幕開け

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幕開け

『恋』というのは、大抵の場合美化されると聞く。 当時は世界で、否、宇宙で一番綺麗で魅力的だと感じていた相手。しかし、月日を経て会うと、記憶よりも綺麗ではない。年を取ったためか性格もひねくれ始めている。なぜあんなに焦がれていたのか。そんな風に頭を悩ませることになるものだと、気紛れで読んだこそばゆい恋愛小説には書いてあった。 それが初恋となると、初めての経験に逆上せきった頭が相手の痘痕を見事に笑窪に魅せているため、その程度が余計に酷くなる。したがって、そんな相手と久々に会おう、などという自らの美しい思い出に汚れた染みを作るような行動は、しない方が賢明なのかもしれない。 しかし。俺の場合に限ってなのか、前述の『恋』に関する何やらは、全く持ってあてはまらなかった。 「よう、久しぶりだな。」 ようやく現れた標的の女を確認し、その目の前に現れてやる。女は俺を見て目を丸くしていた。記憶の中よりもめかし込んでいる装飾や化粧の中で、驚いた時の橙色の瞳は、相変わらずそのままだった。 女はしかし、その顔をすぐに嬉しそうに綻ばせた。心臓が一瞬、ふわりと掴まれたような気がした。 「お久しぶりですね。」 チッと、思わず舌打ちをした。そして、吐き捨てるように言葉を呟いていた。 「お前は本当、相変わらず…。」 装飾品や化粧のせいか見た目は記憶よりも華美になっている。服のデザインのせいだろうか、スタイルもあの頃より更に良くなっているような気がする。だが、そんなものはただの付属物だ。 「可愛いな。」 躊躇するはずだった言葉が、簡単に口から出た。思わず右手で口を押さえる俺を、女は目を見開いて見ていた。が、その顔はすぐにやたらと楽しげな微笑みに変わった。 「ありがとうございます、嬉しいです。…適切かどうかは分かりませんが。」 微笑む口元を押さえる女の左手の薬指には、一目で上等だとわかる指輪が、確かな存在感と光を放っていた。 俺は女に分からないよう、口の中で小さく舌打ちをしていた。 女の名前は、レイ。愛称だけど。他の奴には大抵レイチェルと呼ばれている。 俺の初恋の相手。もっと言えば、俺が唯一惚れた女。そして、どうやら俺が今でも恋い焦がれているらしい女だ。
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