手紙

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フランス軍は、各地で敗戦を続けた。プロイセン軍が国境に迫ると、ついには国王ルイ16世がオーストリアにフランス軍の作戦を内通しているのでないかという疑惑が持ち上がった。 1792年8月10日、朝。民衆はこの惨憺(さんたん)たる状況に憤慨し、2万人はくだらない大集団を組織して、国王がいるテュイルリー宮殿へ進攻した。国王ルイ16世は土壇場で宮殿近くにある議会へと避難したので、この宮殿を守るのは国王に個人的な忠誠を誓ったスイス人傭兵950名だけである。彼らは一糸乱れぬ隊列を組み、必死に民衆に抵抗したが、その数に押されて宮殿の広場や中庭を次々と制圧され、たちまち宮殿の中へと退却した。そのとき、国王から命令が届いたのである、「民衆に対する発砲を停止しろ」と。 宮殿に残ったスイス人傭兵を指揮していたエリアスは、国王の命令に従い武器を捨てて、暴徒化した民衆と対峙せねばならなかった。
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