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同期と除草と私
「あれ?」
物件の撮影に来ていた三棟現場で、私を助けてくれた赤沼さんっていう若い男の子にまた会った。
私と同い年くらいだろうか。もっと上? 黒すぎて分からんぞ。
「その説はありがとうございました」
私が丁寧に頭を下げると、
「わざわざ菓子折り送らなくたって良かったのによ。でもサンキュー、美味かった。逢引屋のシャインマスカット」
と、日焼けした薄い唇から真っ白な歯を見せた。
私は彼が働いていた現場を見る。
「ここ、まだ外構まで出来上がってないんですね」
「わりぃ、雨が多かったから遅れてるんだ」
私は広角カメラをカバンに納めて、ペコリと頭を下げた。
「外観できたころに、また来ます」
「あ──っ」
赤沼さんは私を呼び止めた。
「その、もしあれだったら、できた頃連絡するけれど」
顔を背けて鼻の頭を掻く。お礼を送ったので、住所はお互い知っているのだけれど。
「いや、別に深い意味はなくて、しょっちゅう物件周ってるんでしょ? だったら、俺が携わってる現場が完成したらさ、すぐ教えるよ」
お客様は常に新しい情報を望んでいる。
内観は売主である建売業者に直接電話して撮影に入るが、外観の進みは常に足を運んでチェックするようにしている。ついでに付近のアパートやマンションにポスティングして──。
「え、いいんですか?」
公道に面しているなら通りすがりに確認できるけれど、旗竿地や、私道から奥にある物件は車を止めて見に行くのがめんどくさい。
少しでも時間が節約できるのは嬉しかった。
「わーい、お願いします。あと、あっちの上棟までできあがっているところ」
私はここぞとばかりに頼んだ。
「破風と雨樋付いてるから、もうすぐ足場外れると思うんです!」
これは奥山さんの受け売り。いち早く外観写真を撮るためには、そこを見ておくように言われた。
現場監督に名刺を渡して「完成したら教えてください!」ってお願いしておいたけど、忙しいみたいでいちいち連絡してくれない。
「そこも、連絡お願いしていいですか?」
立ってるものは親でも使う。協力を申し出る者は恩人でも使う。
「ちゃっかりしてんな」
赤沼さんは茶髪をかき上げて笑う。白い歯が眩しい。現場男子は爽やかだ。
私たちはスマホを取り出して、メッセージ交換ができるようにお互い登録した。
「あ、やべ、先輩が睨んでる。じゃあね」
筋肉ではち切れそうな肩をすくめ、現場に戻っていく赤沼さん。うーん、職人の体はすごいな。
※ ※ ※ ※ ※
「緒方、今月の成果と来月の見込み、全員分出して掲示板に貼っとけ」
部長のがなる声。販売・仲介部門はノルマが全て。朝礼で二時間詰められる──要は説教だ──のはザラなのだ。
この営業所に配属された五名の新卒は、私ともう一人以外さっさと辞めてしまった。入社ひと月で辞めた強者も居る。
どうやら毎年、辞めるのを見越して多めに採用するらしい。ふふ……厳しい世界だ。
「○○町三丁目の八十坪の売地、除草遅れてるって」
うちが売主の土地だ。なんか、すごい嫌な予感がする。部長は無情にもサラッと指示した。
「新人二人で行ってきて」
「へ?」
同期の坂上君が思わず聞き返す。
「草むしって来いって言ってるんだよ、シルバー人材が今手一杯らしいんだ」
私たちは顔を見合わせてため息を吐いた。
「暑い暑い暑い」
坂上君は芝刈り機を振り回しながら文句をたれている。作業着は虫対策のため厚手の長袖だ。
「営業なのにこんなことまでやらせるの!?」
坂上君はずっと愚痴っている。
まあ、いつもこのきつい仕事を高齢者に頼んでるんだもんね。本当に頭が下がるわ。
スポーツ飲料を飲みながら、八十坪の更地を見渡す。二人雇えば一万五千円から二万円くらいかな。
