ため息

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ため息

   晩飯に池沢が来た。 「久しぶりだな!」  返ってきた笑みは池沢らしからぬ疲れの滲む力無いものだった。 「奥に行くか?」  ここに来たということは何か話したいからだろう、と察する。 「忙しい、ですよね」 「お前のためなら時間は空いてるのと同じさ。俺もちょっとサボりたいと思っていた」  今日はフロアに眞喜ちゃんもいる。キッチンは源ちゃんと2人でさばいてくれるだろう。スタッフはジェイと匠ちゃん、光ちゃん。お客さんはいるがほとんど料理を出し終わったところで、ちょうど良かった。 「源ちゃん、悪い。眞喜ちゃんとうまく回しといてくれないか」 「あいよ! 池沢さん、いらっしゃい! そこのサボりたがりとゆっくりどうぞ!」  睨みつけると笑顔が返ってきた。源は蓮が池沢のことを気にかけていたことを知っている。そして今の池沢の状況も。  光ちゃんには瀬川から携帯でメールが来ていた。 『隆生さんが行った。店にいる間は目を光らせておけ』  やくざ稼業は因果なものだとよく言う。一度不穏な空気が流れるとぴりぴりした緊張感が持続する。東井との関係は膠着状態になっている。いくら組長とは言っても相手が行動に移ってこない以上、警戒はしてもそれ以上うかつに手を上げられない。今はただ用心をするに留まっていた。  奥の方、他のお客さんから離れた位置に池沢を案内した。 「車は?」 「いえ」 「じゃビールでも飲むか?」 「はい」  短い返事だ。蓮は立って自分で生ビールを2つ持ってきた。テーブルに置き、エプロンを外して改めて座った。 「お疲れ!」 「お疲れ様です」  ジョッキをカチンと合わせる。池沢は一気に3分の1ほど飲んだ。 「美味い……生を飲むのは久しぶりです」  相変わらず池沢は敬語だ。しみついているから、と崩さないのが池沢らしい。 「心配していた。だが元気そうで安心したよ」 「外食も久しぶりで」 「帰りは迎えが来るのか? 電車か?」 「優作さんが駐車場にいるんです」 「そうか。まだ落ち着かないのか」  あれ以来、池沢の送り迎えは優作がしている。穂高の通学は主にカジが受け持っていた。穂高も納得していて、下校できる状態になるとカジにメールを送る。それに合わせて校門近くにカジが車を回すのだ。 「ありさが参ってまして。自分が運転できるなら穂高や俺の送り迎えは出来たのにってね」 「今日はここに来るって言ってきたのか?」 「今日は……優作さんに連れて来られまして」  池沢はこの状況になって親父っさんに頭を下げられた。 「隆生。すまねぇ。俺の力が及ばずにお前や穂高に不自由をかける」 「分かってたことですから。ありさと結婚した時にいろいろ覚悟はしてました」 「いくら覚悟していたと言っても実際に事が起きて見りゃこのざまだ。親としちゃただただ頭を下げるしかねぇ…… ありさにも肩身の狭い思いをさせちまっている。申し訳ねぇ」  親父っさんとしては池沢たち家族に何ごとも起きないように人を手配することしかできないのが心苦しいのだ。  この状態が続いて長い。池沢は、優作には肩が張らずにいられるから誰よりも気を許せる。親父っさんも堅苦しい話ができない優作が適任だと思ったのだろう。だから隆生付きは優作だ。  その優作に、後ろに乗った自分のため息を聞かれた。 「仕事って、大変だよなぁ」 「この時期はな。毎年そうだからといって慣れっこになるもんじゃないし」 「会社勤めかぁ、俺には一生かかっても縁のねぇ仕事だ」 「優作さん、疲れないのか? こんな送り迎えばっかりで。俺は昼は会社の食堂で食べるから日中くらいは好きにしてくれよ」 「それぁ隆生さんが気にするこっちゃねぇ。表に食べに行きゃ少しは気が晴れると思うよ。気にせず外に出りゃぁいいんだ、息が詰まっちまうだろ?」  それには答えずまた小さくため息が出た。この頃こういうため息が多くなったと思う。家でもありさにそれを聞かれないように気をつけている。  外を眺めた。不満に思っているわけではない。家族が大切で愛しい。ただ……  いつもの道を外れて車が道を曲がった。 「優作さん?」 「俺ぁ、バカだ。けどこう思うんだ。人に『疲れてないか?』って聞く時ぁ、自分も疲れてんじゃねぇかって。隆生さん。少し気ぃ抜いた方がいいと思うよ。もし怒られんなら俺が怒られてやっからさ」  あっという間に入ったのがなごみ亭の駐車場。 「ここ……」 「大将んとこで飲んできなよ。お嬢への連絡は俺の方で入れとくから。きっと喜ぶよ」  
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