選ばれたあなたージオン・カルサベカトルの場合ー

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レイチェルは俺を、年季の入っている少し朽ちた校舎の裏に連れてきた。 建て替えの準備に入っている場所で、さっき居た場所からは距離がある。また、多少いりくんだところにある故、簡単には見つからないだろうところだった。屋根はなかったが、さっきまで降っていた小雨は、空気を読んだかのようにいつの間にか止んでいた。 「ここなら、簡単には見つかりませんね。」 そう言ったレイチェルは、微笑んでいた。いつものレイチェルだった。 対して俺は、何だが無性に緊張していた。彼女は自ら進んで俺と二人きりになった。そして、こんな人気のない場所に導いたのだ。学校で彼女の隠された肌に触れるつもりはなかったが、唇ぐらい奪ってやろうかとつい考えてしまうぐらいには、俺はこの状況に胸を高鳴らせていた。 白いハンカチで左手の甲を押さえるように拭いていた彼女の肩をそっと掴んで、その身体を校舎の壁に押し付けた。抵抗はされなかったから、さらに期待が膨らんでいた。 彼女の夕焼けのような瞳が、俺をじっと見上げている。心なしか、いつもよりも朱い色が濃いような気がした。 「カルサベカトル様。お忘れかもしれませんが、私は貴方様のことなど好いておりません。ですので、このようなことを期待して貴方様と二人きりになった訳ではございませんよ。」 彼女はそう言った。酷くあっさりとした口調だった。申し訳なさそうな素振りすらなかった。 胸がまた、ずしんと重くなった。 「それとも、貴方様御自身がお嫌いな私とキスを交わしたいとお考えなのでしょうか。」 「そ、そんな訳ないだろう。」 「それは良かったです。貴方様の中でキスは恋人同士や夫婦がするものという認識だと、把握しておりましたので。」 彼女は相変わらず穏やかに微笑んでいるだけだ。むしろいつもより目を細め、笑みが深いようにさえ見える。 腹が立った。どうせこの女はアレクに求められれば、何も言わずに目を閉じて、彼の唇を受け入れるのだ。俺が相手の時は飄々と接して、言葉巧みにそれを受け流すくせに。 苛々して堪らない。思わず地団駄を踏みかけて踏み締めた足に意識を向ける。と、その途中、スラックスのポケットに入れたままだった瓶詰めの牛乳のことを思い出した。俺はそれを手に取り封を開け、一息に飲み干した。 「カルサベカトル様?」 気に入らない。アレクのことは『アレクサンダー様』と名前で呼んで、簡単に頬を赤らめ、潤んだ瞳で見上げるくせに。俺にはそのうっとりとした表情の、ほんの一欠片さえ向けはしないのだ。 中身のなくなった瓶を、苛立ちに任せて投げ付けた。レイチェルの肩がビクリと震えた。右手で持っていたハンカチが、ギュッと握られた様子が見えた。音を立てて粉々に砕けた瓶は、彼女の横に無残に落ちて散らばった。 彼女はただ、俺のことをじっと見上げているだけだった。さっきまでは確実に怯えていたくせに、その表情に恐れる様子は見えない。 しかし、今だって怯えているはずだ。その証拠に、引き伸ばした左手の長袖を、しっかり握り締めているではないか。俺に弱いところを見せまいと強がっているのだ。本当に生意気で、可愛げがない。アレクが相手ならばきっと、怖いと呟いて抱き着くのだ。そう思うと、無性に苛立ちが募る。 「もう少し素直に怖がったらどうだ。俺は貴様の顔目掛けて瓶を投げ付けることも出来たのだぞ。」 勿論そんなことをするつもりはなかった。先ほど俺は、彼女の肩の横ぐらいの壁に瓶を投げ付けただけだ。欠片すら彼女にあたることがないよう、きちんと調整して投げたのだ。いくら小賢しく生意気で可愛気のない女でも、その美しい顔を傷付けたくはなかった。 ただ、もし顔が傷だらけになれば、もうアレクが近付くことはないかもしれない。そうすれば彼女を簡単に俺のものに出来るかもしれない、とは少し思ってしまっていた。 「貴方様はそんなことはなさらないでしょう。私のことはお嫌いでも、私の顔は酷くお好みでしょうから。」 レイチェルはそう言って笑った。