(七)ー1

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(七)ー1

(七) 「化け猫が…言っていた事は以上、です」  その夜。四課の執務室で壱誓は化け猫が言っていた一火の最期を朱莉に伝えた。 「女郎蜘蛛に異常は見られなかった。化け猫が仕向けた罠に嵌まった、か」  朱莉は少し考え込むような表情をした後、深くため息を吐いて、回転椅子をくるりと回し、壱誓に背を向けた。 「…一火の最期がちゃんと分かって良かった。…ずっと、気になってたから……そっか」  もう一度、朱莉の方から大きく息が吐き出される音が聞こえる。何かを堪えるような、擦り切れた音だ。 「やっぱり、一火だねえ…」 「…そう、ですね」  化け猫が変化していたとはいえ、仲間だと思った人間を助ける為に自ら一つ目入道の足元へ飛び込み、助けた一火。自分に正直である人間に、祓魔師でい続けたいと信念を持った一火は、自分の心に従って、助けに行ったのだ。恐らく、自身の行動に悔いは無いだろう。  発言に責任を持つ。  行動に責任を持つ。  命を尊ぶ。  四課の規則を、自分の信念を全うした男。  自分たちを支え続け、導いてくれた前副官。彼の背中に四課でも大勢が憧れた。 「素晴らしい祓魔師だ…」 「…ですね」  壱誓の目に涙が少し滲む。  自分がどう在りたいかを考える機会を与えてくれた。それを教えてくれる人物に出逢えるなんて、世界にどれだけいるだろう。自分はとても恵まれていると、幸せだと、一火に出逢えた事を嬉しく思った。 「壱誓」  朱莉が声を掛ける。壱誓は涙を引っ込め、俯きがちだった顔も上げ、彼女の次の言葉を黙って待った。朱莉は少しだけ回転椅子を動かし、首も動かして壱誓を見た。 「…今日はよくやった」 「っ…いえ…」  壱誓は労いの言葉に軽く頭を下げた。 「復讐なんてもんじゃない。一火の弔いが出来た。壱誓のお陰だよ」  弔う事。それは死者の冥福を祈る他、残された者を慰める意味を持つ。化け猫を討伐するだけではただの任務で終わる。祓魔師としてはそれだけで充分だが、それだけではない事に大きな意味があった。朱莉はホッとしている自分がいた。  頭を下げたままの壱誓を見る。四年前に体験程度に四課に来た少年が今や立派に四課の副官をしているその姿に、朱莉は少し面白く感じた。  人は、最期の最後まで、その死を以て周囲に学びを与える。故人がこれまでに与えてくれた感情や経験。それら全てが残された者への贈り物。一火はその人生を以て、壱誓に学びそのものを与え、四課に壱誓を加えてくれた。それが彼の人生の全てではないが、彼がもらたしてくれたものは確実にある。 「一火さんの言葉が…」 「ん?」  壱誓が静かに口を開いた。 「化け猫との戦闘中に、鍛錬時に掛けてもらった一火さんの言葉が頭の中によぎりました。想像力を高めろと…」 「想像力ねえ。あの人分かりにくいアドバイスしかしないのよね」  ふふっと朱莉は小さく笑った。昔から回りくどく、説教くさい所があり、酒が入れば更に面倒臭くなるタイプ。その餌食になった隊員もたくさんいる。それでも彼の話は不思議と嫌では無かったりして、みんな付き合っていた事を思い出す。  想像力。創造力。壱誓の妖術には確かに必要不可欠な要素だ。自分が何を手にしたいのか、それを具現化するイメージ力。それには日頃から戦闘のイメージトレーニングも必要。具現化したものを使いこなすトレーニングも必要。恐らく、壱誓が戦闘中に一火の言葉を思い出したのは、一火の話が出た事とそうしたイメージトレーニングによる一種の潜在意識だろう。真実は分からないが、それはそれとして、壱誓がその言葉を思い出して、今日の戦闘に大いに役立っていた事は事実で、その成果も発揮されていた。  朱莉はくるっと回転椅子を回して、壱誓の方に体を向けた。 「強くなったね、壱誓」 「え」  壱誓は思わず驚きの声を出してしまった。朱莉がこんな事を言うのは珍しい。仕事への労いの言葉はよく掛けてもらえるが、強さや隊員の成長について自ら口を出すタイプではない。  朱莉はあまりにも驚いた表情の壱誓に不機嫌そうな顔をする。 「何よ。私が褒めるの、おかしい?」 「い、いえ…」 (明日は槍が降る…) 「何でそんな驚くのよ」 「いえ、そんな事は…」  ん~?としばらく怪しげに壱誓を見た朱莉だが、まあいいかと言って椅子に座り直した。 「きょうはもう休みなさい。…あと…」 「?」  朱莉はデスクの前に立つ壱誓を見上げる。 「これからもよろしくね、副官さん」 「……やめてください」  朱莉の笑顔に壱誓は顔が引き攣る。時々朱莉の笑顔にはとてつもないプレッシャーを感じる。一火の後任にされて二年目。正直長官のサポートというより、朱莉のサポートが大変だ。頼りにするのも大概にしてほしい。  壱誓は一礼して執務室を出て行く。 「失礼します」  執務室の扉が閉められ、朱莉はもう一度、背もたれに深く寄りかかった。  宙を見る。ただぼんやりと。  二年前に一火を応援に行かせて、二度と戻って来なくなったあの日から、朱莉は応援要請にはなるべく全て自分が応えるようにしている。応援要請も週に一回出るかどうかのものだ。最近の事件で少し増えた気はしないでもないが、苦痛という程でもない。朱莉の中で、隊員を応援に行かせる事が恐怖になっていた。そして悔しさが強くなった。  自分の力は、千手観音の力は何の為だ。これまでにいた同じ千手観音の先祖返りと比べても、自分の持つ妖力は大きく、妖術全てが使える。それを持っていながら、自分は何をしていたのか。守りたいと思うものを守れない悔しさはいつも朱莉の心を締め付けた。後悔をしても何も変わらない。過去に対する執着など何もならない。そしてこれからも朱莉の手から零れるものは少なくない。それでも朱莉には、ここに残されたものを守っていくしかないのだ。 「…一火を頼むよ」  朱莉は宙に向かって呟いた。  
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