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(一)ー1
(一)
雲がちらほらとあるものの、穏やかな晴れ空。和希は今、朱莉の後ろを歩いている。二人がどこへ向かっているかというと、祓魔庁本部である。他の課より、四課の本部地からほど近く、二人は歩いて向かっていた。
本部に向かっているその理由。今日は長官会という各課の長官が集まる不定期会合の日なのである。そこへは大体副官も同行する。しかし今朱莉の隣にいるのは副官の壱誓ではなく、和希。どうしてこんな事になったかというと、数時間前まで遡る。
数時間前。明け方、といっても季節柄、日が昇るのが遅くなっただけで時間的には普通の朝。そんな時間。
和希は道場で木刀を振っていた。いつもならこの時間に起床しているが、最近はこの時間にはもう道場にいる。
先日、学校で滝夜叉姫にズタボロにされた上に逃げられてしまった事で、自分の弱さを改めて知った和希は任務が免除されている平日でも、学校から帰ってくればすぐに道場で鍛錬に励むようになった。土日も朝から任務の時間が来るまで、道場に缶詰になっている。これまでの鍛錬を疎かにしていたつもりは一切ないし、これだけで強くなれるとも思わない。何より滝夜叉姫が単純に強かっただけではない。自分が、妖怪という存在を恐れてしまったという精神的な面が主に原因だ。しかし単純に稽古量を増やさなければ気が済まなかった。自分の戦闘力を過信した事はない。妖力も弱ければ、千里眼も非戦闘のもの。だから自分の戦闘力のほとんどが単純にフィジカルに集約される。攻撃型の妖術ではないからこそ、そこを埋める努力をしたいと思い、考えた結果が今である。
和希の脳裏に先日、自身よりダメージを負った華や、関係ない一般人である友人にも怪我をさせてしまった事がこびりつく。あの状況では仕方がない部分があった。華にも和希にも全面的な落ち度はない。しかし、徳次郎たちが駆けつけてくれるまで、せめて友人の立川が来てしまったところまで、もう少し自分たちでなんとか滝夜叉姫にダメージを与える事は出来なかっただろうか。華の戦闘にもっと援護が出来なかっただろうか。少しの間でも華に戦闘を任せて立川を避難させる判断がすぐに出来なかっただろうか。仲間を信頼し、連携が取れていなかった。入庁から全然会話してこなかった華とも少しずつ話すようになり、改善の見込みは出てきた。しかしあの時の疑問と後悔がずっとついて回る。考えがまとまらず、今はただ木刀を振るうしかできなかった。
『倉林』
不意に声を掛けられ、動きを止めた。見れば朱莉が道場の入口にのんびりともたれかかっており、その後ろでは壱誓が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
『今日暇でしょ?』
汗だくなりながら鍛錬に励んでいる隊員を見て暇とは。しかし、さも当たり前のように決めつけてくる口ぶりとは裏腹に朱莉の表情はとてもにこやかだ。そして感じる圧。和希はただならぬものを感じ、木刀をぎゅっと握りしめた。
『え、なんですか…?』
『今日、ちょっと付き合ってほしいんだけど』
事実、休日で任務がない今は道場に行って鍛錬に出る以外は特に用事はない。朱莉の用事に付き合う分にはわけないのだが、後ろの壱誓の表情といい、何やら怪しい雰囲気が和希に抵抗感を持たせる。
『ど、どこに…』
『長官会』
『副官じゃなくて、ですか?』
副官でない自分が何故長官会に同行なんてどういう事なのか。
『俺は今日、調査で行けなくなった。代わりを頼む』
和希にはさらに不可解だった。長官会の日取りは早めに通達されるため、この日ばかりは長官も副官も仕事内容を変更しているはずだが、壱誓の調査とは…。急なものだろうか。内容も気になるが、二人の雰囲気を鑑みるにあまり触れない方が良さそうだと和希は空気を読む。滅多に無いが、長官と副官だけで進める仕事内容かも知れない。そうなれば一般隊員格の自分が知る必要はない。
『長官が今日の予定を忘れていて、急な調査を入れられた』
壱誓が大きなため息を吐きながら朱莉を見る。朱莉は斜め上を見る。どうやら朱莉のスケジュール管理ミスのようだ。
和希の予想は外れたか。
話を聞くと壱誓が適任の調査という事らしい。内容については触れられなかったので、やはり聞かないで良さそうだ。
事情をなんとなく把握したものの、何故新人の自分に白羽の矢が立ったのか。
『ベテラン連中はそもそも嫌がる。理由はまあ、なんとなく分かるからいいんだけど。そう思った時、倉林が適任かなって』
『適任ですか?』
『少なくとも新人の中では長官と副官の顔ぶれに耐性はあるんじゃない?』
確かに和希の父は一課の長官を務めており、家には一課に所属する親戚たちが多く出入りする。用事ついでに他の課の長官が家にやって来て、父と会食しているのを何度か見たことがある。
目を呪われる前の話だが、息子だからと挨拶だけさせられた記憶がある。幼い時と比べて長官たちの顔ぶれも変わっているため、今の面子を全員知っているわけでは無いが、遠くから見かけたり、なんとなく、一方的だが、知っているという事もある。
実は二年前の会食で朱莉が倉林家に来ており、その時和希は初めて朱莉を見た。その時は噂の千手観音の先祖返りの四課長官、という認識でしかなかった。今や自分の直属の上司とは。そういえば、その時に一緒にいた副官は壱誓ではなかったが、彼は異動したのだろうか。
朱莉もそうだが、やはり長官ともなれば、熟達した祓魔師としての雰囲気は流石長官とも言える気迫を持ち、一目見ただけで思わず頭を下げてしまいそうになる。圧があるというか。それぞれの長官たちの顔を思い出すと、なんとなく先輩たちが長官会に顔を出す事を断る理由が分かる気がした。
『…分かりました』
和希の渋々の了承に朱莉はにっこりと笑う。壱誓はまた大きくため息を吐いた。どういう意味のため息なのだろうか。新人に付き合わせた申し訳なさか、和希に同行が務まるのかという不安なのか。どちらにせよ、和希は壱誓のため息に萎縮した。
というわけで和希が朱莉の長官会に同行する事になった。
「いやあ、悪いねえ」
そう言う朱莉の笑顔はにっこにこ。悪びれた様子は無い。
「いえ…」
「ほんとなんで副官同行なんだろうねえ。いつからそんなの始まったんだか。嫌だ嫌だ。悪い習慣なんて潰れてしまえー」
(長官なら本当に潰しそう…)
そう思ったが、現在進行形で同行させられている身としては、朱莉に実行して欲しい気持ちの方が勝った。
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