酷く穏やかで、余裕のある女のする笑みだった。間違っても、目の前の男に瓶を投げ付けられそうになった女がする笑みではない。俺の前では、とことん弱いところは見せないつもりらしい。 「貴様は、本当に生意気だ。可愛気がない。」 生意気だ。大人しく怯えることさえしない。ここで少しでも怖がって見せれば、多少は可愛気があるというものなのに。アレク相手ならば、簡単にそうするのだろうに。 ますます苛立ちが募る。 「それは先程もお聞きしましたよ。私は男性を蹴落とし、優秀な成績を修めることで目立とうとする可愛気のない生意気な女なのですよね。賢いながらも一歩引き、男性を立てる貴方様の妹君とは雲泥の差だと。」 「その通りだ。シェーンは見目麗しく賢くそれでいてそれを表に出さず、常に男を立てる出来た女性なのだ。貴様よりよっぽどアレクに相応しい。」 彼女はいつだって話をきちんと聞いていたようだった。今日だけでなく、いつだったかぶつけた意見も交ぜて話をしてくる。それに合わせるように、俺も意見を上乗せする。 言いながら、目的を再確認していた。俺は大切な妹のシェーンが何の不安もなくアレクと結ばれるようにするために、この女を俺のものにする。この女のことは気に食わない。小賢しく生意気で可愛気もない。ただ、この気に食わない女が俺の手であられもない姿で啼かされる様子は、想像するだけで物凄く愉快だ。 「…女性としての魅力も、シェーンの方が格段に上だ。全く、アレクはなぜこんな貧相な身体を抱けるのだ。」 そんな想像をしながら目を向けた彼女の身体は、貧相だった。細い腰は鷲掴みやすそうで良いが、いつかシェーンが言っていた通りに胸はなさそうだった。それを誤魔化すためなのだろう、ふんわりとして胸の線を見えなくする服がなんとなく癪だった。この女を俺のものにすることは揺るがないが、正直もう少し豊かな胸の方が好みだった。 「それは、アレクサンダー様御自身がお決めになること。貴方様や私がここでとやかく言ったところでどうにもなりませんよ。」 彼女は何度か聞いたことのある言葉を口にした。相変わらず穏やかに微笑んだままだった。 隠しているということは、小さい胸は彼女のコンプレックスなのだ。そうでなければシェーンや他の女と同じように胸の大きさがよく分かる服を身に付けるはずだ。 そのコンプレックスを隠し、自信のある美しい自分の顔をより際立たせるためにあの二人と行動を共にしているのだ。もしや御嬢様学校に入学しなかったのは、周りのそこそこ可愛く、豊満な身体を持つ他の女達の中で自分の魅力が霞んでしまわないようにするためか。 だったら、この女は生意気なだけでなく、性悪でもあるのだ。 「そもそも貴様は性格だってねじ曲がっているではないか。あんな醜女二人とつるんで自分の美しさを」 「やめなさい。」 レイチェルの纏う雰囲気が、一気に変わった。俺は思わず、話を続けようとしていた口を閉ざした。 彼女の瞳には、怒りが溢れていた。怒りに満ちた朱い瞳は、まるで炎が燃え盛っているかのようだった。そのくせ上がったままの口角が、本当に不気味だった。 「貴方、さっき彼女達の前でも同じ言葉を口にしようとしましたよね。彼女達は繊細なので、貴方のような粗野で無礼な人間のどうでもいい言葉一つでも傷付いてしまうのです。貴方の歪んだ価値観で二人の魅力が分かるとは思いません。ですので、どう思おうが、とやかく言うつもりはありません。が」 彼女の瞳の紅い色が、更に強くなった。と、同時に口角が下げられた。いつも微笑んでいる彼女の、初めて見る怒りの表情だった。 「もしそのどうでもいい心ない言葉で二人を傷付けるつもりなら、話は別です。私は貴方を許さない。」 彼女は声を荒らげている訳ではなかった。だが、その迫力には、目を見張るものがある。下手に何か言い返せば取り返しがつかないことになりそうで、何より単純に恐ろしかった。そのまま俺は、彼女から数歩距離を取った。 「もう二人に近付かないでください。」 「はっ、笑わせるな。始めからあの二人に興味はない。貴様と話そうと思ったら、あの二人がついていただけのことだ。」 