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午後十時半。ジロの言う通り、住宅地の合間の私道で待機していた。街灯もなく、突き当りは建設予定地と書いた看板が立った空き地だ。隅っこに置き去りにされたブルーシートは、ジロが用意したものだ。すぐに死体が発見されないように、被せる手はずになっている。そのために数日前から置きっぱなしにして、付近住民の関心を薄れさせておいたのだ。
『今、ターゲットが駅の改札を出た。あと八分で着く』
携帯にジロからのメッセージが届く。ターゲットの服装がわかるように、隠し撮りした写真も添付されている。本社で会議がある日はいつも帰りが遅くなる、というジロの下調べ通りだ。
俺は念のために用意しておいたキャンピングナイフの存在を、手で触れて確認した。ケースに入れてベルトに下げている。ジャンパーの前を止め、フードを被った。軍手をはめる。軍手もスニーカーも量販店で手に入れたものだ。
十時半という時刻は、殺しには早すぎると思ったが、このあたりの住民は高齢者が多く、すでに辺りはひと気もなくなって静まりかえっていた。
スーツ姿のターゲットが、路地の前を通りかかる。
「すみません、伊東正雄さんですか?」
暗がりから声をかけた。
正雄は俺のほうを見た。白髪交じりの中年男だ。少し腹が出ていて、運動を習慣にしている人間の体つきではない。
「……ああ、そうか。今日ですか」
震える声で答えた。黒い鞄がぼとり、とアスファルトに落ちた。
やっぱり自殺だったな、と俺は思った。これは楽勝だ。ターゲットは助けも呼ばななければ、抵抗もしないだろう。ここで静かに俺に殺される。
「痛くないように落としますよ」
「……ああ、優しい人でよかった。まったく……バカなことをしました。でも家族にだけは迷惑をかけたくなかったんです……」
正雄は、まるで神に祈るようになにかをぶつぶつ唱えている。やがて、暗い路地に吸い込まれるようによろよろと歩き出した。俺の前へ立つ。
俺は自分の脚先も見えないような闇の中で、正雄の首に腕をかけた。血流を止めて気絶させ、そのあと窒息死という平和的な方法をとるつもりだ。
正雄の顔が、さっき歩いてきた歩道のほうに向いた。街灯のともった住宅街のほうだ。
すると突然、無抵抗だった中年男の全身に力がみなぎった。
「こ、こいつ、なにをする!」
正雄は大声で叫び、首にかかった俺の右腕にかじりついた。
おい話が違うだろ、と思いながら、俺は左手で正雄の横っ腹に一発入れた。
「ぐふっ」
噛みついていた口が開いた。右腕を離すと、体をくの字に曲げ、地面を転げまわって苦悶した。
「殺されたいんだろ、あんた」
小さな声で確認すると、正雄は涙目になって俺を見上げた。
「私を殺してください。でも、お願いです。抵抗させてください。決死の抵抗を、あの子に見せて死にたいんだっ!」
俺ははじかれたように顔を上げた。
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