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スマホを放り投げた彼女が、仰向けになって呻き声を上げる。
その理由がなんなのかわかって、彼女を一目見た時の喜びが一気にしぼんで消え去った。
こんなことになっていたなんて……。
あの日から二週間。迷子になってあちこちをさまよっていた僕はつい先程黒いスーツ姿のおじさんに保護されて、ここへ来た。この地を離れる前に一つだけ願いを叶えてくれるって言うから、一目でいいから彼女に会ってみたいって言ったんだ。
そうしたらおじさんが手を引いて、窓から部屋の中に入れてくれた。
Twitterで繋がった気の合う友達。名前も顔も知らなかったけど、僕達は誰よりも打ち解けていた。
二週間前のあの日だって日本酒を飲みながら楽しく語っていた。ただ途中で急に気分が悪くなって早めに床に就いた翌日、僕はDMを覗きに行けない体になってしまった。
急に返事がなくなって彼女は怒っているだろう。呆れられて、縁を切られて、僕の存在なんて記憶の彼方だろうと思っていた。
けれど彼女は違った。忘れるどころか毎日心配してくれていた。
たまらず駆け出して、彼女のそばに座る。
「僕はここにいます。ここにいるんです!」
「無駄ですよ。彼女にあなたの姿は見えないんですから」
おじさんが淡々と言う。そうだったと思い、おじさんの方へ振り返る。
「どうしたら彼女に僕がここにいるって伝えられるんですか?」
「伝えられるわけがないでしょう。あなたはもう死んでいるんですから」
死。その言葉にないはずの心臓がドキリと胸を打つ。
見下ろした両手は、ガラス細工のように輪郭だけになって透けていた。
あの日、酒を飲んで床に就いた僕はそのまま死んでしまった。急性心筋梗塞だったらしい。酷く胸が痛くて苦しかったのを覚えている。けれどそのうち意識が遠のいて、気がついたらスマホにも触れない透け透けの体になっていた。
僕の体は家族の手によって葬られたけど、魂の方は置いてけぼりになっていた。どうすればいいのかわからず、道行く人に助けを求めても誰にも気づいてもらえなくて、そうして二週間が経ってようやく同じ幽霊であるおじさんに保護された。おじさんは心残りがあって上手く天国へ来られなかった魂を迎えに来るガイドという仕事をしているらしい。僕は天国へ行くために、心残りだった彼女のもとへ連れていってもらうことになって今に至る。
DMの返事が出来なくてごめん。彼女にただそう伝えたかっただけのに……。
「どうしても無理なんですか? 何か方法が……」
「では聞きますが、あなたは生前に死者から何かされたことがありますか?」
「……いいえ」
「ならば答えは自明でしょう。無理なことは無理なのです」
「そんな……。それじゃあ彼女はどうやって僕の死を知るんですか?」
名前も顔も知らない画面上だけの付き合いだった。けれど心はどこまでも深く繋がっていた。誰にも言えない悩みも彼女になら言えた。いつからか、ボイスチャット中の声に胸がドキドキするようにさえなっていた。僕達はいる場所は違っても、まるで同じ場所にいるかのように同じ時を過ごしていた。そんな、そこら辺のリア友よりもずっと大事な存在だったのに。
「知りようがないでしょう。あなたと彼女はリア友じゃないんですから」
「リア友、じゃない……」
心の距離がどんなに近くても、現実の友達じゃない。所詮はネットで繋がっただけの画面上の存在。僕達は同じ時を過ごしてきたけれど、画面の中にしかお互いの存在を見出してこなかった。
(そうだ。僕はおじさんに連れてこられるまで本当の彼女を知らなかった。どんなに仲良くなったって、僕達はそれくらい繋がりの薄い関係でしかない……)
死んでしまった僕。もうスマホも弄れない僕。そんな状態になって初めて気づく。
彼女と一緒にいた時の僕は、どこにいたんだろうか? 画面の中? それとも――
彼女のスマホ画面の中の僕は沈黙を貫いていて、彼女からの無数の投稿を既読もつけずに受け止めている。
僕は胸の中の衝動を抑えきれずに、仰向けでむせび泣く彼女に覆いかぶさるようにして肩に手を乗せた。
「僕はここにいます。あなたに会いに来たんです。お願い、お願い、お願いだから僕の呼びかけに気づいて。画面の中のどこを探したって僕はいないんです!」
彼女はこんなに至近距離にいる僕に気づかずに泣き続けている。悲しくなって僕も泣いた。透き通った涙が彼女の体の中に浸透していった。
その瞬間、虚空を見つめていた彼女の瞳が僕の方を向いた。一秒にも満たない時の間、僕と彼女は永遠を見つけたかのように見つめ合った。ないはずの心臓がトクンと脈打つ刹那が過ぎ、彼女は何かを見失ったように視線を宙に泳がせた。
単なる偶然だったのかもしれない。目が合った気がしただけかもしれない。けれど彼女と見つめ合った瞬間の胸の高鳴りで、僕はようやく自分がここにいることを実感した。
「もういいでしょう。これ以上現世に留まっていては、いずれあなたは悪霊になってしまいます。既に地縛霊になりかけていたのをお忘れですか?」
「……そうですね」
彼女からゆっくりと離れ、来た時の窓へ近づいていく。
「さようなら。今までありがとう。元気でいてね」
バイバイと振った手は光の粒となって散り始め、窓から差し込む光と溶け合う。体が浮き上がるような心地よい温もりに包まれて、僕は天国へ繋がる光の階段を昇った。
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