眼鏡とお迎えと私

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眼鏡とお迎えと私

 警察署を出ようとした時、会社の先輩が駆けつけてくれた。驚いたのは、それが意外な人だったからだ。 「申し訳ない」  開口一番そう言われ、私は目を見張った。  この眼鏡の似合う男性は、私が密かに憧れている先輩営業マンだ。  喜怒哀楽があまり無くて、穏やかそうに見えるけど、笑顔を浮かべても目の奥までは笑ってないというか……。  ドSかサイコパスに見える。  仕事は必要最低限しか教えてくれないし、すぐに「辞めたらどうですか?」と穏やかに勧めてくる、世間一般で見るとおそらく嫌な奴だ。  それでも憧れてしまうのは、どれほど暑い日もパリッとスーツを着こなし、あっさり契約を取ってくるから。  そんな彼が、いつものポーカーフェイスを崩して謝ってくるので、マジマジと見つめてしまった。 「先程まで本契約で、なかなか抜けられなかったんですよ」  なんだ、嫌味かよ。また契約取れたみたいで良かったですね。  なんだか、惨めになる。ひよっこ新人の私が、邪魔してはいけない人だ。 「だ、大丈夫です、一人で帰社するつもりだったので……」 「今日はもう帰りましょう。僕、電車で来たので、社用車は僕が返しておきます。このままあなたを家に送っていきますよ」  人に無関心な先輩だと思っていたけれど、こんなに心配してくれるなんて。私は感動してしまった。  社用車に戻ると、奥山さんは眼鏡を押し上げて言った。 「休み取りますか? 有休溜まってますよね? 僕が雑用はすませておくので」 「……え?」 「なんですか、その目は? 溝口課長に色々頼まれているのでしょう?」  私はパアッと顔を輝かせた。  入社して一週間もしないうちに知った。この業界は超ブラックだ。会社の方針が、というより、常に見込み客を作っておかないと、成約につながらない。  低い基本給と歩合で成り立っているので、契約を取らないと生活がままならないの。だから、みんな休日も仕事をするし、サビ残も自分からする。  さらに新人は、上司や先輩たちのパシリもやるから、休む隙がない。 「えと、じゃあ、じゃあ来週火曜日休みます」 「明日じゃなくて来週ですか?」  おそらく精神的に参っていると思って、気を遣ってくれたのだろう。でもせっかく休めるなら予定を入れたい! 「分かりました。 ……部長に言っておきますね。火曜日は、特に急ぎの業務は無かったですか?」 「あ、課長から役調頼まれてて」  役所調査は面倒臭い。都市計画課、宅地開発課、道路課などで、その物件について細かく尋ねなければならない。役所の職員は常に忙しいので、新人が行くと、あからさまに嫌な顔をするのだ。 「僕が行っておきますよ」  やった! 「物件調査のチェックリストまで作っておいてください!」  舌打ちされた。あ、あれ? 調子乗りすぎたかな。  奥山さんが煙草を取り出し、 「いいですか?」  と、私に断る。私は吸わないから、窓を開けた。 「どうぞ」 「で?」  で? と聞かれて私は運転席を見た。 「え?」 「大丈夫だったんですか? 操。病院でアフターピルとか……その性病的な……」  操って、処女じゃないし。そして何かされる前に助けてもらった。 「大丈夫です、未遂でしたから」  すごく深いため息が響いた。ハンドルに顔を伏せる奥山さん。 「良かったです」  そうか、だから休めって言ったんだ。胸が温かくなった。奥山さんて、営業活動以外は他人との関りを避ける人だと思っていた。オンとオフの差が激しいのだと。  初めに紹介されたとき、トップセールスマンだと聞いて、どこが? と思ったのを覚えている。  言葉遣いこそ年下の私にも丁寧だけれど、慇懃無礼な印象。他人に興味が無いのが見て取れる。絶対営業向いてないだろこの人、って思っていた。  でも、彼の営業のサポートで付いて行った時、衝撃を受けたものだ。 