家と犯罪者と私

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家と犯罪者と私

「このように、お勝手口も付いておりますので、例えば生ゴミなどリビングを通らずに外に出せます」  クンクンクン。耳元近くで匂いを嗅いでくる顧客。この戸建て物件に着いた時に、この客はやばいな、と思った。  だって、室内の設備の説明にもまったく興味をしめさず、嘗め回すように私を見てくるんだもの。  私はイラッとなって、でもやんわり笑顔でお客様から離れた。万が一、本当に物件を買う気があるなら、あまり失礼な態度は取れない。  シャッターを開けようとしたら「外の光が入らない状態で中を見たいんだよね」と言われた。  入口の扉は開けてある。飛び出して逃げようと思えば逃げられる。  大丈夫。  入社一年目の私は、まだ何もかもが手探りで、客のあしらい方ひとつ分かっていない。  でも戸建ての販売は、賃貸より安全だと聞いていた。物件をご案内するお客様が、ファミリー層だからだ。  つまり、妻帯者が多い……はず。 「では、次の物件をご案内しますね」  夏場の物件案内は蒸し暑い。汗をかきにくい体質の私でも、じっとりと不快な湿りを感じている。  少し脂ぎったこのお客様にいたっては、べったりとワイシャツが肌にくっつき、ふぅふぅ言っている。 「お暑いですね。暗くなってきましたので、もし急ぎでないようでしたら、またの機会に──」  この際、営業成績なんてどうでもいい。安い固定給で家賃すらままならないけど、歩合なんて要らないっ。  首筋に生臭い息がかかり、私はもはや涙目で後ずさっていた。  お客様(エンドユーザー)の中には、仕事帰りに案内を依頼してくる人たちも居る。そう、夜に物件案内をすることも少なくないのだ。  だんだん日が傾き、はめ殺し(FIX)の窓から西日のオレンジを感じられるようになってきた。  この方を暗くなってからご案内するのは不味い。後で、他の営業さんに付き添ってもらおう。  ところが、心外そうに言われた。 「まだ二階見せてもらってないじゃない」  あぁぁあ、来たよ。二階に行っちゃうと、おいそれと逃げられないじゃない。 「お二階は、だいたい似たような作りになっておりまして」 「勾配天井の部屋と、小屋裏収納がついてるところもあるんだよね?」  販売図面(マイソク)の間取りを見ながら聞いてくる。一人で見てくれば? なんて、言えたらどれだけ楽か。 「バルコニーの広さも見たいしさ、ほら、妻が布団干しやすいかどうか確認してきてくれって言うんだ」  私は戸惑って、脂ぎった男性客を見つめる。  あれ……。やっぱり普通の人なのかな。私の自意識過剰なのだろうか。  私は階段の踊り場の前に立って、お客様を先に上げようとする。 「どうぞ」 「先に階段上ってよ、レディファースト」  なんでだよ、お客様ファーストだよ! 「そういう決まりになっておりまして」 「君が落ちたら支えてあげるから」  落ちねーよ!  しかしこんな小さいことで揉めるのも嫌だ。階段をどちらが先に上るかなんて、どちらでもいいことだ。  要は、このお客が購入を決めてくれるかどうか。 「わかりました」  ああ、まあ予想はしていたけれど。  階段をのぼりながら、チラッと下に目をやる。鼻先を突っ込まんばかりに、私のお尻をガン見している。 「こちらの十一帖のお部屋ですが、将来お子様が成長した時にですね、一人部屋を欲しがることもあると思います。そんな時は、間仕切りすることも可能なんです」  扉から離れないように、案内を開始する。いつでも階段を駆け下りて飛び出す! 「へえ、室内物干しもあるんだぁ」  ゆっくり室内を歩きながら、それでも見るのは私の方ばかり。私は営業スマイルで彼を見守っている。 「小屋裏収納ってどこにあるの」  私はその場を動かずに天井を指さした。 「今は閉じてありますが、こちらの棒を使って梯子を引き出すようになっております」  壁に立てかけてある棒を手に持った。とりあえず入口を開け、梯子を降ろす。嫌な予感とともに。 「もしよろしければ、登って上をご確認ください」 「君が先に行ってよ」  なんでよ! 「こちら、二畳ほどしかございませんので、二人で入ると非常に狭──」 「だからさ、それを確認したいんだって。大人二人が入ったらどれくらいになるか」 「で、でも──」  ねばついた猫なで声が、突然低くなる。男性客は強い口調で言った。 「なに? 俺が何かすると思ってるの?」 「め、めっそうもございません」  私は失礼します、と言って先に梯子を上る。  嫌だな、スカートじゃないけど、下から見られるのは嫌。  