哀しい愛

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哀しい愛

   伊原に会って驚いた。背の高い細面の男性。やはり筋肉質だ。蓮や榊原と違うところといったら、彼はメガネをかけている。 「初めまして。伊原です」 「河野です。昨日は突然の電話で」 「いえ、どうぞ」  春日駅のすぐ近くの落ち着いた喫茶店だ。なごみ亭からは駅3つ離れている。  落ち着かないからコーヒーが来るまではちょっとした話だけをした。 「お勤めかと思っていたんですが」 「高校の教師をしておりまして。昨日今日と休みを取っていたのでこうやってお会いすることが出来ました。勤務中でなくてかえって良かったと思います」 「そうでしたか。なにを教えてらっしゃるんですか?」 「美術です」  なぜか納得がいったような気がした。彼女は絵を送ってきたのだから。だがあえてその絵は持ってこなかった。いくら弟とはいえど、見ていいものではないような気がしたからだ。  コーヒーが来て伊原はすぐに話を始めた。 「本当にこの度は申し訳ありませんでした。実は姉はしばらく入院していたんです。その……落ち着いたので退院したんですがこんなにすぐ……」  どんな症状でどんな病院に入院していたのかなど、聞かなくても分かる。哲平もそうだったのだから。それにあの状況を目にしているのだからなおさらだ。 「そうでしたか……」 「あの……もし営業に差し障りがあって賠償金とか」 「いえ、それは気になさらないでください。特に被害があったわけでもないですから。ただ驚いた、といったところでしょうか」  榊原のことは言わないつもりだ。 「当然です。ただただ申し訳ないという(ほか)ありません。姉のこと、もうご迷惑かけないようにしたいと思います。もう一度病院と話して……なんならまた入院を、と考えています」 「立ち入ったことをお聞きしますが。不躾な質問かとも思いますのでお答えいただかなくても構いません。お姉さんの病状は長いんですか?」 「……ここ、3年くらいになります。両親が亡くなりまして……それもきっかけの一つかと思ってるんですが」 「そうでしたか。最初にお会いした印象はこれと言って特になかったんです。元気をもらっていると、それだけでした」 「思ったよりまともだったんですね」  その声に、自嘲めいたものを感じた。ジェイと夕べ話したこともある。だが、自分などが踏み込んでいいものだろうか…… 「奇異に見えるでしょうね、一つ家の中でそんな姉と暮らしていること」 「そんなことはありませんよ。私も身近に精神的に疲弊してしまった人間を見てきましたから」  伊原はメガネを外して頭を押さえた。 「こんなことあなたに言うことじゃないですが、私も疲れ切ってしまって。ずっとこの状態を引きずっているもんですから」 「立派ですよ。ちゃんとお姉さんに向き合っておいでだ。こういう話で私ともすぐに会ってくださった。あなたは誠実な人だと思います」  伊原の顔が歪んだ。 「私は……そんなもんじゃない……そんなもんじゃないんです」 「これも一つの縁と言えば縁です。私で良ければお聞きしましょうか? 店もやっていろいろな経験をしてきました。人と人との在り方もそれなりに見ています。一時の()け口になさっても構いませんよ」 「…………」 「無理にお聞きしたいわけじゃないんです。お会いするのもこれきりかもしれませんし」 「私が……」  間が空いた。何かを言いたいのだと蓮は感じた。静かに待った。 「姉とは血が繋がってないんです」 「そうなんですか」 「両親が亡くなってから知ったんです、姉が……養女だったということ。姉はそれを知っていたということ……」  蓮はただじっと待った。 「いろんな人を見てきたと仰いましたね。……」  顔が上がった。思い詰めたような顔だった。 「許されない……関係、というのがあると……そう思いませんか?」 「許されない……」  ジェイのことを思った。長いこと自分も人に黙ってきた愛だ。 「許されない愛なんてあるんでしょうか。愛に変わりはない、そう思っています」 「綺麗ごとではありませんか、それって。人の話でそう言うのは簡単でしょうが」 「私は男性と結婚しています。今に至るまで8年かかりました」  伊原の剣呑な態度が固まった。 「今は隠していません。恥じることではない、そう思っています」 「受け入れてもらえたんですか、そんな」 「非社会的な愛をっていうことですか? 縁を切られることを覚悟しての公表でしたから。今は周りとも普通に付き合ってますよ」  飲まないコーヒーが冷めていく。それでも2人はカップを取り上げることも無く時間が過ぎていった。  
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