、意外な事に四課はそんな壱誓を受け入れてくれた。 『まあ、真面目なのは悪い事じゃねえしなあ』 『俺らから見れば真面目過ぎ、堅すぎって気は確かにするけど、それでお前がしんどくないなら良いんじゃない?無理すんなよ』 『考え方が堅いわけじゃないから、俺は良いと思うよ。むしろ柔軟な方でしょ?』 『四課にお前みたいなの他にいねえしな!逆に面白いだろ!』 『壱誓くんは教え甲斐がある。…朱莉も見習ってほしいよ』 『いつも太陽さん剥がしてくれてありがとうございます。正直、壱誓さんしか頼めないです』 『壱誓、お前月ちゃんに近付くな!』 『副官は二つも妖術持っててすごいです!すっごく難しいですよね!どれくらい練習しましたか!?二つ目の妖術ってどうやって決めたんですか!?他にも…』 『副官がいないと四課ってどうなってたんですかね』 『まさか、毎日、体術と妖術の両方鍛錬やってるんですか?!真面目とかじゃなくないですか!?』 『気に入る人は気に入るし、離れる人は離れるよ。祓魔師の世界は狭いけど、地球は狭くないから大丈夫じゃない?』  拍子抜けした。他の課に比べて緩いと言われ、組織の規律もあやふやな四課だと思っていたのに、一人ひとりの自立がしっかりしているからこそ、自分で自分をしっかり律しているからこそ、組織の規律に縛られていない四課は壱誓の性格を「個性」だと認め、歓迎してくれている。四課に必要だと言ってくれる。四課が自分の居場所だと心から思える。  あの日、一火と話して四課所属に決めた。一火が最初に自分を認めてくれた。それが壱誓の心を穏やかにした。これで良いんだ。このままで良いんだ。それをちゃんと受け入れてくれる場所がある。それだけで良い。何を言われようと気にしない。気にならない。言わせておけ。 「ただの挑発が効くわけないだろ」
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