「私にも近付かないでいただけると大変有難いのですが。」 彼女は、いつもの表情に戻っていた。穏やかに微笑む彼女に、心の中でホッと息を吐いた。ようやく、本来の目的である話をすることが出来そうだった。 「それは、貴様次第だ。貴様がアレクに色目を使うのをやめて、シェーンとアレクの仲を認めるというのなら、俺が貴様と将来結婚してやってもいい。」 俺がレイチェルを娶る。俺が一方的に申し出ただけというのではグリスツェンの家と揉めてしまう故、レイチェルが喜んで受け入れるという形が必要だ。だから今、こうしてアレクに知られないように話をしているのだ。 実際に結婚するのは彼女が卒業してからだろうか。それまでは単純に交際すれば良いが、やはり確約が欲しい。早めに婚約して、彼女は俺のものだと周りに触れ回りたい。抱くのは結婚するまでは駄目だろうか。だが、どうせアレクに触れられたことがあるのなら、今更なのか。 「きちんと言葉のキャッチボールをしていただきたいものですね。私は貴方様に近付いて欲しくないのです。にも関わらず結婚だなんて、もっての他だとは思いませんか?それに、貴方様は私のことが気に食わないのでは?」 レイチェルはいつもの穏やかな微笑みのまま、そう言ってきた。その微笑みの中にうっすらと困ったような様子が見て取れて、少し癪に障った。 もう少し喜んでくれても良い。確かに俺は彼女が恋するアレクではない。だが、そのアレクに次ぐ家柄の長男なのだ。彼女の将来にとっても、悪い話ではないはずだ。 「確かにそうだ。貴様は女のくせに勉学に秀でて、男共を蹴落として優秀な成績を修めている。その癖、美しくはあるその顔と小賢しい頭で、シェーンが気に入っているアレクに取り入ろうとしている生意気な女だ。だが、確かに見目は麗しく、周りからの評判も良い。そんな貴様を俺のものするというのは、なかなかに気分が良い。それに」 俺はさっき距離を取った分、彼女に近付いた。そして、その頬をそっとひと撫でしてから顎を掴んで目線が合うように持ち上げた。彼女は相変わらず、穏やかに微笑んだままだった。 「貴様を娶り、毎晩その身体を好きなようにして、生意気なその口から嬌声を上げさせられると思うと、愉快で愉快で堪らない。」 想像して、思わず口元が緩んだ。それだけでも、彼女を娶るだけの価値はある。彼女だって、毎晩女としての喜びを与えられるのだ。悪い話ではない。 彼女は、フッとわかりやすくわらい声を上げた。 「面白いことを仰いますね。先程は私の身体を貧相だと口にしていたのに。そんな貧相な身体を貴方様は毎晩抱くおつもりなのですか。」 そう言われ、俺は改めて彼女の身体を眺めた。やはり何度見ても、小さそうな胸は変わらない。 「…そうだな。それだけが残念だ。いつも飄々と笑っている貴様の快楽に溺れ乱れた姿は毎晩でも見ていられるだろうが、スタイルがな。もう少し胸があれば完璧何だが。」 そう言いながら、彼女の胸に手を伸ばす。全て俺のものにするのだから、少しぐらい触れても良いだろうと思ったのだ。どうせアレクにはもう触れられているのだしという思いもあった。 鎖骨の辺りから彼女の身体の線をなぞっていく。膨らみの始まりは予想よりもずっと早くやって来た。服の上からは想像出来ない大きさに、思わず声が出た。堪えきれず、いずれは俺のものになる胸を両手で鷲掴んだ。掌に、収まらない程の大きさだった。そのまま感触を確かめるように手を動かした。柔らかい。それだけではなくて、確かな弾力もある。服越しなのが物凄くもどかしい。自分の息が荒くなっていくのが分かった。この胸もいずれは毎晩俺の好きなように出来るのだと思うと、思わず笑みが溢れた。 「貴様、シェーン程ではないが、結構あるではないか。なぜ、普段から分かるように」 興奮が冷めやらぬまま、そう口にしていた。こんなに良いものを持っているのに、隠しておくのは勿体無い。だが、他の男の目に簡単に晒すのは癪だから、やはりこのままで良いのかもしれない。 そんな思いを持ちながら話した言葉はしかし、皆まで言うことは出来なかった。 目を向けた先の彼女の顔は、ほんのりと赤く染まっていた。