「奥山の営業しっかり見てこい」  部長に言われて納得。ガラッと人格が変わる。  買わせようとしてガツガツした感じじゃないの。控えめに、かつ物腰柔らかく、知識を総動員してお客様ファーストを実践していた。  衝撃だった。真摯な対応はとても演技には見えず、筋金入りのトップ営業マンだと思った。  でもお客様が居なくなると、途端いつもの、素っ気ない人に戻ってしまう。  私は同期の男の子との会話を思い出す。  そう言えば──。   「えー? 奥山さん、俺にはちゃんと教えてくれるぜ?」  私が愚痴ると、同期の坂上くんは意外そうにそう言ったっけ。 「丁寧で分かりやすいし、課長みたいにマウント取らないし」  ええ? 私には冷たいけどな。嫌われてるのかな? 「でも課長から聞いた話だと、キックバック荒稼ぎとか、ヤクザと繋がってるとか、悪徳営業マンすぎて免職になったとか、色々噂があるらしいぜ。怒るとめちゃ怖いとか」  キックバックとはリベート、紹介料のことだ。一般的に不動産会社は、物件売買に付随して、いろいろな業種と関わる。  造成業者、解体業者、リフォーム業者、工務店やハウスメーカー、それに司法書士。  彼らから、紹介料を貰うのがキックバック。※  大手では基本禁止されていて、会社の指定した業者さんを使うことになっているけど、お客様の方から指定されたことにするとか、個人で領収書を切れない場合は商品券をもらうとか、個人バックの抜け道は色々ありそう。 「バックマージン相当貰ってんだろ?」  と、前に溝口課長に弄られていたけど、奥山さんは、 「そんなはした金興味ありませんよ」  とサラッと流していた。  はした金……。建築を工務店さんに依頼した場合、請負価格の三パーセントが相場って聞いた。  二千万円の建物なら、六十万円っすよ? そりゃ、課長も鼻白むわ。  そんな謎いっぱいの奥山さんの、今の表情。いつもと違う気がする。なんか、生身の人間を前にしているみたい。  だって、珍しいのよ、愚痴を言いだしたんだもの! 「僕は、もともと反対だったんだ。若い女性を広告塔に使うのは」  ああ、ネットの広告掲載のことか 。 「KAEYO!」とか「@ハウス」などの不動産ポータルサイトは、担当者の顔写真を載せられるのだ。  一部、新卒よりもベテランを載せるべきだ、と意見があったみたいだけど、部長は首を縦に振らなかった。 「仲介の営業は一年目の仕事。しかも、せっかくこんな美人が入ったんだよ? ガンガン、ビジュアル使って行こうよ」  名刺も顔写真付き。営業所のホームぺージのスタッフ写真もど真ん中で、けっこうはっきり顔が映るようにされている。 「ネットに顔晒したから、あの変質者が来たわけですよ」  吸殻を携帯用灰皿に入れると、奥山さんは忌々しげにそう言い、ギアをドライブにして車を発進させた。 「ありがとうございました」  アパートの前でお礼を言うと、奥山さんはボロメゾンに目をやり、口を歪めた。 「セキュリティのセの字も無さそう。なんですかこれ、事故物件ですか?」 「失礼な。住めば都ですよ」 「ちなみに、おいくら?」 「共益費込み、八万円です」  鼻で笑われた。  家賃補助二万円が安いんだってば! あと、トップセールスマンの部屋と比べないでください。奥山さんにベロを出す。  先輩は一瞬目を見張って私を見た後、口の端を吊り上げた。うわぁぁ、笑顔似合わなっ。営業スマイルとは明らかに違う。 「さっさと部屋に入ってください、ドアを閉めるまで見てるから」  うおっ、奥山さんが優しいっ。たまにはレイプ未遂に逢ってみるものだ。いや、嘘です二度とごめんです。  ただ、その日から奥山さんに対する見方は、だだの尊敬すべきサイコパス凄腕営業マンから、情のあるサイコパスに認識が変わった。 ※士業はバレたら懲戒処分の危機に陥るそうです( ᐛ )σ
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