三 かいこおきてくわをはむころ

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 呼吸を整えて、指を離した。 「早くサッカーできるようになるといいね」 「おう。お前もさ、お母さんに会う前に幸太さんと仲直りしろよ」 「大丈夫だよ、明日には仲直りするから。橋北は明日から休み?」 「体育祭近いから休みたくねぇって思ったけど、この足じゃ体育祭も出れないしな。大人しくしてるよ。……陽向さ」  泣いたことはバレなかったみたいだ。棚の上からティッシュペーパーを数枚取りだし、そっと洟をかんだ。 「田圃道、絶対に一人で通るなよ。マジで危ないから。 後さ、あれ、あれだよ」  あれあれなんだろう。耳を澄まし次の言葉を待った。 「あー、ほら、陽向はさ、笑ってるほうが可愛いよ」  橋北の声が尻窄みになり最後はよく聞き取れなかった。それでも、なんて言ったのかは分かった。  明らかに声の調子がいつもとは違った。  言い淀み遠慮がちに発せられた言葉の向こうで、顔を赤くした橋北が見えるようだった。  保健室で感じた温もりが、瞬時に蘇る。  抱きしめられた腕は思っていたよりもしっかりしていて、肩も胸も広かった。橋北からは、幸太の香水とも違う、莉菜や麻帆の石鹸のような香りとも違う、初めての匂いがした。  いつもだったら憎まれ口を聞いて簡単に流せるのに、尻窄みの可愛いはいつまでも二人の間の電波を行き来していた。
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