夕焼けの色をした目には涙が溜まって、うるうるしている。唇も若干小刻みに震えているように見えた。顔に一瞬で熱が集まるのが分かった。おもわずまだ少し触れていた彼女の胸から、さっと手を引いた。彼女は俺から身を守るように、自分の身体をぎゅと抱き締めた。左手の袖は、先程と同じように握られたままだ。 「…いくら人目がないからといって、こんな屋外で、交際も結婚もしていない間柄の女性の胸を鷲掴むなんて…紳士としてあるまじき行動です。」 彼女は俺をキッと睨んできた。だが、さっきのような迫力はなかった。そもそも彼女は小柄で背も高くなく、俺とは顔一つ分以上は明らかに身長差があるのだ。正直、ほんのりと赤い顔、涙目の上目遣いの状態で睨まれても、単に可愛いだけだった。 ただ、俺は完全に動揺していた。いつも飄々と微笑んでいる彼女の、初めて見る表情だったのだ。 「わ、悪かった。し、しかし、レイチェルも抵抗しなかったではないか。」 抵抗されていれば、胸を触ったりなどしなかった。そして、俺に意見してくるレイチェルであれば、やろうと思えば簡単に出来ることのはずだ。だから俺は嫌がっているとは思わなかったのだ。 彼女は自分を抱き締める腕の力を更に強くしたようだった。それでも、左手の袖は指で握ったままだ。そのまま相変わらず、さっきのままの可愛い顔で、俺を睨み付けてくる。 「気安く名前で呼ばないでください。…抵抗なんて、下手にしてもっと乱暴なことをされたらと思うと」 彼女の自分を抱き締める腕が、小刻みに震えていた。俺から乱暴なことをされるのを、心から恐れている様子だった。 「そ、そんなことはしない。」 俺は慌てて両手を振って否定した。だが、レイチェルはそれさえも恐れるように身を縮める。潤んだ朱い瞳には、確かな恐怖が宿っていた。 「しかし、貴方様は私がお嫌いでしょう。顔を会わせればいつも暴言ばかり。にも関わらず、私を娶って、毎晩良いようにしたいなんて。さっきだって何の断りもなく胸を無遠慮に触って…。目の敵にしている私に、乱暴をして、憂さを晴らそうとしているとしか思えません。」 「ち、違う。」 「何が違うのですか。貴方様の言動からは、そうとしか考えられませんが。」 彼女は相変わらず自分の身体を抱き締めながら震えていた。ほんのりと赤い顔も、涙の溜まった瞳で睨んでくる可愛い様子も変わらない。 「た、確かに気には食わない。シェーンの恋路を邪魔する生意気な女であることは確かだ。だが、別に乱暴をするだとか、憂さを晴らすだとかと、そんな気はない。」 俺は完全に焦っていた。彼女が言うようなことは少しも考えていなかった。だが、言われてみれば確かにそう捉えることも十分に出来る。 「では、どういうおつもりなのですか。貴方様はカルサベカトルの家の後継ぎ。皇族の方とも関係の深い家の貴方様なら、相手なんて選り取り見取りでしょう。私に変な因縁をつけて求婚せずとも、御自分の好みの御令嬢と交際も結婚もなされば良いではないですか。その方が貴方様御自身も楽しめると思います。貴方様からの申し出なら、よっぽどのことがなければ断られることもないでしょうし。」 「わ、わかった。」 俺は少し息を吸った。取りあえず、早くレイチェルの誤解を解きたかった。 シェーンのためというのは勿論大前提だ。しかし、俺は彼女を不幸にするつもりなどない。乱暴なんてもっての他だ。確かに、毎晩彼女の身体を好きなようにはするつもりだ。だが、別に乱暴に抱くつもりなどなかったし、彼女を正式に娶って、きちんと幸せにもする予定だった。結婚もせず、ずっと囲われるより、その方がずっと良いではないか。 「では、レイチェル。俺と正式に交際しよう。」 俺は、きちんと誠意を示したかった。本当はすぐにでも結婚して俺のものにしたい。だが、彼女が嫌がるのなら、まずは交際からでも良い。交際もせず、関係すらはっきりさせずに適当に構って抱くだけより、こちらの方がずっと誠実だ。 「嫌です。」 相変わらず涙目で睨んでくる彼女の言葉は、強く素早かった。それははっきりとした拒絶だった。心がずしんと重くなった。 