中はカーペット敷きになっていて、当たりが柔らかい。  でも──。  顔面から倒れ込んだらやっぱり痛い!  梯子を登りきったところで、思い切り突き飛ばされた私。  うつ伏せに倒れた私の上にのしかかってくる男性客。  悲鳴をあげようとしたら、口にハンカチを突っ込まれた。  嗚呼、勘は当たっていた!  パンツスーツのズボンを素早く降ろされ、この人、なんでこんなに手慣れてるの、デブのくせに! なんて一部頭の隅で冷静に思ってしまった。 「ふんっ──んんんっんん!」 「やっぱり、いい尻してるね、お姉さん」  お尻を掴まれて、パンツまで降ろされる。べろりと舌の感触。怖気が走った。 「プリンとして、つやつやじゃないの。若い子はいいなぁ」  頭と背中を押さえつけられ、体重をかけられたら身動きできない。 「ふぐぐぐぐ」  男性客が自分のベルトを外す、カチャカチャという音。  こ、これは──。  ゆるゆると現実がおそってくる。  私は強姦されてしまうんだ。  ポロポロ涙が止まらない。なんで不動産業界なんて入ってしまったのだろう。たかが宅建取ったくらいで就職なんて。  もっと考えれば良かった。 「んんんっんんんっ」  ブチブチと、夏のスーツとワイシャツの前のボタンを一緒に引きちぎられた。  むぎゅとブラの上から胸を鷲掴みされ、揉みしだかれる。追い打ちをかけるように、尻の割れ目に何か生温かいものが押し付けられた。  やだやだやだやだ!  その時、パシャッとシャッター音がした。  首をねじって振り返る。  たぶん上に乗っていた男性客も振り返っていた。またパシャとシャッター音。  小屋裏収納の入り口から、いかつい半身だけ出した若い男の人が、スマホを指さして笑っていた。 「はい、証拠撮りました」  次の瞬間、一気に私の上から重みが消えた。若い男の人が、男性客の服を引っ張って、そのまま下に引きずり落としたのだ。 「おい、ねえさん、大丈夫か?」  下から声をかけられ、私は衣服を整えながら慌てて小屋裏収納の階段から降りた。 「警察には電話してあるからよ」  さっきまで頭に巻いていたタオルで、男性客の両腕を縛り上げている。  そして暴れる男の上に座って押さえつけてしまった。若い男の体格がいいので──やけにムキムキだ──男性客はついに抵抗を諦めて大人しくなった。 「すごい格好だね、婦警さん来てくれるといいんだけど」  ボタンがはじけ飛び、前は押さえていないと開いてしまう。ぶつけた頬は明日には青くなるのだろうけど、今はまだジンジンしびれているだけだ。 「一応、会社に電話しておきな」  見ないように顔を背けながら、若い男はそう言った。 「ありがとうございました……助かりました!」  足がまだ震えている。この人が来てくれなかったら、本当にまずかったんだ! 「でも、どうして気づいたの?」  男は窓の外を指さす。区画整理中の多棟現場であるため、まだ建築中の現場がたくさんある。すぐ目の前の、足場が取れたばかりの一棟を指さした。 「そこ、外構始まったんだ。駐車場の土間コンやってたら、ちょうど下からあんたたちが屋根裏に上るところが見えた」 「え?」 「あんた、ケツに顔埋められてなかった?」  このデブオヤジ! 私は抑え込まれて呻いている男性客を睨みつけた。 「実は、すごい可愛い子が案内に入ったから、気になっててさ。二人で狭い小屋裏に上がるとか異常だし。なかなか降りてこないし、逢引きって雰囲気でもないし」  彼は鼻の頭を掻いた。 「まあ、枕営業中だったら悪いな、と思ったんだけど、念のため一一〇番を」  やってたまるか! ううっ、でもこの業界、追い詰められたあげく、そうやって契約取りそうな人も居そうだわ。闇の世界だ。  私はグスッと鼻をすすった。顔は涙でぐちゃぐちゃだった。  到着した警察はすべて察知したようだった。 「この市じゃないんですけど、物件案内中のセクハラ事件が多発していたようです。名前も住所も名刺も全部嘘で、なかなか捕まらなかったんですが、同一人物じゃないかな」  警官の一人が申し訳なさそうにそう言った。 「営業さんはノルマがあるからでしょうか、なかなか被害届を出さなくて。軽いセクハラを見逃しているうちに、痴漢に発展して、ついには強姦にまでエスカレートしてしまったんでしょうね」  それからタオルをガテン系の男性に返す。 「 ありがとうございます、表彰ものです」  その若い男に住所と名前を聞く警官。婦警が私に上着を被せてくれた。 「ちょっと暑いけど……。大変ですね、不動産営業」  労いの言葉に涙が出た。
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