草むしりだけじゃない。営業は、隣地から越境した枝を切ったり、暴風で飛びそうなフェンスや、古家の扉を直したりすることもあるそうだ。
私は意識もうろうとしながら、我が物顔で鎮座している雑草を鎌で淘汰していく。
「緒方ってまだ辞めないの? 怖い目に遭ったんだし、普通嫌になるだろ?」
坂上くんに不思議そうに聞かれた。目に入る汗をタオルで拭きながら、私は首を傾げた。どうかな、確かにきついけど。
「辞めるにしても、もう少しこの業界を分かってから、というか、何かを覚えてから辞めたいわ」
営業が向いてるのか、いまいち分からない。人と話すのは好きだけどさ。
「せっかく入社したんだし、一年はね……。営業スキル、身につけたいの。先輩たちの営業トーク、分析してモノにしたい」
「スキル身に着けるって言ったって、その前に熱中症で死にそうだよ。あーあ、この後俺、造成完了地に防草シートも貼りに行かなきゃならないんだ」
嘆き悲しむ坂上君に、私は手を振った。
「もうそっちに行っていいよ、ここはあと少しだし。終わったら迎えに来て」
坂上君はパッと顔を輝かせ、芝刈り機を放り投げ、社用車に走っていった。
ピコンとメッセージ音が鳴った。うそ、呼び出しかしら。まだ除草終わってないけど……。
恐る恐る見ると、赤沼さんからだった。
『現場、できたニャン』
絵文字が踊っている文面に、スポーツドリンクを吹いた。悪いけど、あんな反社みたいな見た目でこれは無いな。
くっくっく、と肩を震わせながら返信する。
『ありがとう、今○○市○○町の除草してるんです。それが終わったら行きますね』
『おお、すぐ近くか。待ってる』
別に待ってなくていいんだけど。写真撮るだけだからさ。
こんなドロドロの恰好を見られたくないわ。汗まみれなのはお互い様なのだろうけど、いつもの営業スタイルじゃないからなんだか恥ずかしい。
「さて、がんばるか」
私は芝刈り機を持ち上げた。
思ったより時間がかかってしまった。坂上君が迎えに来たので、私は作業道具を積んでもらう。
「ねえ、一丁目の現場で降ろして。出来上がったみたいだから、外観写真撮ってくる」
坂上君は私の顔を見て心配そうに言った。
「顔赤いぜ、除草ごめんな」
「いや、お互い様だよ、君も真っ赤じゃん」
「だって緒方って、色白だから皮むけるんじゃないの?」
たしかに。
日焼け止めはしっかりぬったけど、黒くなる体質じゃなくて水ぶくれになるのだ。
現地販売会──いわゆるオープンハウスも夏場は暑いけど、まだパラソルやテントがある。今日はキャディーさんみたいな帽子が必要だった、うかつだった。
現場に付くと、今度は坂上君のスマホが鳴った。
「お、反響入った。え? 今から内見かよ!? ちょっと俺、急いでシャワー浴びて着替えなきゃ」
反響とは、チラシやネットなど、広告を見たお客様から問い合わせのことだ。うちの売りは「本日見学できます!」なので、お客様都合で予定が決まる。
ほんと、この業界は慌ただしい。私は苦笑いしながら、少し先に見える線路を指さす。
「私のアパート、駅から割りと近いんだ。電車でいったん家に戻ってシャワー浴びるから、行っちゃっていいよ。どろどろだけど、駅二つ先だしさ」
さすがに男の人を家に入れるわけにはいかないので、シャワー貸すよとは言えなかった。
まあ、彼が借りている部屋も、確かここからそう遠くはないはず。
「わりぃ。じゃあ車は俺が返しとく」
坂上君は私を降ろすと、慌ただしく去っていった。
去っていく車を、複雑な心境で見送る。
ご成約になったらどうしよう。
同期なのに差がついてしまったら「やはり女はダメだ」ってことになっちゃうのかな……。
私は首を振って気持ちを切り替えた。
さて、現場は、と。
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