「な、俺からの申し出は断られないのではないのか!?」 正直驚いた。こんなにはっきりと断られるとは思わなかった。俺は明らかに彼女より格上の家柄である男なのだから。いつもなら怒りに震えるところだが、そうはならない。なぜか、心臓がズキズキと痛い。 「それは、よっぽどのことがなければの話です。外で胸を鷲掴むような無礼を働かれた場合は別です。それに、先程私は『好みの御令嬢と』と申し上げたはずです。なぜ、目の敵にしている私に交際を申し込むのでしょうか。意味が分かりません。」 彼女は涙目のまま、訝しげな目を向けてくる。言われてみれば確かにそうだ。だが、俺の中で、レイチェルを俺のものにしたいというのは、もう覆せない願いだった。 それは、シェーンのためだ。レイチェルを俺のものにすれば、シェーンは安心してアレクと結ばれることになる。不安要素は俺が娶るのだから。 だが、本当にそれだけなのだろうか。とんでもない違和感が、胸に燻っている。 「それとも貴方様は、女のくせに男性よりも勉学で優秀な成績を修めているうえに、御自身の妹君の恋路を邪魔している生意気な女が実はお好きなのですか。だから私に交際を申し込んだ、と。」 言われた瞬間、全てが繋がってしまった。顔に熱が集まってくるのが分かった。 違和感の正体は、単純なものだった。だから俺は『私のことがお嫌いでしょう』と彼女に言われる度に、もやもやとした違和感を抱えていたのだ。 「…そ、それは。…俺とレイチェルが交際すれば、シェーンは問題なくアレクと結ばれると思ったからだ。アレクに憧れる女は多いが、あいつが興味を持ってるのはシェーンとレイチェルくらいであるし。」 だから俺は、我慢ならなかったのだ。彼女がアレクに恋をしているのも、アレクが気安く彼女に触れるのも、アレクが彼女をぞんざいに扱うかもしれないのも。俺は、アレクが妬ましくて堪らないのだ。 「先程も申し上げましたが、それはアレクサンダー様御自身がお決めになることです。私達がここで話をしても、ましてや貴方様と私が嫌嫌交際したところでどうにもなりません。」 「…嫌嫌なのか。」 心臓がまた、ずしりと重たくなった。彼女にとって、俺と交際するのは嫌なことなのだ。そうはっきり言われるだけで、俺の心は簡単に落ち込んでいく。 「そうです。私は貴方様のような人は好きになれません。女性を馬鹿にし過ぎです。私の友人に無礼な言葉を吐こうとし、許可もなく私の胸を触る。女性は貴方様の玩具ではないのです。心のある人間です。そんなことも分からない粗野で無礼な人間と交際など、望むと思いますか?」 彼女の話は、今までに聞いたことのない内容のものだった。 彼女が俺を嫌うのは、俺の行動が原因なのか。俺は女性を馬鹿にしているのか。そんなつもりはなかった。だが言われてみれば、思い当たる節は多々あった。俺は、女は男に従うのが当然だと考えていた。だから、レイチェルのように俺に意見してくる女には、苛々していたのだ。 だが、レイチェルはいつも俺の話をきちんと聞いていた。生意気だとか、可愛気がないとか、散々酷いことを言ってきたのに、いつも穏やかに微笑んで俺の話を聞いていた。彼女は、俺に誠実だった。 それはもしかしたら、俺への恐怖心からくるものだったのかもしれない。それでも、彼女が俺にきちんと向き合っていたのは、紛れもない事実だった。 「すまない、レイチェル。そんなつもりは」 「ですが。」 俺の言葉を遮り、レイチェルは言った。相変わらず涙を浮かべた瞳なのは変わらない。が、その口角が久しぶりに上がった。 「貴方様は皇族ではございませんが、それに近しいところにある家の長男です。力のある家の貴方様が強く望めば、それより力のない家の令嬢は、交際も結婚も本意不本意に関わらず承諾せざるを得ないでしょう。…貴方様の中身が粗野で無礼で、女性を玩具としてしか見ていない人間であっても、それは変わりません。貴方様は選ぶことが出来る御立場にあるのです。目の敵にしている私と嫌嫌交際も結婚もする必要などないのですよ。大人しく御自分が好きだと思う気の毒な御令嬢を口説いてください。」 「違うっ。」 彼女はまだ誤解したままだ。俺はシェーンのために嫌々彼女を俺のものにしたかった訳ではない。俺はレイチェルだから、どうしても俺のものにしたいのだ。彼女を幸せにする気もないだろうアレクに、取られたくはない。 「レイチェル、聞いてくれ。俺は」 「…ですが、もしお嫌いな私と交際、結婚し、私の身を好きなようにしたいと意地悪くも貴方様が仰るのでしたら、私には拒否権はございません。…今はアレクサンダー様の目があるので、貴方様は正式に家を通して私に申し出をすることは出来ないでしょう。しかし、仮にアレクサンダー様が私ではないどなたかと正式に交際、婚約、結婚のいずれかをなされたら、話は変わってきます。…その時は、私は大人しく貴方様のものになるしかない。幾ら私が貴方様を好きでなくても、毎晩玩具のように扱われることが分かっていても、それはどうしようもないことです。」 レイチェルの肩が小刻みに震える。涙の溜まった朱い瞳から、それが今にも溢れ落ちそうだった。 「もし、そうなった場合は、大人しく貴方様の仰る通りに致しますので、どうか乱暴には」 彼女は勘違いをしている。俺が嫌がらせで嫌いな彼女を娶って、憂さ晴らしで乱暴をしようとしていると思っているのだ。そう考えて、俺を恐れているのだ。 「違うのだ、レイチェル。俺はレイチェルのことが」 「いやっ、触らないでっ。」 肩を掴もうとした手は、おもいっきり振り払われた。彼女の瞳に浮かんでいたのは、はっきりとした恐怖だった。溢れていた涙が、ぽろぽろと溢れ落ちていく。それは透明なパールのように綺麗で、それでいて悲しかった。 「レイチェル、違うのだ。俺は君に乱暴なことをするつもりはない。君と交際し結婚したいと思ったのは、嫌がらせとか憂さ晴らしではなくて…さっき気付いたところだが、俺はただレイチェルのことが」 俺はどうしても分かって欲しかった。レイチェルを俺のものにしたいのは、嫌がらせや憂さ晴らしでは勿論なく、実はシェーンのためでもない。本当はもっとずっと単純な理由だった。 俺はただ、レイチェルのことが好きなだけだったのだ。 「…おい、こら。何してんだ。」 俺がそれを伝え切る前に、ぬらりと男が現れた。低くドスが効いた声でそう言った男を、俺は知っていた。 クリストファー・ロジルバ。レイチェルの同級生で、金持ちの子息ばかりが通うこの学校では珍しく、一般家庭の出の男だった。特待の制度を勝ち取り、国一番といわれるレベルのこの学校へ入学、殆ど無償で通い続けられる程に優秀なやり手で、それ故に有名な男だった。 「…たすけて。」 レイチェルは弱々しくそう呟いて、その男の背後へと隠れた。そのまま震える姿は、完全に俺のことを恐れきっていた。 その様子を確認したロジルバは、彼女を背後に庇ったまま、俺を睨み付けてきた。目付きが悪いこの男のそれは、さながら悪人のようだ。だが、今回の状況では、それはあてはまらない。悪いのは、完全に俺の方だった。 「…お前、彼女に何したんだ。」 「ち、違うのだ。俺はただ話を。」 「あ?話をするだけでこんなんなんのか?」 「そ、それは、少しすれ違いが」 「戯れ言は良い。早くここを去れ。彼女の前から消えろ。」 ロジルバは、完全に怒り狂っていた。俺のことを、女性に乱暴を働こうとした不届き者に向ける軽蔑の目で見てくる。ただの同級生であるはずの女性のピンチを偶然見かければ、一人でも躊躇なく立ち向かえる程には、正義感の強い男のようだった。それとも、この男もレイチェルの魅力にあてられているのだろうか。 「…レ、レイチェル。話はまた」 このままでは埒が明かない。ロジルバには何を言っても信じて貰えそうにないし、残念ながら俺が悪いことは間違いなかった。レイチェルも完全に俺を恐れて震えているだけであったから、今は大人しく立ち去り、時間を置いた方が懸命だろう。俺は彼女に一声かけ、ここを去ることにした。 「早く行けよっ。」 その一言さえ、満足に言わせては貰えなかった。俺は名残惜しくはあったが、大人しくその場を立ち去った。  
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